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キリストはどういった罪で逮捕され処刑されたのですか?

A 回答 (8件)

「誰も真実は知らない」が正解なのですが、いろいろ説はあります。



一番主流なのは、律法に違反し、神を愚弄しつづけたことで、神殿の祭司はその行為は死に値するとしましたが、ユダヤはローマの属州で死刑権が無かったので、ピラトに訴え、過ぎ越しの日が近く治安が不安定だったことから、ピラトはその訴えを退けることができず処刑した。というもの。

これに対する反論は、聖書に姦淫を犯した女性が石打の刑になる寸前でイエスに救われていることから、ユダヤ教において、その当時もユダヤ人社会において処刑権があったことが伺えます。
(その部分が全くの創作でなければ)
従って「処刑権が無かったので、暴動を恐れたピラトに迫って処刑させた」というのは×だと思えます。

歴史を見ると、ピラトはユダヤ人たちに屈していませんし、悪政でユダヤ人たちから反感をかっておりましたが、気にしてなかったようです。
(後にユダヤ人がローマにピラトの悪政を訴えて解任させることができたようですがイエスが磔刑にあったとされるよりずっと後。)
ユダヤ人の脅しなどに屈するのなら、最初から悪政などしません。
やはり、「ピラトがユダヤ人の暴動を畏れて、言いなりになった」というのは×だと思えます。


イエスの死後 物語はいくつもできたようですが、聖典の成立に伴い、正統派とする人たちが認めた文書以外は燃やされました。
従って正統派が認めた物語以外は残っていないはずです。
ところが、ユダヤ教では、「例え疑いのあるものでも、神について書かれている文章は決して燃やしてはならない」という掟があるそうです。
焚書命令が出たとき、アレクサンドリア教区の修道士が、燃やさずに隠したと思われるのが、ナグ・ハマディー文書といわれるもので、中には新約に書かれているような、神としてのイエスではなく、一人の人間としてのイエスについて記録されているものがあります。
でも、磔刑に関する一連の事件の記載が無いようなんです。


ヨセフスだったかタキトスだったか忘れましたが、古代ユダヤの様子を書いた歴史家がいました。
ヘロデの悪行はこれでもかと書いてあるのに、イエスに関することが一切かかれていない。
あれほど有名になった男のことが一切書かれていない。
そして、ピラトは確かにローマ史に名が残っていますが、その資料の中にイエスに関するものが一切無い。

ミトラ信仰、預言者ゾロアスター、異教の神話に処刑と復活に関するもの、信仰に関するもがあり、それと類似性がある。
では、実在しない創作上の人物だったのか?
その物語は異教の神話を材料にして創作されたものだったのか?
不明です。


1947年に死海文書が洞窟から出てきた。
紀元前1世紀から2世紀頃に書かれたようです。
(別の話もありますが)
エッセネ派が住んでいた地域にある洞窟からで、ほとんどの現在旧約聖書と呼ばれている文書と、その派独自の規定が書かれた文書などでした。
そこにもイエスという名前は出てきません。
ですが「義の教師が悪の祭司に殺される」と書いてある。
そして「悪の祭司は敵の手に渡り殺される」と書いてある。
誰の事を言っているのでしょうね。


ユダヤ民族を2000年近く国無き放浪の民としたゼロテ党。
ペトロ、シモン、イエスが磔刑にあったとされたときに両脇にいた二人、バラバ・イエス。
彼らもゼロテ党だったと言われています。
律法というかユダヤ教に熱心すぎて、ローマによる植民地支配が許せず、ゼロテ党にひきずられ暴走する信者をなだめていたのが神殿の祭司たち。
それでも、ゼロテ党はローマ兵に対しテロを起こして殺していたので、ローマ兵によって捕らえられ処刑されていました。
ということは、社会を不穏にし市民を煽って暴動を起こしていたテロリストたちは、ローマ兵に捕らえられ処刑されていた時代だった。
ということはイエスは一味として捕らえられ処刑されたのか?
でも、右と左という概念があることから、この部分はゼロテ党の3人が磔にされたわけではなく、宗教的な概念によって創作された物語の可能性がある。
旧約聖書のイザヤ書だったか忘れましたが、そこと異教の神話をモチーフにした創作かもしれません。


