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このサイトでも朝日新聞の事がよく話題になりますが、なにゆえ左寄りなのでしょうか?初代の社主が共産党とか社会党支持だったとかそういった事なのでしょうか?歴史的な背景を踏まえてお教え願えれば幸いです。

A 回答 (7件)

太平洋戦争の責任は日本の軍国主義者ということになっています、そうして東京裁判が行われ東条英機らは「天皇を守るために」戦犯の汚名を受け入れました。

しかしほんとうに責任を問われるべきは朝日新聞と読売新聞の仁義なき販売拡張合戦にあったのです。新興読売と朝日の販売拡張合戦はとにかくひどいもので、大衆迎合のために何でも書いた結果が戦争に流れ込んだわけです。その悪影響が現在も続く新聞販売の談合と購読強要の元です。

しかし占領軍は民主国家樹立には健全なマスコミが必要(これはある種真実ですが)と彼らマスコミの責任は問われませんでした。見返りにGHQの不正などには及び腰になり彼らの不正蓄財などの犯罪は本国アメリカに帰ってから追及されることになりました。

  大陸で人体実験を繰り返し、歴史上希に見る残虐行為を行った731部隊があります、米軍は彼らに実験データの開示をさせるかわりに戦犯には問いませんでした。
朝日読売の罪は731と同等です。

ちなみに聖教新聞の印刷を行っているのはほとんど毎日新聞です。毎日は80年代の経営危機を創価学会に救ってもらったと言えます。
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この回答へのお礼

色々お教えいただき勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/20 16:00

質問者様が公立学校で受けた教育を思い返して下さい。

朝日新聞に書いてあるようなことが「正しい」とされていませんでしたか?

戦後になって、特に教育現場では「左寄り」が正しいとされるようになり、今でもそれが続いています。朝日新聞の最大の支持層は教育関係者です。

教育関係者が朝日新聞を読んで朝日の内容を生徒に伝えます。一番まじめな生徒は、教師の言うことを素直に吸収して朝日信者になります。こういう人は、自分も教員になることが多いですね。こうして、朝日信者が常に一定数存在する状況になります。

身近に教員がいたら、「新聞は朝日でしょ?」と聞いてみてください。「良く分かったね」と返答されるでしょう。

そして、朝日信者は子供のときから刷り込まれた左翼的な言論を好みます。朝日としては、左翼的な記事を載せるのが商売に叶います。朝日新聞で一番面白いのは投書欄で、朝日信者が競って書き送る左翼的な意見がたくさん載っています。あそこは「自分の朝日度を競う場所」と考えると分かりやすいですね。
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この回答へのお礼

確かに勉強=朝日新聞社説みたいな所がありました。日教組との関係でしょうか。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/20 16:01

 占領時、GHQ の検閲によって刷り上った新聞が発行禁止になることがありました。

そうなったら大損害ですから、占領が終わっても未だに直らない「自主規制」の習慣が根付いたわけです。
 その自主規制の論調は、GHQ が日本の牙を抜くために利用した共産主義者とマッチしたものになっています。

 基本的に、No.2 で言われているように、朝日は筋を通した論議や主張をするオピニオン誌ではなく、大衆迎合誌ですから、一旦いけるとなった潮流には簡単に乗ります。それで、左派になりました。

 なお、現時点でもそれが維持され続けている理由としては、創価学会があります。創価学会の発行している聖教新聞などは、自社印刷ではなく朝日を含む大手新聞社の印刷所に印刷依頼をしており、その予算規模は数億を超します。
 つまり、創価学会は朝日に対し、巨大クライアントという関係にあります。
 で、その創価学会は、トップの池田大作が本名成太作(ソンテチャク)なる在日二世であることからも分かるように、根本的には反日・親朝鮮組織です。その望む論調は、朝鮮に擦り寄り中国に土下座するものですから、その通りの左まっしぐらの論調を取ると、朝日新聞は経営が安定するので、ますます左が固着化するという構造をしています。
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この回答へのお礼

なーるほどよくわかりました。今月号の「諸君」の特集を読んでも今一理解できませんでしたが、非常にすっきりしました。特に後段の部分はすごく納得です。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/08 08:16

戦後の混乱期、それまでの教育が「神話」であった事を認識した日本人は、寛容な米国の占領政策に感謝感激し、今までの思想信条を唾棄すべきものと考えました。


そういった「転向」の先頭に起ったのがマスコミで、当時の大新聞はどれも「新しい考え方」を取り入れ、国民の啓蒙商売に奔走しました。
そういった競争の中で最も目覚しい成果を挙げたのは朝日新聞で、発行部数もNo1になり、就職希望順位も高位をつけて高学歴の社員が読者をリードする姿勢を確立させました。一般の評価も「天声人語」の入試採用など「インテリが読むのは朝日」が定着し、質量共に「No1」新聞と言う形が暫らく続きました。
後塵を拝した他新聞の内で「別のスタンス」を採り、庶民の新聞を目指した読売新聞は、野球の巨人ブームなどを追い風に激烈な営業戦争を仕掛け、やがて朝日を発行部数で凌駕する様になりました。
両者の争いに埋没した毎日とサンケイは、それぞれ左よりと最右翼でありながら読朝との差別化が出来ず、営業戦争に敗れて縮小していきました。
第三者的な推測をすれば、朝日は過去の成功体験から脱却出来ないでしょう。既存顧客は「インテリ好き」層であり、それを捨てて路線変更しても成功できる可能性は低いからです。
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この回答へのお礼

という事は我々はこれからも朝日の親中、親朝鮮、反米、反皇室報道にお付き合いさせられるわけですね。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/08 08:20

全ての新聞社が同じスタンスじゃ不健全でしょ?


(どこぞの国の新聞のように、政府万歳ばかりだと…。)

というわけで、いろいろなスタンスの新聞社が、それぞれに住み分けをしているのです。そんななか、朝日は、やや左寄りの論調をとるというニッチをねらったのでしょう。

そもそものきっかけがなぜかというと、本当のところではどうなのかは断言できるものじゃないと思います。

が、一旦、リベラルというラベルがつけば、当然、それに合った考えの人が入社するようなるという風に、企業文化が固定しやすいのではないでしょうか。読者も、その傾向を求める層が中心になっていきますし。
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この回答へのお礼

なるほどそうですか。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 08:13

元々は、大阪の下層階級向けの漫画新聞でした。


字が読めない人を対象としていたわけです。
初代の主筆は元土佐藩士だったようですから、板垣退助達のように、官職に就けず、反政府、社会主義活動をしている人たちとスタンスは近かったと思います。
戦前は、反政府というスタンスはおなじですし、知的レベルの低い人たちを煽るというスタンスはおなじですが、傾向は違っていました。
戦争をしろと煽る会社だったのです。

戦後は、北朝鮮や中国に近づき、そちらの立場から、政府を攻撃するというスタンスになりました。
日教組と非常に近いスタンスですね。
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この回答へのお礼

なるほどよくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 08:12

中国に報道各社が駐在していた時に、少しでも中国に批判的なことを書いたら叩き出すよと言われ、実際、新聞社がどんどん追放されていくなか

、朝日新聞だけは徹底した媚中記事を書き続けて、おまえだけはいてもいいよと言われ、朝日新聞はとっても喜びましたとさ・・・
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この回答へのお礼

これ聞いた事があります。ありがとうございました。

お礼日時:2006/06/07 08:10

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