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日本人という概念では、いわゆる黒髪茶目の日本人だけが含まれるのですか?
国籍という意味では、帰化した方も日本人ですが、いわゆる?日本人にも、
色々なDNAがあったと思います。
(歴史的に見て、縄文人/弥生人あるいは渡来人?)
日本人という、曖昧な言葉が指すものは何ですか?

A 回答 (3件)

 「日本に国籍を持っている人」では不満なのですか?


 もし不満だとすれば、何が不満なのですか?
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この回答へのお礼

意味が良く分からないのですが、お寄りいただきまして、ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/10 18:16

「日本人という概念」を「法律」「文化」「人種」のいずれによって定義するかによって変わってくるかと思います。


質問者さんの言うところの「曖昧な言葉としての日本人」であるならば「日本列島に子々孫々に渡って居住してきている人々」あるいは「日本国籍を取得している人々」と言ではないでしょうか。もっと曖昧な定義にすれば「日本で生まれ、日本語を主要言語とし、日本文化で生活する人」になるかもしれません。
弥生時代に大陸からやってきた人々と混血があったために弥生時代においては「西日本の渡来系弥生人」と「東日本の縄文系弥生人」という大別がありますが、それもその後の混雑により民族的な相違はなくなっています。
文化・民族という点においては江戸時代以前においては本州・四国・九州に居住する人々を日本人と呼んで良いでしょう。
現代的に言えば「国籍」をもって日本人と言うしかないと思います。
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この回答へのお礼

「日系○○人」という言葉があるように、国籍ベースと考えて良いのでしょうね。

日本人という概念がいつ頃からあったのか分かりませんでした。
昔、日本が色々な地域、色々な領主がいた時代は、言語や風俗が大体共通しているという程度で、
北から南までの本州の人たちが、自分たちを全て同じ「日本人」と思っていたかどうか疑問ですけど、
まずは言語と大体の風俗が共通している民族単位で、同じ国の人間と考えていたのかもしれませんね。

豊臣秀吉が朝鮮出兵した時には、自分たち日本人をどういう風に考えていたか、
単に主従関係にあるから、秀吉に従って、各地方の人たちが海を渡ったのか、
色々と考えてしまいます。

どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/10/10 18:15

「日本人という概念(2)」の方で回答が出されていますが、「日本」というのが「土地」ではなく「国家」として認識されるようになったのは明治時代以降のことでしょう。


江戸時代辺りまでは青森と鹿児島では風俗は異なりますし、言葉が通じたかどうかも怪しいです。現代でもお年寄りの東北弁は聞き取りにくいですしね。
江戸時代までは武蔵国や信濃国といった現在の県単位の広さが「ひとつの地域」として認識されていたと思われます。故に江戸時代の文書には「武州の人」などと書かれていたように思いますので、「他国人」という認識だったのでしょう。
秀吉の時代は、あくまで秀吉の臣下であって「日本国家の一員」という認識ではなかったと思います。秀吉の朝鮮半島出兵は、「日本の支配が出来たから次は....」という征服欲が最大の理由でしょうね。
戦国武将達のほとんどは子供の頃から戦続きで、戦で恩賞や領土を得ることにより出世することを目標としていたので国内統一が終わり、その捌け口が海外へ向かった、という一面もあろうかと思います。
いずれにせよ「現代人の感覚」で「当時の感覚」を推し量ろうするのはあまり意味がありません。
当時の時代感覚により歴史を見るべきでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます!

言葉は通じにくい方言も多いですが、例えば文体では共通していたと思います。
漢文だけでなく、仮名という書き方で、本州では意思の疎通が図れたのではないでしょうか?

イタリアと較べるのはおかしいかもしれませんが、同じように地方色豊かで、
地方毎に方言も違い、治めていた領主や土地柄もまるで違っていましたので、
イタリアという概念が詩的なイメージで、比較的近年になるまで国家イタリアという認識が無かったように、
日本も維新後まで、国家日本という認識が無かったのではないか、ということを思いました。

私は西洋史学科で古代マケドニア専攻で、卒論が原始キリスト教時代のローマだった為、
日本史にはいまいち疎いです。
大学卒業して2年半になりますが、今になって、中国や日本の歴史や文化に興味が募ってきています。

お礼日時:2006/10/14 13:53

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