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宗教比較論のようなものをいま執筆しているのですが、例えば浄土真宗では信心決定といって、阿弥陀仏や浄土の存在がはっきりと知らされる体験があると言われています。

そこでお尋ねしたいのですが、キリスト教などでも回心(えしん)体験といった、神や天国の存在をはっきりと知らされる体験があると聞いたことがあるのですが、それについて詳しく教えていただけませんでしょうか。

書籍やサイトを紹介して下さっても結構です。よろしくお願いいたします。

A 回答 (11件中1~10件)

キリスト教の中でも、福音派に属する宗派の中では、それが目的である宗派があります。



ホーリネス、セブンディアドベンティスト、ペンテコステなどの宗派です。

ただし、これらの宗派は、宗派としてのまとまりは薄く、各教会自体の独立性が高いので、その程度は教会ごとに異なります。

同じ福音派でも、バプテストやメソジスト、メノー派などでは、積極的ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になる回答でした。もう少し具体的に、どのような体験なのかが分かる資料があればありがたいですが、なんとか詳しく調べてみようと思います。

お礼日時:2006/04/15 10:53

宗教というのは比較することはできない


信じる人にとってそれが救いの道だということです
それぞれの宗教の考え方があります
そしてそれらは頭で考えるものではなく経験によって
信じてしまう。このように宗教を考えています

私自身はノンクリでした。人生の中でもう死んでしまう
という中で神にであった。こんな感じです。
自殺しようと思ったときに比べ今は天国です
天国というのはどこにあるのか?
「心の中にある」こんな感じじゃないでしょうか?

絶対にクリスチャンなんかなるものか?と考えていたのですが・・・
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 宗教学で言うconversion回心(かいしん  と読むと思います。

)の代表的な例としては、聖パウロの回心が最も有名ではないかと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%82%A6% …
「パウロ」「聖パウロ」で検索すれば、かなり詳しい説明が見つかると思います。

 宗教学の専門書ですけど、回心について研究した本があります。東北大学の講師を「している徳田幸雄さんという方が書いた本で、昨年日本宗教学会の学会賞の受賞対象となった本ですから、専門家の中である程度の評価を受けている本だと思います。参考になると思います。但し、学位論文を本にしたものですから、難解な部分もかなりあるかもしれません。
http://www.sal.tohoku.ac.jp/religion/profiles/to …
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この回答へのお礼

有り難うございました。早速調べてみます。大変に参考になりました。徳田幸雄さんの本は是非読んでみたいですが、なかなか高価な本ですね。

お礼日時:2006/04/17 08:21

信仰の告白というものでしょうか。


以前ある少女と出会いました。

彼女は不良で迷惑三昧をしていたそうです。
世の中に反発をすることに疲れた彼女は、キリスト教に救いを求めたようです。

洗礼式の時の様子を興奮気味に語っていただきました。
水の中に体ごとつけられ 苦しくてたまらなくなり、意識が朦朧として、その時引き上げられて光の中に自分がいるのを感じたと話してくださいました。

「どう表現したらいいのか。 もう すばらしくて すばらしくて 感謝の気持ちでいっぱいになったのよ!」と興奮して話してくださいました。

私はそれを聞いて、映画セルを思い出しました。

窒息寸前になると酸素が頭にいかなくなり、通常の思考回路が遮断し、仮死状態に近い状態になる。

その苦の状態から引き上げると、水面に出るので水面の光の反射が動向が開いた状態の時に目の中に飛び込む。

苦からいきなり酸素のある状態になる。

死ななかったという感謝の気持ちになる。

加害者が被害者に苦痛を与えたあと、加害者が被害者を助けると、被害者は加害者の奴隷となる人もいる。

これを地獄から救うということを模倣した儀式だとするなら、結局 団体の奴隷に調教されてしまっただけで、実際神が救ったとか天国をかいまみたというものではないと思います。

恐怖の後に優しくすると、人をコントロールすることが容易になる。

とても恐ろしい心理操作です。

ストックホルムシンドロームというものもあります。

その信仰の告白をした人が、それ以外の時どういう状態かというと、イライラと不安と不穏で、前よりひどい迷走状態が続くようになりました。

思い切って「宗教から離れたらどうですか?」といえばよかったのかもしれませんが、いえませんでした。

とても心残りです。
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この回答へのお礼

有り難うございました。同じような事例を私の周りでも聞いた事があります。宗教体験と言っても功罪あるのだと思います。

お礼日時:2006/04/17 08:12

宗教を比較するものではない。

聞きたければ教会にいって聞きましょう。生の声が聞こえますよ。
救世軍なんかいいかな?

