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ベトナム戦争では、アメリカにベトナムが勝ったということになっています。ベトナムは、すごく小さい国なのによくアメリカに勝ったと思います。本当にすごいと思います。今でもびっくりです。 ふと・・・こんな話を聞いたことがあります。ベトナムを旧日本兵生き残りが支援していた? 太平洋戦争を生き残った日本人がベトナムを支援していたのでしょうか?  そう言われてみれば・・・洞窟に立てこもってのゲリラ戦法・・・

A 回答 (8件)

1940~50年代のインドネシアやマレー半島の国々等 東南アジア各国の独立に際しては、旧日本軍の軍人が、個人で支援し重要な役割を担っていたことは有名です



しかし、これも朝鮮戦争の頃までには、一段落しています

いわゆるベトナム戦争は、それより10年以上後の1960年代中頃のことですので、旧日本兵が参加した可能性は非常に低いと思います( 0ではないでしょうが、主要な役割を務めた可能性ほとんど無いと思います)
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この回答へのお礼

そうなのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2006/09/21 05:23

根本的に誤解があります。


ベトナム戦争はベトナム対アメリカの戦争ではありません。アメリカの意向を受けた南ベトナムと、ソ連の意向を受けた北ベトナムの戦争に、アメリカが南ベトナム支援という形で介入したものです。そこから、一見、米軍+南ベトナム軍対北ベトナム軍+ベトコン・ゲリラという構図で、当時の日本では理解されていましたが(と、いうか、そうミスリードされていましたが)、北ベトナム軍はソ連の支援と武器供与を受けていました。
一見、ゲリラ戦が中心となっているように見えますが、戦争後期に入ると、北ベトナム軍は、実質、ソ連軍でした。
戦況も、必ずしも北ベトナム軍が有利だったわけではなく、テト攻撃以前は、むしろ南ベトナム軍+米軍が戦況としては有利でした。では、なぜ米軍が引き上げたかというと、米国内での反戦・厭戦運動が、とくにテト攻撃以降に大きくなり、その影響で撤退せざるをえなくなったわけです。
実際、サイゴンから報道陣が撤退して以降は、ソ連の意向を受けた形での統治が開始されています。

この当時、忘れてはいけないのは、ある国が革命や内乱の結果共産国となった場合、ほぼ確実にソ連が物資、資金、軍事的な支援と介入を行っていたということです。これが露骨に現れたのが、第二次大戦後のヨーロッパですが。ベトナム戦争では北ベトナムの情報は統制されており、都合の良いところだけが流されていました(典型的なのが、ベトコンの村で、今の北朝鮮や昔のソ連のように、西側陣営の報道陣に見せるためのショーウィンドウのような村が存在していました)。一方、アメリカは報道の自由の名の下に、基本的に報道規制を掛けることがあまりありませんでした。南ベトナム政府が腐敗していたこともあり、報道される映像はアメリカにとって都合の悪いものばかりになるわけです。
結果として国内世論が厭戦となり、撤退を余儀なくされました。
(この時の反省から、湾岸戦争やイラク戦争では、アメリカは報道に介入するようになっています)

こういったあたりのことは、1980年代にはよく知られていたのですが、ソ連崩壊後、当時のソ連の影響というものの記憶が薄れたのか、ベトナム戦争当時の、ソ連にコントロールされていた報道のほうが、今ではよく見かけるようになりました。
文春文庫『悪魔祓いの戦後史』(稲垣武)に、ベトナム戦争当時の戦況と、当時の日本の文化人の右往左往が詳細に記録されています。
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ベトナム戦争は戦後すぐに始まりました。


最初はフランスからの独立戦争です。
これに大東亜戦争に従軍した日本兵が参加しました。
もしかしたらこのことを言っているのかもしれませんね。

またアメリカに勝ったではなくアメリカは途中で撤退したのです。
ベトナム戦争後半は旧共産圏に支援された北ベトナム対単独の南ベトナムでした。
アメリカは同じ自由主義陣営の南ベトナムを見捨てたのです。
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フランスからの独立戦争は「インドシナ紛争」ですけどね。


