プロが教えるわが家の防犯対策術!

人生は生まれたときから平等ではないって言われていますよね?

生まれるときは、もちろん親の環境の違いなどありますし、特に死に関しては死にたくないのに戦争、病気・怪我、事故、他者からの生命を奪われたり・・・
はたまた生きる希望を失い、死にたくなって自分で命を絶つ自殺をしたりしている。

このような死に方も違うし、いつ死ぬかわからない中で生きることを考えると、勉強したり働いたりするのがばかばかしくなるなーと思います。
しかしそれだと人間社会が成り立たないし、死を考えていたら何もできなくなってしまいますね・・・
恐らく自分のやりたいことは全部できて、もう何も思い残すことはなく悔いも残らず死ぬことができるのはほんの一握りだと思います。

極端ですが、人間も弱肉強食が激しい動物の世界と同じなのかと思います。

四苦八苦という言葉もあるとうり、人生は苦悩、苦痛だらけですね。
快楽等もないわけではありませんが、少なくとも苦と楽では苦の割合の方が多いと思います。
ということは、わざわざ苦しむために生まれてくるということでしょうか?
どうせだったら楽が多い人生のほうが良いと思いますが;;

まぁこれに関しては価値観の違いなどから万人論にはなりませんが、少なくとも苦があるのは確かです。
今いる世界の人生を経験することで別の人生にいけるのならわかりますが、死後どうなるかわからない以上この世界の人生だけで終わると考えられます。
生や死が平等ではない世界をどうしたら安定して生きることができて、自分の存在を確固たるものにできるのか。

考えたらキリがありませんが、みなさんのこの不平等な人生に対して何を信じて生きるか、または人生の考えを教えてください。

<不適切な表現もありますが、お許しください>

A 回答 (6件)

人生は平等じゃないよ。


動物の世界だって、草食動物と肉食動物がいるじゃないですか。どっちに生まれたいと思っても、決めることはできません。
でも、ひとつだけ確実なことは、全ての生物は生まれてくる限りは死ぬってこと。

動物は死ぬまで、自分が死ぬと思っていない。いや、死の概念すらないかもしれません。だから、自分が動かなくなるまで精一杯生きる。死という概念がないから、動かなくなったときが終わり。それが人間との違いです。
そもそも動物からみれば、人間が不幸だろうが楽に生きようが、みんな同じなんじゃないでしょうか。ただ生きてるだけの動物にとっては、人間の苦悩などどうだっていいことだと思います。
ちょっと思考を動物寄りに考えてみればいいのではないでしょうか。
>死に方も違うし、いつ死ぬかわからない中で生きることを考えると、勉強したり働いたりするのがばかばかしくなるなーと思います。
わかるけど、いつ死ぬかわからないってことは、明日死ぬかもしれないけど、もしかして80まで生きるかもしれない。80まで何もせずにただ生きてるだけなら、そっちのほうが馬鹿馬鹿しいし後悔することないですか?死ぬときの後悔は少ないほうがいい。
人生は苦しいって言うけど、それでも生きてるのはなぜ?
苦しいかもしれないけど、楽しい事だってある。楽ばかりの人生だと人間腐ります。苦しいこともあって、ちょうど釣り合いが取れてます。
苦しみのない人間なんていない。どんなに楽して生きてるように見えても、その人にはその人の苦しみがあるんだから。
自分は自分、他人は他人です。人と比べるから妙な考えにいたるんでしょ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

一つ誤解していらっしゃるようですが、別に自分は他人と比べて自分は不幸だとは思っていません。
ただ、人生半ばの若くしてなくなってしまう方を見ているとやるせない気持ちになるからです。
同情しているわけではないです。
もし自分が同じ運命をたどっていたらと思うと、後悔ないように生きなくていけないなと思ったからです。

