プロが教えるわが家の防犯対策術!

高1男子です。

高校に入ってから非常に思うようになったのですが、学校のパソコンの授業(情報A)は、パソコンの苦手な人やパソコンやネットが家にない人を、明らかに置いてけぼりにしていると思います。

先生は、家にネットがない人のことは全く視野に入れずに説明をするし、
ワードを使う時も、ぽんぽんと説明をし、他の人はついていってるようですけど、パソコンはあまり得意でない僕は、いつも他よりワンテンポ遅れてあたふたして横の人に常に何かを聞きながら作業をしています。

それに、こういうのは、「一番遅い人に合わせて走る」っていうように、「一番出来ない人にあわせて進めていく」ものではないでしょうか??(これは僕の主観かなぁ。。)

正直、高校のパソコンの授業は嫌いです。


あと、これは中学時代からですが、もうひとつ思っていることがあります。

学校は、課題を出したりするとすぐ「図書館やインターネットで調べなさい」「今の時代ですから、インターネットを使えば色々調べられるでしょう」とか、そういう発言ばかり聞いて、パソコンが家になかった頃の僕は、本当に劣等感を感じていました。「ネットがないと負け組みだ」と親に言い続け、中3の夏にパソコンとネットがついてからは、色々できるようになりました。


こういったことについて、皆さんの考えや経験を聞かせてほしいです。

A 回答 (15件中1~10件)

本来はレベルに合わせてクラス編成をやって、授業を進めるのが本筋と思います。


パソコンと言っても、初めてキーボードに触れる方からプログラミングをやっている方までいるわけですから、初心者、中級者、上級者に班分けして、別々の課題を出してやるとよいと思います。
差別と感じるかも知れませんが、上級者が今更キーボードの打ち方とか起動のやり方などを説明されても退屈してしまいます。
初心者でも飲み込みのよい方はどんどん自習して、上のクラスに上がっていけばよく、全員が同じ速度と言うのはあまりに効率が悪すぎ、例としては現在のあなたの学校の中途半端なやり方では、あなたが感じるように、初心者は判らず取り残され、上級者には無駄な時間を過ごすことになりかねません。
初心者にはきめ細かい指導を行い、上級者にはどんどん複雑なことを教え、班の入替えは頻繁にやって活性化させる、パソコンは特にそういった指導が可能な科目なので、改善の要はあると思います。
最近ではパソコンが家に無くても、ネット喫茶とか図書館とか置いてあるところは多く、Wordなども互換ソフトのOpenOfficeのWriterがネットで使えますから、どうにでもなる話です。
このあたりはやる気の話で、極端な話、家にパソコンが無くても、無料か格安で使える施設はありますから探すことは可能で、ソフトもフリーが幾らでもあります。
そういうことを含めて「調べる」ということになり、若いのですから、どんどん自分でやってみればよいですよ。
お金が全くなくても、リサイクル法の影響で、古いパソコンならタダであげるという方もいますから、そういうパソコンを貰って、Linuxを入れてみたり、フリーウェアで頑張ってみたり、やる気のある方はどんどん自分でやってますよ。
判らなくても、図書館ではパソコンの練習本も置いてあり、「お金ない」「知識ない」でもやる人はやります。
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それは単にその教師の力量が無いというだけのことでしょう。


一般論で語ることではないと思います。
それともそのパソコンと同じような内容の講義を5人の教師にして貰って全員同じだったでしょうか?

なお、本当に優秀な人が教師になることは希です...。
生徒の方がおつむの中身は格上であることはよくあります。
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それは情報Aだからじゃないでしょうか。


私の高校は高2になっても情報Cです。
情報Cは基礎みたいなもので、小学校や中学校で習ったのと同じようなことをしてます。

私の学校は情報の授業には大して力を入れてないのか、情報の授業もあまりないし、進度もものすごく遅いです。

出来ない人に合わせてくれる先生もいるけど、そうやってたら時間が足りなくなるわけで…
ほとんどの先生は平均くらいに合わせてくれてると思います。
先生が言うには、「できなかった人は休み時間にでもいいからちゃんとやっとけよー」。数学の話です。