日本の敗北の後ベトナムに戻ってきたフランス植民地軍は、現地に残されていた日本製の戦車や戦闘機を一時期用いていたりしました(後にアメリカ製兵器に更新されますが)。また、彼らと戦ったベトミン(ベトコンの前身)はやはり残されていた小火器や大砲を手に入れていました。この時、残留した少数の日本人がボランティア(義勇兵)として他のアジア諸国の独立戦争同様、使い方を指導したり共に戦ったりしたそうです。
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先日(もしかしたら去年くらいかも)この件についてテレビ番組がありました。



終戦直後、帰国もできず現地の女性と結婚もしくはそのような関係になっていた日本兵がたくさんおり、現地に住んでいました。
日本政府の指示を待っていたところ、現地日本軍のトップというか上級兵(戦後なのですでに元日本軍なのですが、紛らわしいので日本軍・日本兵と書きます)に対して、ベトナムの現地兵から戦い方についての相談があったようです。

これは国家レベルの依頼ではなく、単純に現地の野兵が、大戦中の日本兵の強さや連帯感・規律に従う様を覚えており、日本側の中心人物に依頼する形で始まったようです。
日本兵もやることがないようなので、受諾したという形だったような描き方でした。
で、やることがないので、上級兵の人声で草野球ならぬ草軍事練習からはじまり、次第に日本軍のやり方をそのまま周到して、強くなっていったようです。
これがのちのベトナムでの戦争にも生きてきたようでした。

最終的に日本兵たちには、日本側から現地家族に知らせず、ある場所に集合してこっそり帰国する段取りがつけられており、日本兵は帰ることになりました、それまでに培われた訓練や連帯の仕方・規律などは、受け継がれていたようです。

実際、毎年か何年かに一度かわかりませんが、現在でも当時訓練を受けた元ベトナム兵集まり、昔を懐かしむ会ができており(日本の元兵士の同期会とそっくり)、テレビで、「日本人に感謝をしている、彼らがいなかったら戦えなかっただろう」と述べていました。
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この回答へのお礼

やはり、旧日本兵がベトナム戦争に関わっていたのは、本当みたいですね。

お礼日時:2006/09/24 18:22

思い出したので追加します。



この訓練を受けたベトナム兵たちが、のちのベトナム戦争で現地に借り出された際、リーダー格に抜擢されていった様が、描かれていました。

その頃には、みな30代とかになっていたはずです。
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この回答へのお礼

やはり旧日本軍がかかわっていたことに、間違いはなさそうですね。それにしてもアメリカ相手によく戦いましたよね。わたしは、すごいと思います。

お礼日時:2006/09/26 01:39

ベトナム戦争は、第二次大戦後直ぐに起こった、フランスからの独立戦争と、その後の対アメリカ戦に分類されます。



日本兵が参戦していたのは、主にフランスからの独立戦争時で、戦術などを指導しました。
ただ数としてはそれほど多くなかった様です。

また第二次大戦時の日本軍の兵器が多数現地に残されて、それらを使用して初期の戦闘を行っていたのも事実です。
これらの兵器は対アメリカ戦の初期の頃まで使用されていた様です。

その後中国、ソ連の介入が深まるにつれ、兵器と共に軍事顧問団が派遣されたので、徐々に関わりが減ってきました。


外にも旧日本兵は各地に残留し、列強の植民地支配からの独立に寄与した様です。
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この回答へのお礼

感謝します。日本は、いいこともたくさんしていたのですね。 現地の人も感謝しているのではないでしょうか?

お礼日時:2006/09/24 18:19

 質問に対する回答ではありませんが・・・



 ベトナム戦争によって戦争の様相が大きく変わり、その歴史的意味は極めて大きいものがあります。

 それは、「正規軍対正規軍の激突」という大国同士の戦争から、「正規軍対ゲリラ」という大国対小国の長期戦、というの戦争形態の変貌です。

 大国は「勝たなければ、負け」という条件で正規軍を展開し、小国は「負けなければ、勝ち」という条件でゲリラ戦を戦うことになります。
 そして、正規軍側は、強力な攻撃兵器でゲリラ側の少数の兵士を制圧するときに、多数の民間人も巻き添えにし、巻き添えになった人々の家族・友人がゲリラになるという終わりのない戦いを行なうことになります。
 この流れの中では、大国は小国相手でも絶対に勝つことはできません。

 現在でも、アフガニスタンやイラクでのアメリカ軍の泥沼化など、その流れが変わっていません。
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