かわって先日公開されたユダの福音書。
これにはイエスが肉体から開放されるために、ユダを説得し強力を仰ぎ、捕まるり処刑されるよう工作したという内容に読める。


結局、わからないです。

ユダヤ人は2千年近く神殺しとしてキリスト教から迫害されてきました。
でも、ピラトの冷血さなどからすると、ユダヤ人がイエスが殺されるうに仕向けたわけじゃない。
ユダヤ教の基本の書物には殺人を否定しています。

エッセネ派だと思いますが、死というものは処刑のことではなく、破門のことを言うようなんです。
宗教を破門されたものは、共同体からも追放されることを意味します。
宗教を取り上げられた宗教者にとって破門は死と同じ。
破門に至るような事をやった者に死装束を着せ、死者として扱い、3日間洞穴に中にとじこめ、その後追放していたという話を聞きました。

最初に追放されたのは、悪の祭司によってはめられた義の教師洗礼者ヨハネだったという説もあります。
ヨハネの首とは、そういう意味かもしれません。
(キリスト油を注がれた救世主とは、アロンの血を引くヨハネだった可能性があり、リーダー的な存在だったので、クビをはねた→権威と失墜させた あるいは破門されるように誰かにはめられた かも)

では、悪の教師誰なのか?

また、イエスが義の教師だったという説もあります。


結局、、、仏陀は遺骨が出てきたのですが、イエスは出てこないし、使徒もしかり。
謎で死海文書やナグ・ハマディー以上の発見を待たないと真相は藪の中だと思います。
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この回答へのお礼

大変ありがとうございます。

キリスト教の伝えるキリスト(物語)ではなく、歴史的な記録というのはやはりあまりないのですね。

これだけ有名な人なのに、記録がこんなに少ないのは不思議ですね

しかし、いろいろな説を説明して頂き、たいへん勉強になりました。

お礼日時:2006/11/07 13:52

No.6です。


補足を。

私が解説したイエス逮捕・処刑の経緯と理由ですが。
これはあくまでも、『ラテン=キリスト教観』だと思っていてください。
「歴史的事実」は「イエス創作説」も含め諸説あるのが現状です。

以下は私の考えなのですが。
キリスト者や反キリスト者でないかぎり、
「歴史的事実」はどうでも良いことなのです。
問題は、「新約聖書」を採用した「ラテン=キリスト教(カトリック・プロテスタント)」が、ラテン=ヨーロッパ(東欧などの正教圏は別)を支配していると言うことです。
そして、そのヨーロッパを理解するには「新約聖書」を理解する必要があります。
ですが、キリスト教だけでなく「歴史は所詮、物語だ(権力者・反権力者・小説家・歴史家、いずれを問わず彼らに利用されるもの)」という事を念頭においておかないと「歴史に操られる」状態に陥ると思います。

質問内容からそれますので、これ以上は書きませんが。
最後に、私がNO6で書いた内容は「ラテン=キリスト教(カトリック・プロテスタント)」での「真実」だと言うことを強調しておきます。

※「ラテン=キリスト教」という言い方は、あくまでも私が師事する大学教授の命名だそうです。
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この回答へのお礼

再びありがとうございます

たしかにこれだけ宗派が分かれていると的を絞らないと説明できませんよね

>キリスト教だけでなく「歴史は所詮、物語だ(権力者・反権力者・小説家・歴史家、いずれを問わず彼らに利用されるもの)」という事を念頭においておかないと「歴史に操られる」状態に陥ると思います。

