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プラトンとアリストテレスの理論がわかりません。
頭の中がごちゃごちゃになっています・・・。

プラトンは理想主義で、アリストテレスは現実主義。
プラトンの理論で考えると、夢は叶わない。
アリストテレスの理論で考えると、夢は叶う。

これは正しいですか?(間違っていたら訂正お願いします)
また、夢が叶うか叶わないかを例にして、これについて説明して頂けませんか。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

夢が叶うか叶わないかを例にしてプラトンとアリストテレスの理論を比較相対するという非常に面白い視点の質問なので個人的な意見を書かせて頂きます。


(回答というよりは、あくまでも個人的な意見ですので語弊・誤解・偏見などもあるかもしれませんが御了承ください)

プラトンとアリストテレスの理論の比較・相違については既に回答されてますので、夢が叶うについてに焦点を当てて・・・

アリストテレスは三段論法で有名な演繹法を体系化しました。
いわばアリストテレスは演繹的理論。

逆にプラトンは本質を見極めようとする帰納法的理論。
帰納法は、確率(可能性)の要素も多分に含んでいます。

夢を実現するということ(実現できる)は、階段を一段ずつ上っていけば夢は叶うという考え方・捉え方をするならば、演繹的なアリストテレスの理論で考えると夢は叶うということになるでしょう。

でも、夢を実現するということ(実現できる)は、可能性を引き出し、可能性の実現が夢だという考え方・捉え方をするならば、帰納法的なプラトンの理論で考えると夢は叶うということになるでしょう。

要するに、夢をどう定義する(夢の捉え方)かによって変わってくると思います。

プラトン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%A9% …
アリストテレス
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AA% …
演繹
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E7%B9%B9
帰納
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B0%E7%B4%8D
思考法-演繹法と帰納法
http://www.abysshr.com/mdklg010.html
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>プラトンの理論で考えると、夢は叶わない。


>アリストテレスの理論で考えると、夢は叶う。

人間の歴史を見て、結果はとうに出ているとするか、何億年か先に結果が出るとまだ期待しつづけるのかは、それぞれだと思いますが。。。

私の理解は下記のようなものです。
正しくないかもしれないし、中途半端な理解かもしれませんが。

プラトンは、「幸福とはなにか」「いかに生きるべきか」の探求者で、結局は「いかなる共同体を構成するのが人間にとって幸福であるか」を考え抜いたようです。(国家論)

<ギュゲスの神話>という物語を通して、「人間の原理はこうじゃないか」というものを語っています。
羊飼いのギュゲスはある時、姿が消える指輪を手に入れた。
ギュゲスは直にその指輪を使い姿を消し、王妃を犯し、王を殺し、権力を手中に収めた。
<姿を消す能力を得たものが、何もしないでいるわけが無い>というのが、プラトンの考えです。
もし姿を消す能力がありながら、何の悪事もしない人がいたとしたら、それは世にも憐れな愚か者に違いない とした。

<表向きはまったく善人と思われ、実際は悪事の限りをつくし、しかも! 誰にもその悪事が知られることなく、善人だと思われている。>

では逆に本当の正義の人とはなんなのか。
どうやって見分けることが可能なのか。
「いい人」だという評判を一切とりはらう必要があるとしたわけです。
なぜなら <いい人> という評判がくっついていたら、その人が評判のためにいい事をやっている可能性があり、その代償としていい評判や褒美が与えられている可能性があるからです。

だから一切 取り払い、なに一つ不正を働いていないのに、不正であるという評判を与える。
鞭打たれ、拷問にかけられ、磔にされても、死に至るまで正義の人で在り続けたならば、結果評判とは関係なく、その人の本性が正義だと証明される、としたわけです。
(このプラトンの思想が、後々イエス物語の作者に影響を与えたようです)
物語の中では一切が取り払われた人が処刑されたとなり、集団は至福の時を迎え幸福になったのか?
その集団から、略奪・侵略・破壊・殺人の文字は彼らの成す行いには皆無だったのか?
皆無ではくても、少なくなったのか? それとも逆に・・・・
わたしが言う必要はもはや無いですよね。

プラトンは国家論の中でこうも言っています。

彼は善き(上記の)イデアを見るところまで登りつめたのは、再び洞窟の囚人仲間に元に降りるためだったとしています。

何故降りるのか。
それは、国の中のある一部分の人が浄福になることではなく、国(集団)全体のうちにあまねく幸福を行き渡らせることこそが、正義の求めるところだとしたから。

そしてこうも言っています。

『その国(集団)において支配者(指導者・導き手)となるべき人びとが、支配権力を積極的に求めることのもっとも少ない人間であるような国家(集団)こそが、もっとも善く収められている国家(集団)なのではあるまいか。』