仮定の話をしても無意味だと言われればそれまでですが、いつ死んでもいいような覚悟をみなさんはどうやって持っているのかと思って質問しました。

しかしながら回答は参考になりました。ありがとうございます

お礼日時:2006/09/17 18:40

おはようございます。


生まれた時から不平等なのは、それも個性なんじゃないでしょうか。

人生は苦痛だらけ・・・とありますが
今週の苦痛の数を数えたり、来週の苦痛を予想していたらきりがないし一個人の器に収まりきらなくなってそれこそ苦しいと思います。

だから快楽(楽しいこと)の数を数えるほうが気持ちが良いし生活を営む励みにもなるというものではないでしょうか。

私は人生の中で苦しさと楽しさのろうそくの長さは同じ長さであると思っています。ずっと苦しいときは苦しいろうそくが燃えていたけど今度は楽しさのろうそくが燃える番だと思って日々をがんばるようにしています。

>生や死が平等ではない世界をどうしたら安定して生きることができて、自分の存在を確固たるものにできるのか。
ですが、ある程度自分中心に考えないと周りの人に飲み込まれちゃうと思います。後は謙虚さと自分に自信を持つことだと思います。
    • good
    • 0

私は世界は間違いなく不平等だと確信しています。


ですがそれを悲観しているわけではありません。不平等であることは多様であることの裏返しであるからです。
真に平等な世界は多様性を排除するディストピアでしかないはずです。
    • good
    • 0

私も教えてほしいなぁ・・


自分のやりたいことは全部できて、もう何も思い残すことはなく死ぬ人って居ないんじゃない?あなたは若い人ですね、きっと。
命の期限を切られた時、例えそれまで死を願っていた人でも死にたくない、遣り残した未練が出てくると思いますよ。
人類だけが「死」を知ってしまったから色々悩む。受け売りです。
他の生き物は「死」を知らない、だから前向きに生きるだけ。
食物連鎖の頂点に居る人類は確実に数が増えますからね・・頭もいいし。
人類が生き残るためにはある程度死んで適正な数に調整しないといけない、ではどうするか、DNAも考えてるんじゃないですか。病気、自殺、犯罪、戦争・・破壊と創造。人類の天敵は人類か?
自然界では白熊のオスは偶然見かけた若い白熊(我が子かもしれない)がただの「獲物」にしか見えないそうですよ。生きることにここまで純粋でいられたらこんな悩みも生まれないでしょうね。
    • good
    • 0

不平等という主張の前提に、平等である世界が存在することが前提になっています。

そもそも、私は平等というものなど無いと考えていますから、不平等だから人生は苦痛で意味がないとは思いません。不平等な世界に自分が立っているという認識で十分です。不平等な世界で生きる事を放棄するならば、世界に平等が無い事に気がついた時に死を選んでいました。

もはや、不平等がこの世の前提なので考えても仕方が無いし、むしろあなたもおっしゃる通り考え過ぎるとかえって何も手につかなくなるし、不幸な物思いです。持って生まれた才能や環境も含め、このヒエラルキー(階層秩序)の中で、如何に自分が幸せな生き方かを個人は追求するしかありません。

単純に言えば私の思想は「唯物論」です。平等や自由は、民主主義国家が(日本の文部科学省)人民を統治しやすいように実しやかに教育して、個人に自己責任に仕立て上げた概念です。生まれつきの特性や環境ならまだしも、社会システムが、そもそも弱者を切り落とすシステムです。

そんな世の中で、過去や政治に怒りをぶつけるよりも、自分が今何をすべきか…という未来を、地に足をついて生きる方法を模索するしかありません。霊魂がどうだとか神に祈っても私は意味がないと思います。

今、何をするか。未来を楽しめるだろうか。そも、今を楽しめているか。悪い考えに向かうのはきっと疲れているからだ…寝るしかありません。この世は「こんなもんだ」くらいに認識して、今を最善に尽くすのが私の思想です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確かに気楽に物事を捉えることが先決かもしれませんね。
もはやあれこれ考えたところでどうにかなるわけではないからのんびり生きることにします。

お礼日時:2006/09/17 18:08

>わざわざ苦しむために生まれてくるということでしょうか?


>どうせだったら楽が多い人生のほうが良いと思いますが;;

 苦しむ為では、ありません
私の尊敬する「丹波哲郎」氏は、

「人生は、修行の場」と言っています。
修行は,楽しい事もありますし苦しい事もあります。

 「丹波哲郎」氏の代弁をしている
嘉門達夫 氏の「タンバでルンバ」を
聞いてみましょう
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、人生は修行の場ですか^^
なかなか良い考えですね

お礼日時:2006/09/17 18:04

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!