>学校は、課題を出したりするとすぐ~
私の住んでるところは田舎だからか、学校のパソコンを使わせてくれてました。

でも、「みんながPC持ってるわけではない」ってことはわかっててもらいたいです。

文がおかしくなってすみません;
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 残念ながら、「出来ない人に合わせる」という考えは誤りです。

高校は入試等で学力が均されているはずですから、努力で補えるはずです。出来ない人は死ぬ気でついていくしかないでしょう。
 ただし、「死ぬ気になる機会」も与えないのだとしたら、学校側にも問題はあると思います。月1時間でも補講の時間を設けるとか、1台でも生徒用のPCを用意するとかするべきだと思います。

 「東大生は金持ちの子どもばかり」統計を誇張したものであり、金持ちでなくとも東大に入る人はいるのです。最低限の扶助と最大限の努力さえあれば格差は生じないと思います。
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「東大生は金持ちの子どもばかり」という統計があります。



「高い教育を受ければ良い人生が得られるから家庭がお金を払うべき」という「受益者負担」の論理があります。それがこのような現象の大きな一因であると思います。

これに対して「教育を通じてみんなが個性を開花させれば、社会全体が良くなるから、税金を使うべき」という考え方もあります。
多くの国がこの考え方を重視して、1クラス20人台の少人数定員で授業を行っています。(日本は原則として40人)

人数が少ないと、ひとりひとりの習熟度にていねいに合わせた授業がしやすいし、生徒同士が助け合い教え合う授業もやりやすいのですが、日本では、この点で、講義型一斉授業が中心になっています。

「競争原理によって子どもを鍛える」という方法は、何を生み出したでしょうか。
もうかなり前から、そのレールに乗って「入試までは」がんばる層と、どこか途中であきらめて、「なるべく勉強しないで学校を出る」ことをめざす層とに分離してきているのは、競争原理路線の影響が大きいように思います。(学びからの逃避)

ちょっと大きな話になってしまいましたが、本来は、、「一番出来ない人にあわせて進めていく」というよりも「全員がお互いに助け合ってできるようになる」授業が望ましいのでしょう。
しかし、「そんなことは無理」という先生が多かったとしても、ある意味では当然です。

とりあえずは、担当の先生に、時間がかかる生徒をなるべく切り捨てないように申し出てみましょう。
それで一気に事態が改善されることはないかもしれませんが、現行の教育基本法の精神から言えば、当然の要求なのです。
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#10さんの回答を見て、自分の若い頃を思い出しました。


辛口になりますけど、今も昔も同じことです。
私が高校生の頃は、エアコンがある家は半分以下でした。
夏休みは暑くて勉強が手に付かず、貧乏な私は図書館で勉強していました。
今は知りませんが、私が学生の頃は、エアコンの入った図書館で勉強をしたい学生は多くて、朝早くから並ばないと入れ無かったんです。
級友は山の家のバイトに行ったり、エアコンのある友人の家に一緒に勉強しようと誘いに行ったりしており、労力と言えば、現在パソコンのある家と無い家と同じくらい差がつきましたね。
しかし、泣き言を言っても仕方ないので、先に書いたように早起きして図書館の入場待ちをしたり、信州で民宿の手伝いのバイトを見つけたり、努力はしました。
今の高校生でも、パソコンの有無は努力の範囲内ではないですか?
コンビニやファミレスの店員、新聞配達など、高校生が出来るバイトは幾らでもあり、古いパソコンならタダでもあげるという人はいます。
機械好きな高校生なら、パーツを買ってLinuxを入れれば、立派な自分のパソコンではないかな。
私が持っているパソコンの半分はそうやって寄せ集めた、タダ同然のパソコンで、メモリも数百円で入手しています。
私の上の世代は義務教育でも教科書は有料の時代で、自分で買っている学生も少なくなく、私たちには
「最近の学生は甘えている。エアコンがないと勉強が出来ないのか。」と言われてきました。
今度はなんだか自分が今時の高校生にそういいたい気分です。
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そうですね。


kazuki1225さんがおっしゃってる事もうなずけます。
私も高校生で良く大学の学部・学科について調べてくる課題が出るのですが、先生達は「インターネットの大学のHPで調べてきなさい」って言いますもんね。