まったくその通りだとおもいます、いろいろな説を聞くことで、自分なりにどういった人物だったのか知りたく考えたく今回このような質問をさせてもらいました。
とても勉強になりました。
また、どういった宗教なのかということも、とても興味がありますので、また改めて質問トピを立てようと思ってますので、またよろしくお願いします

お礼日時:2006/11/07 14:32

まず、イエスはユダヤ教徒であったことを理解してください。


また、ユダヤ人はローマの支配下にあった事も頭に入れておいてください。

当時のユダヤ教は主に2つの派に別れていました。
議会派(サドカイ派)と民衆派(ファリサイ派)です。
議会派の人々は、その権力の基盤がローマに服従することによっていたので、ローマ人の顔色ばかりうかがっていました。(この意味ではユダヤの王ヘロデも同じ)
そんな彼らを、批判していたのは民衆派ですが、彼らは彼らで「戒律主義」に走っていました。

そんな中に現れたのは、洗礼者ヨハネ(十二使徒のヨハネとは別人)とその教団でした。
彼らは、そんな議会派や民衆派の事を激しく批判していました。
そこに現れたのがイエスでした。
彼は、洗礼者ヨハネの主流2派の批判には納得していました。
しかし、完全には洗礼者ヨハネの言うことに納得は出来ませんでした。
そして、修行をするウチに「救世主(キリスト)」として目覚めていきました。(ただし、イエスは自分では「私は救世主だ」とは言ってません)
そして、ユダヤの各地を遊歴して弟子を得ていきました。

やがて、イエスの主導する勢力はだんだんと大きくなり、その影響力は洗礼者ヨハネをも超えていきました。
また、洗礼者ヨハネはヘロデ王も批判していたので彼に捕まり処刑されてしまいました。(余談1:サロメの話は面白いですよ)

ここに来て、主流2派にとってはイエス派の勢力を無視出来なくなってきました。
特に、議会派の人々はイエス派の人々が反乱を企てローマが怒るのを恐れました。
また、付き従っていた人々の中にもイエスが「救い=ローマからのユダヤの解放」をしてくれないので不満が募ってきました。
そこで、紆余曲折を経てイエスをとらえました。
しかし、イエスを裁判で罪にしても死刑にする権限はユダヤの議会にはありませんでした。
そこで、ピラトの元に行き
「イエスはユダヤの王を名乗り、ローマへの反乱を企てた。死刑にすべきだ」
と言いました。
ピラトはイエスの事を調べましたが、嫌疑不十分であるとして「ユダヤの事はユダヤで決めよ」と言い、ヘロデ王に任せました。(ヘロデ王は、イエスの故郷ガリラヤの支配者でした。)
ヘロデ王もイエスを取り調べましたが、やはり「罪」は無いと言い、ピラトに送り返しました。

ピラトは、「罪が無い」と言っているにもかかわらず、ユダヤの人々は「死刑にせよ」と要求します。
このままでは反乱になると恐れたピラトは、人々に取引をもちかけました。
当時とらえられていた「殺人犯」と「イエス」どちらかを「死刑」とし、どちらかを解放しようと。
「どちらを解放するか?」
とのピラトの問いに、人々は「イエスを十字架に」と叫びました。
この結果、「殺人犯」は解放され、イエスは十字架に架けられることになりました。

と、以上が大まかなイエス処刑の経緯です。
つまり、議会派の人々はローマを恐れる余り、民衆はイエスが「神の国」と言ってるわりには「ユダヤをローマから解放」してくれない事への不満のため、イエスは十字架に架けられることになったのです。
しかし、イエスは一言も「ユダヤをローマから解放する」とも「私は救世主です」とも言っていません。(救世主については、弟子には言わせてましたが、、、。)
そして、イエスのいう「神の国」はあの世の事だったのですが、民衆は理解しませんでした。
結論としては、議会派の人々による「冤罪(ローマに反乱を企て、ユダヤの王を僭称した罪)」に、民衆がイエスを「誤解」していたために議会派の人々の提案(扇動)にのった結果、イエスは十字架上で死んだのです。

