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合気道は他の武道に比べ動きや型が難しく、
「うまくなった」というレベルに達するには時間がかかると聞きました。

どんな武道でも一定のレベルに達するには時間はかかると思います。

しかし、たとえば空手や柔道などは試合があり、
そこでどんどん勝つようになったり絶対的な筋力をガンガン付ければ
「自分の実力は上がった」という事が実感できると思うのですが、
合気道(試合をしない会派)ではそのような方法で実感する事は不可能でしょうし、
筋力がものをいう感じでもないようです。

また柔道をしている知人は
「数年続ければイヤでも強くなったと実感できる」とよく言っています。
合気道は一日5時間、十年続けても「護身として役に立つかどうか」と聞きました。

合気道とはそんなに難しいものなんですか?
大抵の道場では『週一か週二、一回2時間』がメインのようですが
このペースで「合気道が身に付いた」というには
いったいどれだけの期間がかかるのでしょう。

「身に付いた」という受け取り方も人それぞれでしょうが
皆さんの価値観でお教えいただければと思います。

A 回答 (7件)

アメリカで使える伝統空手と護身術を教えている者です。



難しいものでなくてはならない、とまず考えてください。

これは空手でも合気道でも同じことなのです。 相手を誘導するための接触をしないでも良いとするスポーツになり下げられた多くの空手は「100年やっても護身として役に立つ」事はないでしょう。 目的が違うものにしてしまったわけなんですから。

スポーツにもっていかなかった合気道はだから「難しさ」が残ったのです。 

更に難しくしたのは今度は合気道が「実戦」を目標にしていない、護身と言うことへの目標をはっきりさせていない、でも、言葉では、相手を痛めるためのものではないから、と良いわけとも私には聞こえる表現の仕方をしている当ことが「より」難しいものにしてしまったのですね。 つまり、実戦に使えるような目標を出していないわけですから、実戦に使える実力は基本が出来てからやっとついていくと言うことになるわけです。 だから時間がかかる、と言う事にもなるわけです。

身についた、と言う実感が、型の動きが出来るようになった、と感じるだけで良いと教える自称師範・自称指導員の下では、毎日使え、死ぬまで使える合気道(の教え)はいつになっても身につかないと言うことなのですね。

ですから、何を身に付けたいのか、さらに、身に付けることごとの選択を示すことが出来る師範・指導員が必要ともいえるわけです。 つまり、型だけ出来れば良い、と言う選択もあるし、護身術のほんの一部として使えるもので良い、武道として人生の道を教えてくれ毎日使えるものが良い、等、どれにする?と言える指導員、が今の合気道には必要だと私は感じます。 これは、合気道に限られたことではなく、柔道・剣道のように「道」と言う名前はついているけどスポーツとして作られたものと違い、空手でも同じことなのです。

スポーツとして始まったものでないものをスポーツにしてしまうから、空手、と言う一言でも、あまりにも幅の広い違いがでてきてしまうわけです。

例えば、私たちの流派では初段をとるのに少なくとも3000時間は必要と計算しています。 (もちろん、トレーニング時間を記録させているわけではないわけですから3000時間道場に来れば初段になれるということではありません) ですから、この必要とされる時間を週10時間のトレーニングで計算すると約6年かかることになります。 人によって実力の向上はかなり違うものがあります。 この実力には幅広い知識も必要ですし、心理・精神的な実力も含みますし、生体的能力の向上も必要となります。 

よって、指導員の指導能力の違い、弟子の生まれ持った素質、時間的余裕と時間を割ける事のできる境遇、そして、武道に何を求めるのか、全て流派では管理できることではありません。 よって、流派自体(道場主・師範・指導員の価値観)が求める条件によってその価値観に基づいた「身に付けなくてはならない」ものも変わってきてしまうわけです。

高い基準と水準をどのようにして保持するか、また、保持する勇気がどれだけあるのか、も大きな要因となると私は信じています。 水準や基準を落とすことは誰にでも出来ます。 スポーツ化してしまうことも可能です。 スポーツ化することへの価値を見出したり(加納氏のように)、多くの指導員が上の選択の幅の存在を指導されなかったりすれば、当然ながら「身に付けなくてはならない」ものが変わってくるわけで、「合気道が身についた」と感じるレベルも変わってきてしまうと言うことでもあるわけです。

流祖の持っていた価値観と水準を今また復帰させても良いのではないかと考える私個人の価値観に基づいて書かせてもらいました。 (私はこれを個人主張と読んでいますが)

これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

目標を何に据えるか、という事ですね。
やはり師事する方により大きく違うみたいですね。

お礼日時:2006/09/03 11:32

武道経験は色々有りますが合気は是非やってみたい武道です。



塩田剛三先生が生前 実践で戦う道具としての合気の時代は私で終わったこれからは人の和としての合気の時代だよとおしゃっていたと聞きます。

それ故に試合も無く単に強くなる(護身術や喧嘩に勝つ)と言う意味だけ取るならば 時間も掛かり難しいのではないでしょうか?
少林寺拳法なども同じだと思います。

今の合気道が目指しているものはもっと奥に有るのだと 勝手に思っています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

合気道にはK.Oだとかダウンという概念はないのですね。
精神鍛錬的な要素が大いにあるようですね。

お礼日時:2006/09/05 11:17

合気道協会の者です。

(長文失礼します。)
 型のみの会の事は判りませんが、乱取りという試合形式の稽古では、ある程度上手くなった実感は沸くと思います。
 ただ、護身とか実践とかは絶対的なものでありません。合気会や養神館の様な型を学ぶ所でも泥棒を撥ね退けたりした人はいますし、格闘技のプロでも素人に傷つけられたりしますから。

 これは私見ですが、合気道の類の武術は日頃使用しない筋肉を使ったり、技に入る為のタイミングと動きを覚えなければなりません。型は、その動きを筋肉に覚えさせる為の練習なのです。
 とはいうものの、白帯でも基本を忠実に練習すれば、100回に一回ぐらいは上手くいきます。私も白帯の時に、相手が飛んでしまって慌てた事がありますし、逆に後輩の技で飛んでしまった事がありました。
 上手くなる為には、回数よりも忠実に型を再現する事が大切です。合気道は野球のように千本ノックを受けても、千日行を積んでも絶対に上達しないのです。

 ちなみに、合気道の基本は崩しです。ですから試合形式がなくても上達は充分に自覚できます。例えば、それまで力いっぱい加えてかけていた技が、軽い力でかけられた時や、相手の体が軽く感じられた時は、力技から手技に変った瞬間です。あとは如何に力を加えずに技をかけられるかが問題です。その回数が増えていくことが上手くなっている証です。

 でも、やっぱり難しいのに間違いはありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>例えば、それまで力いっぱい加えてかけていた技が~
こういった体験は確かに「実感」できるかもしれませんね。

お礼日時:2006/09/03 11:36

合気道が難しいと言うのは、簡単に言うと師範や先生の教えがどうのではなく、


言われたことが実感できないので、理解ができないからだと思います。
柔道や空手は直線的でどちらかというと力対力で抵抗する相手を力で崩しねじ伏せるので、自分の意志と一致するため実感ができ理解がしやすいのですが、
合気道は技を掛けても自分の意志に関係なく相手が倒れるので自分の中で全く実感が沸かないのです。
それと、動きでは柔道や空手にはない入り身,転換,転身が重要な動きとなりこの組合せで動作が完成しているので、端から見るとダンスをしているように見えてしまいます。
でも、この動きは非常に重要でこの動きができるようになると力に頼らずに相手を倒すことができるようになります。
逆にこの動きをいい加減にやっている人、重要性を理解していない人は幾ら何十年稽古しても上達しないと思います。
わかりにくいかもしれませんが、ゴルフでも同じ事が言えるのですが、力任せで振ってもボールは全く飛ばないって知ってますか。
逆に力を入れない方が飛ぶのですが、この理由は力をいれると小さい筋肉を使うので小手先で調整してしまうのでクラブの芯から外れて全く飛びませんが、力を入れないと大きな筋肉を使うので小手先で調整ができなくなりクラブの芯に当てることができしかも最大の力が出るので驚くほど飛びます。
合気道も同じで大きな筋肉を使い相手の弱点を責めれば非力な人でも大きな人を倒すことができるので、護身術になると言われています。
しかし、護身として使えるようになるには先程言いました動きや技の掛け方を理解するのに数年かかりますし、次にそれらに技の応用ができるようにならなければ使うことは出来ないと思いますが、応用は一般の稽古ではなかなか教えて貰えないので、稽古後の自主練習か他道場かもしくは柔術を習うかです。
それでも、数年は掛かると思います。
なぜ、稽古で応用を教えないかと言うと応用は危険な技が多いので禁じ手になっていることが多いため、あまり教えないのです。