もし家にネット環境がない人は、わざわざネットカフェまで行ったり、友達に借りなければなりませんし、ネット環境がある人に比べて時間と労力を費やされますよね。

今の時代インターネットがないと相当苦労する事は確かなようです。
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>一番遅い人に合わせて走る


>一番出来ない人に合わせて進めて行くもの

この考えは間違えだと思います。
そう言う考え方で走っていくと甘えが生まれてくると思います。
結果、二極化が進んでくるものだと思っています。

パソコンそのものはあなたが今ここで質問しているように例えこう言う形にしても勉強になっていくものです。


余談ですが。
娘の通う中学校ですが、先日体育大会がありました。
天候が悪く開催されるかどうか分からなかったのです
が、学校からのお便りには「今後、行事等の開催決定に関してはHPで確認してください」でした。

パソコンの無い家庭は学校に電話したりパソコンのある家庭に電話で聞いたりしていたそうです。

びっくりしましたが、そう言う時代になったのかと痛感しました。
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確かここ1,2年で情報の科目が高校の必修になってるところが多くなったんですよね。


先生は「最近の高校生はパソコンが使えるのが当たり前」と思っているのでしょう。
パソコンが苦手な人や家になくて授業に置いていかれてるのは質問者さんだけではありませんよね?
他にいるのであればその人達と職員室へ文句を言いにいきましょう。あるいは親に相談してみましょう。
いくら義務教育でなくてパソコンが普及しているとはいえまだまだパソコンができない人はいます。
それをわざと授業についていけない人を置いていくのは先生としてやってはいけない事です。
数学とかと違い全員が初めて習うようなものではないですから。
その先生がやってることは差別的行動ととられてもおかしくないので、親と一緒でもいいので先生との話し合いの場を持つことを勧めます。
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私個人の考えで言えば、今の社会で考えると比率によってそれは仕方のないことになるでしょう。



例えば、あなたが好きな事において先生があなたより圧倒的に遅れている人に合わせて、授業が停滞すればあなた自身がどう感じるかというのと同じです。進学を考えるなどが既にあるなら、よりそれに対してもどかしさを感じるでしょう。

人は、自分視点で物を考えるため、今パソコンで苦労していることが、自分の徳育では相手を思いやる気持ちになるとは限りません。そのため、クラス単位で授業を進める場合は、スキル毎に教育レベルを分離しない限りは、多数が支配するのです。これは、社会に出ても言えることです。

もう一つ、考えて欲しいのは苦手や嫌いなら、それなりに自分が努力をしているかどうかですね。ご自身が努力するならば、授業が終わった後に、担当の教師に質問することもできるでしょう。場合によっては、課外で使わせて貰うというチャンスもあるかもしれない。まあ、それは学校の規則によってできないかもしれませんが、それでも苦手や嫌いを克服するチャンスは他にもあるでしょう。友人に教わることもできるかもしれませんからね。

後は、自分がどうするかです。

私は個人的に、私が一番遅くとも、一番遅い人に合わせて走って貰うような同情じみた真似をされるよりは、前に進んで貰い後から追っかける方が良いと思いますが、本来の形ではないかな?

尚、私にも劣等感はありました。私は中学生時代に英語が大の苦手で学年で下から10番ぐらいに入っていました。しかし、努力の賜かなにか分かりませんが、中三から高校では一転して、県内で何番に入るほどになりました。まあ、今は既にほとんど英語が使えませんが・・・

世間や人に対して改善を求めても明日ころっと自分の思った社会になることはまずないです。自分の親が総理大臣などにでもなれば別ですけどね。だったら、自分がそれに合わせられるように変わるしかない。金銭的な問題は別として、多くのことは自分の気持ちと努力で変えるしかないのです。
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