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今大変なブームとなっていますよね。「ダビンチ・コード」。
私も文庫本を買って来て只今、上巻から読み始めています。。。
キリスト教の宗教上の事を質問するつもりは全くありません。
ただ「イエス・キリスト」という人物(像)としてしての研究などは
今現在されているのでしょうか?
又、その他の宗教の開祖、(ブッタなど)の「歴史上」の「人物」としての研究など(あくまで「宗教学」ではなく「歴史」として)はされていますか?
私は「宗教」は宗教として素晴らしいものだと思います。
ただ「奇跡」など「非現実的」な宗教上の話ではなく、あくまで開祖である「人」に凄く興味があります。その時代の「人」が何を考え、何を模索していたのか?に興味があります。
「人物像」としての「イエス・キリスト」や「ブッタ」など他の開祖でも結構です。何か「人」としての史実に基づく逸話等ありましたら教えて下さい。

A 回答 (5件)

イエス・キリストという人物が、存在したのかどうかさえ疑問です。


何人かの人物が、一人の人物として統合されて、「イエス・キリスト」という人物が生み出されたと考えるのが、適切だと思われます。

そのため、キリスト教の経典である聖書(福音書)は、相矛盾するものが沢山あります。
異端とされた文献も沢山あります。

また、キリストに関しても、十字架にかけられて死んではいないとか、復活は無かったと考える宗派もあります。

現在一般に考えられているキリスト教は、4世紀ごろローマ帝国で、公認されてから整理され成立したものです。

キリストが実在したと考える事が、既にキリスト教の考えの中にいるのです。

ブッダにしても、ブッダ自身には、自分が開祖との認識があったのかどうかは、疑問です。
ブッダを開祖にしたのは、ブッダの弟子達です。

一方、イスラム教、ゾロアスター教、マニ教などは、開祖が存在します。
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 ノンフィクションの分野ではないのですが、こんな本も出ているということをご紹介します。

扶桑社発行の「イエスの古文書」で、ちょうど読み始めたところです。
 ストーリーは、イエス・キリストの実弟が書き残した古文書が発見され、この新たな福音書によって謎につつまれた人間イエスの真実が明らかになり、誰も予想がつかなかった”第二の復活”が記されて・・・」という内容のものです。その中で、従来のイエス・キリストの生涯がどのようなものであったのかを、次のように述べていますが、おそらくこの部分はほんとうのことだと思われます。

 「イエスの生涯のうちでわれわれが知っている事実は、わずか1ページほどの分量に集約されてしまう。急進的な神学批評家達(何人かの実名あり)は、あれ(イエスの存在)は神話に過ぎぬと断言して歴史的事実とは認めていない。それでいながらなんとこの百年間に、イエスの伝記なるものが少なくとも7万点は書かれ出版されている。」そしてその伝記はみな、「マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書と、あとはごくわずかな補足的資料に拠っている。ところで、福音書記者のうちには、イエスと一緒に生きてその行動を観察して、生身の姿を見たものが一人もいない。彼らはみな、イエスの死後三、四十年経ってから、原始キリスト教団の口頭伝承とか文書とかを収集して、パピルスに書き移しただけのことだ。そしてそれが3、4世紀にいたって、新約聖書と呼ばれる不朽の聖典にまとめあげられたのだ。」
 そして四福音書に記されたイエスの生涯を、次のように要約しています。「イエスはヘロデ大王の治世の終わりごろ、ナザレかベツレヘムのどちらかで生まれ、ヘロデ王の幼児殺戮を逃れるために、いったんはエジプトに連れて行かれたらしい。少年時代はガリラヤのナザレで育ったものと思われるが、当時の記事はわずか十二語で述べられているにすぎない。そして十二歳のときエルサレムに出てきて神殿で学者たちに会ったとあるが、その後の経歴はまったく空白で、三十歳に達するまでのことは何の記載もない。次にあらためて登場すると、救世主の来臨に備えて神から差し遣わされた洗礼者ヨハネの手で受洗し、いったん荒野にしりぞいて四十日のあいだを瞑想にすごした。」「荒野を出たイエスはガリラヤに戻って宣教を開始した。(以下略)」
 以降の行動は四福音書でよく知られていることですが、こうしてみると「伝記」なるものの何が信ずるに足るかは、極めて不確かなことになるのでしょうね。
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こんにちは。

ちょっと疑問に思ったので、書き込みさせてくださいね**
私はクリスチャンですが、イエス・キリストは開祖でも、教祖でもありません。
イエス様が創った教えではなく、初めからあったものだからです。
イエス様はもちろん、人間の体を持ってこの世に生まれましたが、イエス様は神様です。
もし、イエス様がこの地上で、人間の体を持って、どのように生活していたのかに興味がおありでしたら、やはり聖書を読まれるのが一番かと思います。

(ダヴィンチ・コード人気がありますね。
映画のCM等を見ても、いかにもイエス・キリストの真実を暴く!かのようにあおっていますが、レオナルド・ダヴィンチ自身がかなりの異端者です。彼はイエス様を冒涜するような絵を数多く残していることも広く知られています。
聖書には、イエス様がマグダラのマリアと結婚していたという記述はありません。
ですから、一般的には(クリスチャン、特にヨーロッパ等では)ダヴィンチ・コードはイエス・キリストの真実を描いてはいないと批判(失笑)されています。
純粋に楽しむ分には問題ないかと思いますが、本のイエス様と聖書の真実のイエス様を一緒にしてしまいますと、かなり危険です。
この話が、歴史上のさまざまな事実を組み込んでいるのは、確かだと思います。でも99%の真実の中に、1%の嘘が入っていれば、もはやそれは真実とはなりえませんよね。)

おそらく質問者様の質問の意図から外れた回答だとは思いましたが、失礼を承知の上で書き込みをさせていただきました。気分を害させてしまったら、ごめんなさい***
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 どなたかが、『聖書の優れた解説書にして史実の研究書であり、且つ一級の文学作品』と称賛した、犬養道子著の「新約聖書物語」(新潮社)があなたのご希望に沿うのではないかと思います。


 『使徒伝来の注・解にもとづき、フランス考古学院及びカトリック・プロテスタント双方の研究所など発表の資料を使い、--中略--、なおあくまで、イエスその人を味わう、彼と出会うこと、を目的とする。』という立場を貫いて執筆から17年を経て書き上げた、とあとがきに記しています。今から30年前に発行されたものです。
 わたしはキリスト教徒ではありませんが、素晴らしい書物だと思います。アマゾンで調べたらおすすめ度「五つ星」でした。
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「ナザレのイエス」「ゴータマ・シッタータ」。


どちらも人物像としては「それぞれの経典」に頼るしかないのが実情で、第三者的な「史実」からたどることはほとんど不可能です。
大抵の「史実」では「そういう新興宗教の教祖がいた」という程度にしか触れられませんから。当時の人々としてはやはり「後になって世界宗教になる」という認識がない以上、止むを得ない事だと思います。

ですから経典を元に
「復活などのありえない奇跡を除くこと」
「複数の経典で矛盾している記述は省く事」
「複数の経典で、より同時代性の高いものを重視すること」
という方法で人物像に迫る研究が行われています。聖書ではその方法でずいぶんイエスの実像に迫る研究が出来ているそうですよ。
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