
No.1ベストアンサー
- 回答日時:
江戸時代以前は神仏混交でしたから春日神社は興福寺の管理下にありました、というか一体のものでした。
藤原氏との関係では、藤原氏といってもいろいろな系統があり、それぞれの自分の家の寺もべつにあったりして、興福寺は氏全体の寺ですから、個々の家では荘園などをめぐって対立するようなこともありました。
No.2
- 回答日時:
春日神社は元々興福寺から独立した存在で、日本三代実録に「仏神道を異にし、忌祟避くべし。
寺の此を作るは、実に物情に乖けり。」とあるように当初は発言力を持っていましたが院政期以降、興福寺の発展により取り込まれ鎮守社となりました。
興福寺別当(一乗院門跡・大乗院門跡)は京から送られた藤原家の人間ですから、争いの原因は藤原一族内の対立の延長上にあったのではないでしょうか。
お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!
おすすめ情報
デイリーランキングこのカテゴリの人気デイリーQ&Aランキング
-
寺で修行するにはお金が必要で...
-
仏教の宗派の中で、和宗ってど...
-
多賀城について
-
永平寺への分骨の仕方
-
地理について詳しい人教えてく...
-
「八方塞り」の反対語を教えて...
-
後継者のいない寺院も、多いん...
-
長谷、室生、秋篠寺周辺について
-
神戸にある教会で誰でもはいれ...
-
個人旅行でリスボン
-
パリのサン・エティエンヌ・デ...
-
12月24日の クリスマスイブ...
-
猿キリストの教会の場所
-
教皇が誰になっても日本は関係...
-
シンガポール
-
11月中旬くらいのディズニーの...
-
16世紀、ドイツの神学者ルター...
-
ウェストミンスターでないチャ...
-
新松戸にお住いの方 教えて下さ...
-
彼女が見た友人の海外旅行の写...
おすすめ情報