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化野念仏寺にある石の十三重塔を見ていて疑問に思いました。層の数が陽の奇数であることは分かりますが、十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?また念仏寺の様に、無数のミニ石塔に囲まれている場合、石塔が中心の仏さまで、周りのミニ達が信仰する者、またはその祈りの具体化、という介錯で間違っていませんでしょうか。ご存知の方教えて下さい。よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

塔婆の起源は梵語のスツウパ<stupa>より出て卒塔婆等ともいい、


本来は仏舎利(釈迦の遺骨)を蔵する為であり、
仏教伝来当初は、礼拝の第一義的な対象として、
金堂と共に寺院の中心として伽藍の中にあった塔が
時代が下るにつれ、伽藍の中心や塔本来の宗教的な位置付けから離れ、
信仰の証しから寺院のシンボル的な役割を色濃くしていったようです。

そんな流れの中、
塔の位置付けも墳墓の標、霊跡標識、追善供養の為などと漸次拡大し、
材料は木や石が多い中、鉄塔・銅塔・瓦塔・泥塔
あるいは紙に描いた画塔・印塔などもあって、
種類も相輪塔、宝塔、多宝塔、多層塔(三重塔・五重塔など)、龍塔、五輪塔、
宝篋印塔、板塔、角塔など多様な変化を示しています。

塔の位置付けの変遷などは下記WEBページなどが御参考になるかと思います。
◇日本全国五重塔・三重塔を巡る旅
http://www5f.biglobe.ne.jp/~syake-assi/newpage32 …

>十三あると、三重や五重より偉いのでしょうか。

明治以前の建築では、全国一の高さを誇ったのは約55mの東寺(京都市)の五重塔、
談山神社(奈良県桜井市)には、明治前の木造としては唯一の十三重塔が立っていますが、
この塔の高さは東寺の3分の1程度。

遺跡や記録だけなら、東大寺をはじめ全国の国分寺には、
奈良時代ごろからたぶん東寺の五重塔を凌ぐ高さの七重塔がたっていたらしく、
平安時代には法勝寺(京都市左京区岡崎)に100m近い九重塔がそびえていたとか。
ところが奇妙なことにそれらは全て倒壊し、
現存する明治前の木造の塔は、談山神社の十三重塔以外は全て三重か五重。
一方、石造になると殆どは十三重で、三重や五重はあまりなく、
三重や五重に見えるのは、宝篋印塔や五輪塔であることが多い様子。

五重塔と三重塔のふるさとである近畿に限ると、
高野山を本拠地とする真言寺院には五重塔が圧倒的に多く、
対して比叡山を本拠地とする天台寺院には三重塔が圧倒的に多い傾向にあるようですが、
江戸では最澄派にもかかわらず、金満の象徴のような五重塔を建立した寺もあります。
ただし、小規模な五重塔がある一方で、
法相宗の大本山の一つである薬師寺(奈良)の東塔(一見六重の塔に見える三重塔)のように、
東寺五重塔、興福寺五重塔、醍醐寺五重塔に次ぎ、4番目の高さを誇る例もありますから、
五重塔と三重塔の違いを価格で単純比較する事も出来ません。
また、法相宗の大本山の一つである興福寺(奈良)などでは、
五重塔と三重塔の両方が建立されてます。
あと、聖徳宗に属し奈良の斑鳩で隣り合わせに立っている法隆寺と法起寺、
法隆寺の五重塔は向かって右に金堂、左に塔を置くのに対し、法起寺ではその逆になっている
ことから男と女、陽と陰をあらわすと解く先生もいらっしゃいます。
(『ねじれた伊勢神宮 「かたち」が支配する日本史の謎/宮崎興二/祥伝社文庫』)

なお、十三重石塔の建立目的について…
たとえば現存する日本最大の最古の石塔とされる京都府立宇治公園中の島の
宇治浮島「十三重石塔(高さ約15m)」は、宇治川での殺生の罪を戒め、
「供養塔」として建立されたようです。
http://www.wao.or.jp/aiso/tales/02/index.html
また、モノは違いますが
http://bud.beppu-u.ac.jp/xoops/modules/xoonips/d …
『佐伯史談 No.163(1993.6)佐伯十三重塔と中世佐伯氏/宮下良明/佐伯史談会』
(39~45頁)<5/7>によれば「…十三重石塔も、当時の法華経信仰の影響を受けて、
石に写経して基礎下に埋め、その上に塔を建て、礼拝の対象物としたのであろうか。
いわば経塚のようなものである。そのように解釈すれば納得がいく。
近世の一石一字塔も同じ意味を持ち、経塚の延長の現れであろう。…」
と「経塚」と解釈されています。

以上の断片だけを捉えても、宗派や時代背景或いは建立目的などによる違いが考えられ、
三重ならびに五重と十三重とで単純に優劣を比べられる類のものではないようです。

>また十三より以上(十五、十七?)の塔は存在しますか?

小松市指定有形文化財として小松天満宮(石川県小松市)に
「十五重石塔(約7.24m)」が存在します。

ただし、伝統的な「多層塔」には定義があり、
「各階の平面形はどの階も同じ正多角形であること、
一階にだけ仏像が安置されていて、二階以上はただの飾りであること、
最上階の屋根の上に九輪(相輪)という九つの輪を積み重ねた細長い飾りがついていること、
などである」(『日本塔総鑑/中西亨』)。
したがって、各階の平面形が違ったり、九輪がついていなかったりの宝篋印塔や五輪塔は、
多層塔ではないらしい。
よって、小松天満宮の十五重石塔も、
九輪がついていないから正式な塔ではないという説もあるとのこと。

◆「小松天満宮」
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Japan-top-page/ …
◇小松天満宮>由緒 十五重石塔(写真)
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Yuisho/yuisho1. …
◇小松天満宮>由緒>十五重石塔について
http://www.bairin.net/JapaneseHP/Yuisho/jyugojyu …

>また念仏寺の様に、無数のミニ石塔に囲まれている場合、
>石塔が中心の仏さまで、周りのミニ達が信仰する者、
>またはその祈りの具体化、…

少なくとも(華西山東漸院)化野念仏寺に関しましては、自らのWEBページで、
http://www.nenbutsuji.jp/enkaku.html
「釈尊宝塔説法を聴く人々になぞらえ配列安祀してある。」と謳っていますから、
triplechocolate様の解釈で宜しいのではないでしょうか^^
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 僕が知る限りでは奈良県の多武峰にある「談山神社」に十三重の塔があります。


また東大寺にかつて七重の塔が左右にあったとされています。また京都の相国寺にも七重の塔があり、そこから足利義満は京の都および内裏を眺めていたとされています。記録に依れば、この塔は一度落雷で炎上しましたが再び火災により焼失した、とされています(その名残は「塔之段町」の町名として残り、現在に至っています)。
 化野念仏寺は元々空海が寺を建立し無縁仏を弔うための寺院とされていますが、その後同地に法然が念仏道場を開いたものが現在の念仏寺である、とされています。
 空海という点に着目するならば、彼が開いた東寺の五重塔の内陣には立体曼荼羅と呼ばれる仏像を曼荼羅に見立てた配置を見ることもできますので、空海が立体曼荼羅を意識して小さな石塔群を立てて供養したのかもしれません。
 説明になっているでしょうか?。
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