理論上は国家(集団)はすみずみまで至福に満ちるとなりますが、現実は、、、、
どこが間違いだったのでしょうね。



アリストテレス。
彼は運動の始源(原理、根拠)について考えました。
机、服 これは自ら活動しません。
車は活動する? 人間によって操作されているのであって、自ら活動しません。全て人工品です。
それら人口品は、存在者として存在するという始源(原理)を彼らの内に持ちません。

人間はどうか? 運動と静止を操る。
人間は内に始源はあるとアリストテレスはしています。
ではその始源とななにか。
土、火、空気、水が始源つまりアルケーだと考えました。
(ここから錬金術=アルケミーになったのかもしれません)

アリストテレスはその始源はただ無秩序に存在するのか、それとも何かになる目的を持っているのかと考えました。
アリストテレスは、秩序・目的を内在して存在している考えました。
なぜなら、夏に氷が張ることはなく、どんぐりの実がキリンになりませんから。
そこから、人工物ではないものは、自らの中に自己形成の原理を内在しており、(どんぐりの実はどんぐりの木にしなからない)、人間は自分の存在の仕方を決定する原理を内在し、それを言動により形となし外に現している(実体化している)と考えたようです。

こう考えると人間の運命は既に決まっており、必然的に自らがあるべきようになっていっているにすぎないとなるのでしょうか。

アリストテレスの思想は<限界>というものがあるようですが、後世ではその限界を突破するものとして、<錬金術>という思想が生まれた?ようです。

こうしてみるとプラトンは理想論で、理想は理想ですが、あっさり現実によって否定されてしまい、アリストテレスの理論では現実を証明したとはならず、ある分野の人にとってみては利用できる好都合な思想ですが、その理論には欠陥も多いように思います。

この2人の思想は、理想がかなう、かなわない ではなく、2人とも理論が未完成というか未熟だと思えます。
現実どうであったかとマッチしなければ正しいとは言えず、吟味する材料が限定でしか成り立たないのであれば、普遍とも言えない。

でも古代の人はすごいこと考えたなぁとは関心しますし、古代に彼らの思想があったので、構成のヒトがそれを吟味することができたわけで、彼らの思想なくしては、現代の哲学は無いと言っても過言ではないですよね。
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>また、夢が叶うか叶わないかを例にして、これについて説明して頂けませんか。



この”夢”が何を指しているのかよくわかりませんが、例えば「ホンモノの○○になりたいっ!」というような夢を持っていると仮定して、プラトン的に考えるとそれは無理だということになりますね。なぜならいくら現実世界ですばらしいモノになってもそれはホンモノではなくイデアの模倣に過ぎないと考えるからです。

アリストテレスはそういうモノの本質(イデア)みたいな考えを否定し、現実世界のモノとモノの関係にこそ本質があるというように考えます。この世界でその人が「ホンモノの○○になりたいっ!」と思って、実際になることができれば、その人はホンモノです。

こういう意味なら

>プラトンの理論で考えると、夢は叶わない。
アリストテレスの理論で考えると、夢は叶う。

と考えて良いと思います。
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 アリストテレスは、プラトンのもとで20年間学びますが、やがてプラトンのイデア論を批判して、独自の思想を展開させていきました。



 まずプラトンは、真の実在はイデアの世界(完全で永久に不変な精神世界)にあり、現実の個々の存在は、仮の姿(生成消滅し不完全な世界に属しているもの)に過ぎないと考え、イデアの世界と現実の世界を区別する二元論の立場に立っていきました。

 これに対してアリストテレスは、「私たちは、私たちの知っていることから始めなければならない」として、プラトンの考え方を、詩的で空虚であると批判していったのでした。例えば彼は、美しいということも、現実世界にある美しいものを離れては存在しないとしたのでした。実際、現実の存在から離れたイデアは、単に考えられたものに過ぎず、そのようなものを、真の存在とすることはできないとして、一元論を唱えたのでした。そして、もしプラトンの言うように、イデアの世界だけが真の実在であって、現実の姿は仮の姿であるというのであれば、この現実世界は無意味なものになってしまうとして、個々の現実こそ大切にすべきであるとする、現実主義の立場に立ったのです。

 簡単に言えば、アリストテレスは、川の「岸辺に立っている木」こそ真の実在であるとしたのに対し、少し、難しく考える傾向のあるプラトンは、「川面に映っている木」が真の実在であると考えたのです。ものすごく曲解したような例えですが、まんざら、はずれた答えとは言えないと思います。・・・なお、「夢が叶うか叶わないか」について、何を意味しているのかよくわかりませんでした。
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