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なんだかんだ大騒ぎして激動の歴史が4年以上続き、最終的にドイツオーストリアトルコは崩壊して終了しますけども、こうなる一番の決定要因はなんだったのでしょうか。
私は、イタリアの寝返り参戦が一番聞いたかなと思います。関が原には小早川、こちらにはイタリアじゃないかと。
フランスが持ちこたえるかどうかと、

オーストリアの消耗→ドイツも西部戦線ではヴェルダンは別にして攻勢できない

ということが効いてくるのではないでしょうか。

A 回答 (3件)

No1の補足です。


私のミスでした。  確かにイタリアは裏切りでした。
しかしイタリアは弱くて連合国側にほとんど貢献できませんでした。

フランスでの戦線膠着状態のバランスを崩したのはアメリカの参戦です。
英仏の弾薬等の補給能力は底を尽き、西部戦線で攻勢をとる余裕はありませんでしたが、アメリカの豊富な工業力と資金により補給が大幅に改善され攻勢に出る事が可能になりました。

当時の攻勢作戦には数百万発の砲弾を費消しました。
ドイツは膠着状態を打破するため東部戦線の兵力を西部戦線に集中したのですが、一旦停戦を味わった東部戦線のドイツ兵には厭戦意識が蔓延していました。
この為兵力は増加しても攻勢には困難でした。
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この回答へのお礼

確かにイタリアはこれといった戦果を挙げないでいます。しかしかなり規模的には大きいのです。
アメリカの後押しは物資的に一番重要なものでした。今回大体決定要因を特定できました。

お礼日時:2006/10/18 08:28

同盟側敗北はイギリスを敵に回している時点で決定的です。


イギリス海軍をどうにかしない限り、イタリアがいようがいまいが、ドイツは干上がり、戦争継続能力を失うことでしょう。
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この回答へのお礼

ドイツ国民のカロリー摂取量は対戦中激減しました。やはり海上封鎖が効いていたようです。確かに決定的な要因ですね。

お礼日時:2006/10/18 08:25

イタリアは最初から連合国側でオーストリアハンガリーに攻め込んでいます。

  裏切りはありません。

連合国側の勝因はアメリカの参戦により軍事力、兵力においてドイツ側を凌駕し均衡が破れたこと、長い戦乱でドイツ国内に厭戦気分が生じ、これに東部戦線でロシアの共産主義に接触した兵士が西部戦線に参加するようになってから軍全体にドイツ、オーストリアの帝政に対する疑問、反対気分が醸し出された事、そして国内に反乱が起こりドイツに戦争継続の力がなくなった事が連合国側の勝因だと思います。
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この回答へのお礼

イタリアは1915年になってはじめてオーストリアだけに宣戦布告します。完全に日和見です。ドイツにはさらに翌年になります。三国同盟の一翼を担っていたわけですから、明らかに裏切りでだと思われます。

ロシア革命に触れた東部戦線兵が沿線気分をあおったというのははじめてしりました。結局内紛が一番大きい戦争終結要素なのかもしれないです。

また、アメリカ参戦は兵力において決定的だったのか疑問です。物量的には考慮にたるのだと思います。

お礼日時:2006/10/16 15:47

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