>「合気道が身に付いた」というにはいったいどれだけの期間がかかるのでしょう。
私見ですが、期間は人により大きく異なりますので何とも言えませんが、合気会では3段以上になると補助として教えることが許されますので、3段以上になればある程度身に付いたと実感ができるのではないでしょうか。
ここで身に付いたは動きと技のことですので、本当の合気まで身に付けることはできないと思います。
それと、週1回、2回 2時間の稽古でも集中してやれば早い人では数年で初段になりますので、それぞれの考え次第だと思います。
あと稽古の時は遠慮をしないことですね。
合気道の技は非常に痛いので、どうしても避けたり遠慮したりしてしまいます。
柔道や空手で遠慮して稽古していますか。あまりしませんよね。
合気道でもやはり出来る限り遠慮しないで稽古すれば上達も早くなりますが、相手によってはある程度力加減をしないといけないのも事実です。
合気道に試合がないのは、合気道は争う目的ではなく己の自己鍛錬をする武道としたいため、試合をなくしたと聞いています。
それと、当初合気道は門外不出となっていたのですが、2代目道主が一般に広めました。
しかし、開祖は一般に広めると自分の教えが歪められるので、本来の合気道ではなくなると言って特に嫌ったと聞いています。
でも、私としては合気道に振れて得る物は多くありましたし、これからも多くのことが学べると思っています。
合気道に対しての意見・賛否はいろいろありますが、それぞれが信じたことをすれば良いと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

詳しい説明で合気道がどんな感じなのか
なんとなくわかりました。
自分の気持ち次第ですかね。

お礼日時:2006/09/02 11:20

動きや形が難しいかなんてごたくを並べる以前に、


試合がないのだから比べることが出来ないのと違いますか?
動きが華麗だからといって、ものの役に立つかどうかなんて試さなければ分からないですし。
試さずに分かるようなレベルなんて、どの武道だって何十年もかかりますよ。

また、真の合気を身につけた人は過去に一人しかいないと言われるように、
ほとんどの合気道はダンス以上の域を出ないと思います。
誰も出来ないから、誰も教えられない。
形に先人の知恵が詰まっているかもしれないが、それを読み解くのは個人では不可能。
体系を整え組織を整えている空手だって、未だに全ての形の技が解読されていないのですから、
試合がない、つまり道場が孤立しているような状態では、個人もそして全体としての成長も遅くなるでしょう。

簡単に言えば、目標がないのに1日何時間も勉強してみろ、できないでしょ、ということ。
いつか役に立つかもしれない、ではいつまでも身につかない、ということ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

単純に武道に縁のない人間が聞きかじった疑問です。
経験者の方にごたくと受け止められてしまった事をお詫び致します。

お礼日時:2006/09/02 11:16

>「合気道が身に付いた」というにはいったいどれだけの期間がかかるのでしょう。



才能による、としか言い様がありません。
自分の10年間が、週3~4回・1~2年に追い抜かれたときには凹みました。

護身を意識しない師範の下ではどうしてもディフェンス能力が上達しにくいですし、試合の無い会派では攻撃(護身のための)を仕掛けることもありません。
十分に技を知り・使え・伝授でき・護身を重要視する師に恵まれ、稽古の無い日も自室で身体を練り続けることを忘れなければ、「同程度の練習量」の他種格闘技と十分に渡り合えると思います。

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以下は私見です。

合気道が難しい原因は、身体の使い方や技の利かせ方(関節技ではなく崩しの類)を教えるためのシステムを持たないことでしょう。
これらの技術・感覚は、個々人が型・受身・見取り稽古の中で見出すものだと聞きますし、教えない(教えることができない?)師範もいます。(柔術ですが、私の地元には受身・見取り稽古3年間で見出せなければ破門、が基本方針の流派があります)。
一方、例えば柔道では(柔術時代には部外秘であった)崩しの理論を入門当初から学習させ、実践を通して身につけさせています。

技術伝授の方法が確立していて実践有りと、確立していなくて実践無しでは、同じ稽古量であれば勝負にならないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

師事する方でかなり違ってくるんですね。
合気道は会派でそんなに違ってくるというのは驚きです。

お礼日時:2006/09/01 23:54

上達の方法は個人のやる気も大事ですが、指導者や稽古方法でも大きく差ができると思います。


1時間の稽古を週2回ほどでは大きな成果は期待できないかも知れませんが、方法によっては成果の度合いは違ってくると思います。
振り返ると上手くなったと思ったことはありますが、物差しがありませんので難しいのでしょうね。
所属の道場で上手いと言われても、他の道場では全く使いものにならないということもあります。
東京都の指導者講習会などに行くと、有段者間でもかなりのレベル格差があります。
また合気道の稽古は受けと取りで決まった技を交互に行いますので一種の決まりごとのようになってしまい、実践でどうかといった疑問が沸いて来ます。
本部の師範、指導者クラスの先生や他の道場の有段者の方々には強いと思われる方が多く居ることも事実なのですが、私は20年近く合気道を稽古して思うことは、あくまでも楽しみのレベルだなと言うことです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

合気道は「強くなる」というよりも合気道という枠の中で、
それも今自分が稽古している道場で「上手いか下手か」という感じになるのでしょうか。

格闘・武術、護身というよりも健康増進の太極拳などに近いイメージでしょうかね。

お礼日時:2006/09/01 23:49

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