余談2・イエスが言った一番良い言葉なのに、キリスト教ではあまり実戦されてない言葉に「皇帝のモノは皇帝に、神のモノは神に」があります。
このことからも、イエスはローマへの反乱の意志はなかったと推測できます。
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この回答へのお礼

大変ありがとうごさいます。

お礼日時:2006/11/07 13:28

右のほほを打たれたら、左のほほを差し出しなさい。



ローマ兵に殴られたら、左のほほを差し出しなさい。
決して心まで砕く事は出来ません。
こう言う教えが原因です。

ユダは、この信望と教えから、ローマからの独立を勝ち取る力だと信じ込んでいたようです。
しかし、イエスの口から出たのは、
「心の救済、絶対踏みにじられない心の帝国」だったのです。

何も変える力も持たない。
ユダは大きく失望しました。

武力でローマーに逆らう首領が、
「お前に人は助けられない。俺はローマ人からパンを奪い人に与えられる。今、飢えで苦しんで困っている人にパンを与えてみろ。」
ここで、人はパンだけで生きるに非ず。(心の救済を意味する)
こう答えます。

あー言えばこー言う。若いジジイだ。
ただの偏屈(役立たず)と嘲笑したようです。

しかし、この2人が恩赦でどちらかを助けられると言う時に、
民衆の一部から「イエスを死刑にしろ」と罵声が多数かけられます。
(ユダヤ教の人間)

司政官もこれには驚きました。
さすがに気品すら有る、とても犯罪者と思えないキリストを死刑にするのは良心がとがめたのです。
迷いましたが、
その時、自ら反ローマゲリラの首領を助けてくれと進み出ます。

その後、首領は心の救済と言うキリスト教を迷う事無く信心したそうです。
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この回答へのお礼

大変ありがとうございます。

お礼日時:2006/11/07 13:16

当時のユダヤはローマ帝国の属国でした。


当時ユダヤに駐在していたローマの総督のポンティオ・ピラトは、イエスの教えがどうであれ、そんなことは気に掛けていませんでした。
しかし、ユダヤ教の指導者たちにとっては新しい教えを広めるイエスは邪魔者でした。

ユダヤ教指導者たちの度重なる讒言により、ローマ側はイエスを逮捕せざるを得なくなります。
逮捕に続いてユダヤ教大祭司の召集した最高法院の裁判が、公式にか非公式にかはっきりしませんが、開かれたようです。伝えられているところによると、イエスを訴えた人たちはいろいろ罪状を指摘するのですが、どれも決定的な証拠を示すことができませんでした。

最後に大祭司が、イエスに対して「お前はほむべき方の子、メシヤ(救世主)なのか」という意味の質問をし、イエスがこれを肯定したのは神への冒涜であるとして死刑を宣告したのです(マルコ14・53-65)。

総督のポンティオ・ピラトは、ユダヤ側との無用な対立を避けるため、イエスを処刑します。
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この回答へのお礼

たいへん分かりやすいご回答ありがとうございます。

>イエスを訴えた人たちはいろいろ罪状を指摘するのですが

このいろいろな罪状とはどんな内容だったのでしょうか?

お礼日時:2006/11/06 17:45

ローマ皇帝への反逆罪だと思います。



名目上、反逆罪で、本当のところはキリストの人気がありすぎて、
それに危機感を覚えたユダヤ教徒が処刑したとか聴いた記憶があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2006/11/06 17:34

ローマに対する反乱罪じゃなかったっけ?

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2006/11/06 17:30

人々に邪悪な考えを吹き込んだから。

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この回答へのお礼

早速ご回答ありがとうございます。
できればもう少し詳しくお願いしたいのですが

お礼日時:2006/11/06 17:25

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