アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは。
不敬かも知れませんが、大正天皇のご病状や不可思議な行動について具体的な記述をご存知でしたら教えてください。

私が知っているのは、帝國議会中に詔勅を書いた紙を丸めて望遠鏡のように覗いた事件だけです。内容もうろおぼえです(この事件の詳細も併せて教えて頂ければ幸いです)

A 回答 (4件)

>詔勅を書いた紙を丸めて望遠鏡のように覗いた



これに関しては噂が様々出ていますが、ある方によれば、大正天皇から直接聞いた話として、昔議会で勅書を読もうとしたら天地が反対に巻いてあり、広げたら反対向きになって恥ずかしい思いをしたので、確認した、という話があります。
また、別の説によれば読んだ後、書類を丸めて机の上の三宝の上に置いて退席されますが、手が不自由なのでうまく巻けず、気になって戻って確認されたのを、下から見ていた議員は遠眼鏡のようにして覗いたと勘違いしたという説もあります。

どうも大正天皇は影の薄い方ですけど、非常に人間味のある天皇で、庶民にも気さくに接せられ、皇太子時代は溌剌とされていました。
朝鮮語も学ばれ、会話もできたそうですから、頭脳も明晰で、立派な方だったのではないかな。
健康を害されたのは、恐らく現在の雅子様のような状況だったのではないかと思います。
実像としては、心優しく人間味にあふれたすばらしい方だったと想像します。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

なるほど。ちょっと興味を惹かれましたのでいろいろ本を調べてみます。

お礼日時:2006/09/29 22:07

★大正天皇のご病状は


「梨本宮伊都子妃の日記」小田部雄次 小学館
に詳しく出ています。皇族の方が書いたものですので政府の公式発表よりも事実に近いのではと思われます。
内容をちょっとだけ書くと、大正10年頃(皇太子が摂政になった頃)ことばに障害、一人で立つのが困難、などとあります。
この本には「原敬日記」からの引用も載っているのでこれも参考になるでしょう(私は見ていませんが・・・)

★JR山手線の原宿駅の北に皇族専用の駅があります。療養に出発する天皇の姿を国民に見せたくないということでできたそうです。大正天皇が最初に利用したのが大正15年8月10日で、葉山に療養に行かれました。そしてその年の12月に葉山で崩御されたのでご利用は1回だけだったようです。
このことは「ミカドの肖像」猪瀬直樹、小学館 に書いてあります。
    • good
    • 0

週刊誌的ネタとしては面白いですね。

「帝国議会の開院式で詔勅を読んだ後、大正天皇はその勅書をくるると丸め、遠めがねにして議員席を見渡した。そのあと、丸めた勅書を持って近くにいた人の頭をポコッと叩いた。」というんですから。”#1さんが挙げられているURLのページに読者のレビューが書かれており、その中のひとりmarominjaさんという人は次のように言ってます。
「例として挙げられているのは、全て当時を回想したもので、時期が不明確・其々違うということをのみ理由として、この事件自体の信憑性が疑わしいと言い切ることには無理があろう。寧ろ、時期こそ違え、私は「遠眼鏡事件」に確信を持つに至った。実際にその目で見た黒田長敬・山川健次郎が証言しているのだから。」
証言者の記録を読んで書き込んでいるので、あるいはこの本の著者より信頼度が高いのかもしれません。
大正天皇については雑誌「論座」2000年12月号に「大正天皇 封印された真実」というタイトルで激論が掲載されているそうです。
一般には知られていないことですが、大正天皇はかなりたくさんの漢詩を作っておられ、その中には庶民の生活を暖かく見守る視点で書かれたものがあり、感動しました。また、当時一般には軽蔑されていた朝鮮語を学習されていたそうです。大正天皇についての概略ならWikipediaをどうぞ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%AD%A3% …
    • good
    • 0

下記の書籍を読んだ記憶では、望遠鏡事件は、単なる街の伝説だったようです。



参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022597 …
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!