信じることによって心の平安が生まれた。これが一番
だね。
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この回答へのお礼

有り難うございました。宗教を比較するものではない、というのは、なぜそう言えるのでしょうか?

お礼日時:2006/04/17 08:14

最近流行の『ナルニア国物語』の著者CSルイスの自伝なんかどうでしょう?



この人はケンブリッジ大学の教授で、小説の構成もとても理知的ですが、
自分の経験世界を極めて明晰に語れる方なので参考になるかと思います。

いま調べてみましたが、『喜びの訪れ』という本がちくま文庫から出ています。
私が読んだのは大学時代だったのでうろ覚えですが、
牧師の家に生まれた彼が、思想遍歴の末に無神論者になり、
やがて最終的に神を受け入れてクリスチャンになる過程が描かれていたと思います。
20世紀前半の英国知識人の思想的雰囲気も良く伝わってきます。

彼に限らず、西洋の現代知識人の中には、無神論や不可知論からキリスト教に回帰していく人が多いです。
20世紀のイギリス文学にはそのような主題が多く見られます。
だいたい、
「最終的に神の存在を受け入れたとき、至高の喜びの感覚がわが身に訪れた」
みたいなことを証言しています。

「天国に行って来ました」みたいな話とはちょっと違うので、
それを神秘体験と定義できるかどうかは微妙だとは思います。
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この回答へのお礼

大変に参考になりました。教えて頂きました本は早速注文しました。届くのが楽しみです。

お礼日時:2006/04/17 08:15

私の信仰体験教会でも話したことがないので、ちょっ


と恥ずかしいですがここに書きます。
忘れもしない昨日の出来事のように鮮明に覚えていま
す。
我家はどちらかと言ったらプロテスタント系でカトリ
ックを毛嫌いする家でした。
家が浄土真宗。でも誰も宗教には興味なかったです。
縁あってカトリック系の高校にはいり、そこがとても
宣教に熱心で特に私達の学年はほとんど信者でした。
私も乙女心にかなり洗脳されましたが、洗礼までは
考えていませんでした。
それも下から続いている学校で高校から入るとかなり
きついものがあり、反抗もしていました。

私には兄が一人おり、当時は実に仲がよかったので
す。
その兄は大学で親友と2人で裏磐梯のほうに何泊かで
旅行していました。
ある日、葉書が来て「とても楽しい旅で何時何時帰り
ます」ということが書いてあり、それを読んだ瞬間
ものすごく不安がよぎりました。
そのときは明日かえるということになっていたので
す。
夕方5時ごろと思います。私の中に「今、兄はとても
難題に面している」と確信めいた感情がわいてきて、
自分の部屋にこもって一生懸命ロザリオの祈りを何弦
か唱えました。
それまであまりロザリオを日ごろ唱えていなかったと
記憶しています。

次の日兄が興奮して帰って来て「昨日不思議なことが
あったんだ!」て叫んでいました。
それによると最後の日で、それまで宿も順調に取れて
これで後一日だと思いきや、どこの宿もいっぱい。
仕方なく最後の宿に向かって「ここで断られたら野宿
しかないな」と友人とその宿に向かったそうです。
そこの宿屋が「○○さんですね。女の方から予約が入っ
て取ってあります」とのこと。2人で顔を見合わせて
誰だ!しかし○○だから兄に違いないけれど、それま
でに会った人に誰一人今日の宿どこに取るか話して
ない。でも有難いからこのことは不問に付して泊まろ
う」ととても素晴らしい旅館だったそうです。
私が何時頃?と尋ねると丁度ロザリオを一生懸命唱え
ていた時間だったのです。
ですのでその胸騒ぎはやはり間違いではなかった。
そのとき「祈り」とはすごいものだと実感して、洗礼
は受けなくてはと思いつめた次第です。
ちなみに私は霊体質ではありません。

それからいままで、あまり熱心な信者とも思えない私
ですが、不思議と身内の死に際に洗礼を受けさせて
カトリックの葬儀になってしまいます。
これは全然私の意志ではないのに、今は「私はカトリ
ックで呼ばれているのだと実感せずにいられません。
それからも度々不思議なことが起こります。
例えば山の散歩で瑠璃ビタキがすぐ前を20分も私を
先導してくれたり(これは関係ないかも)
それより何より身内が亡くなると私の意図とは関係
なく洗礼を授ける羽目に陥り、どんどんことが運んで
いくのは不思議以外何者でもありません。
手厚い葬儀で私に感謝されても、私が一生懸命した訳
でもないのに、素晴らしい心のこもった葬儀になるの
です。
これは本当に不思議です。
「祈り」がいかに大切かは実体験で山ほどあります。

今は父がいつも口にしていた「富士山は頂上は同じだ
けれど登山口はいくつもある」と言う言葉を大切にし
ています。

神社に行けば手を合わせ、お寺に行けば一緒にお経を
唱え、どの宗教も大切だと変なカトリック信者なので
す。

こんな体験でも御参考になるのでしょうか。
私の今の信心は「いかに一生を悔いなく過ごすか」の
一点です。とても難しいことです。
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この回答へのお礼

有り難うございました。宗教というのは実践や体験と密接不離なもので、こうした体験が積み重なって信念を強めてゆくのでしょうね。他にもお聞きになった事がありましたらお教えください。

お礼日時:2006/04/17 08:17

気になって軽く調べてみたところ、(HPの信憑性の程度は不明ですが)



1900年以降 ローマ教会に認定された奇跡は3つ とのことでした。

ルルドの泉
ファティマの預言
聖母マリアが降臨し、第1次大戦の勃発などを預言

ファティマ は 第二次世界大戦の預言なので、3つめのとは違うようです。

マザーテレサ等は神の声が聞こえて信仰に入った といわれていますが、他人には確認しようがない事例でしょう。
ヤーウェに会って、彼らの星に行ったという人もいます。

参考URL:http://www.netcity.or.jp/OTAKU/univ/kyoshitsu/ot …
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この回答へのお礼

有り難うございました。マザーテレサの事は是非詳しく調べてみたいですね。

お礼日時:2006/04/17 08:18

2の回答者です。


回答を間違えたと思いここに聖人列伝URL貼り付け
ます
聖フランチェスコとか聖ベルナデッタ(ルルド)とか
有名な聖人います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%81%96%E4%BA%BA% …
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この回答へのお礼

いえ、回答を間違えられた訳ではありません。一般の信者の上にこうした回心体験というのが一般的にあるのかどうか知りたかったので、2の回答は大変参考になる者でした。ありがとうございました。

お礼日時:2006/04/15 10:37

とても難しい問題ですね。


日本で家庭がクリスチャンでないと、洗礼受けるのは
大変勇気がいることです。
私はミッションスクールでしたから、そういう教育を
受け、18歳の時に洗礼受けました。
でも確かに受けるにあたって大変な葛藤があったこと
を思い出します。
やはり受ける前に神秘体験はしました。
クラスの友人はほとんど信者で、今も会えばカトリッ
クは我々仲間では空気みたいなものですが、家庭が
何代も信者の方もいれば、私みたいに、先ず私が洗礼
を受けて祖母、両親と受けていった例外な人もいます。
洗礼を受ける動機はそれぞれで、例えば父は80歳
を過ぎて「今までの人生感謝しないと。神様に感謝し
ないと」といって洗礼受けた人もいます。
母にいたっては、父も受けたのでとその先の一歩を
踏み出した人もいます。
今教会でイースターが日曜に迫り、明日が洗礼式があ
ります。
色々教会の広報を読んでいると、洗礼を受けるきっか
けもさまざまです。
すぐ教会を離れてしまう方もいらっしゃいますし。

問題は精神を病んでいる方(教会のお向かいが神経
科)でお医者様にあっちへ行ったらといわれて、救い
を求める方が多く、そういう方は洗礼を受けても病気
は治らないので余計に辛くなるという問題も噴出して
おります。

私の体験談としたら、18歳で不思議なことを体験
しながら10年くらい教会を離れました。
その後人生で辛いこともあって「悔やんで生きても人
生、悔いなく生きるのも人生」とはっきり自覚して教
会に舞い戻ったということです。

お答えにはならなかったかも知れませんが、回心がは
っきりあったから洗礼を受けたという方達ばかりでは
ないと思います。

私自身、そんなに不思議体験しながらはっきり天国
は分かりませんもの。
ただ神様を信じているのです。
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この回答へのお礼

大変参考になりました。ありがとうございました。もし出来れば、洗礼を受ける前に体験されたという事を、もう少し詳しく教えて頂けるとありがたいです。

お礼日時:2006/04/15 10:35

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