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ただただ平均余命を延ばすことが本当に幸福に繋がるのでしょうか?国家の財政破綻、医療費の増加、年金体制の崩壊、老老介護の問題、舅・姑を介護せねばならない長男の嫁の負担、寝たきり老人、認知症患者の増加等、長寿=幸福の発想はそろそろ考え直す必要があるのではないでしょうか?
まずは不必要な延命治療の問題から解決していくべきでは?

A 回答 (7件)

こんにちは。



>ただただ平均余命を延ばすことが本当に幸福に繋がるのでしょうか?国家の財政破綻、医療費の増加、年金体制の崩壊、老老介護の問題、舅・姑を介護せねばならない長男の嫁の負担、寝たきり老人、認知症患者の増加等、長寿=幸福の発想はそろそろ考え直す必要があるのではないでしょうか?

若輩ですが、一概に「長寿=幸福」とは言えないと自分も思います。

健康で人から必要とされ長生きできるなら、それはまさに「長寿=幸福」と言えるかもしれませんが、
現実はそう甘くないです。

高校卒業後に、福祉系の学校に進んで介護について勉強し、老人介護の仕事を何年かしました。

その経験から、ですが、
意識はあるが、食べ物を飲み込む事ができず、胃に直接穴を開けて、1日3回流動食(カロリーメイトのようなもの)を流し込むだけ。排泄も勿論自分ではできず、おしっこの管を指し続け、便がでなければ浣腸で無理やり出してしまう。背中には床ずれができて肉が腐り骨が見えている事も。家族にも相手にされず、面会も年に数回ほど。という方もたくさん見てきました。
又は、痴呆や麻痺はあるが家に帰れなくはない、しかし家族が受け入れを拒否し、施設に預けっぱなしになっている方も。
施設でのストレスの為、1日中ナースコールを押し続ける方も。
家族から暴力を受け、体中にアザのある方も。
色々な方(老人)を見てきました。
自分だったら、普通に生活できなくなってまで長生きしたくない、延命治療をして欲しくはないです。

どうして、不必要とも思える延命治療まで行うのか、どうして医療の現場では「生」が絶対的な価値観を持ち、医師は体がどうなろうとも命だけは助けようとするのかと、考えた事もあります。
・・が、「本人や家族がそう希望するから」以外の答えは結局出ず、本人や家族が希望していない延命治療の理由として言えるとしたら、「医療の発展の為」くらいしか思いつきませんでした。
現在、社会、というか科学は、どの分野においても、著しく発展していますが、その一端として、「医療の発展」があり、その中の一つとして、どうすればより延命する事ができるかという課題があるのだろうか、と。
こういった考えは人間として不適切なのかもしれません。
が、素直にそう思ってしまいました。

それならどうすれば良いのか?
「意思表示」をしておくべきだと思います。
意思を表示できなくなる前に、きちんと、周りの人間や場合によっては医師に、「私は無駄な延命治療は望みません」又は「できるだけ延命治療を行って、1分1秒でも長く生きれるようにしてください」などの意志の表示をしておくといいのでは、と思います。
今、臓器提供の意思を示す為に「ドナーカード」というものがありますが、そのようなものがあるとよいのでは、と思ったりも・・。

世間の価値観は日々変化していると思います。
一昔前までは、寝たきりになった舅・姑は長男の嫁が最期まで見るもの、施設に預けるなんておば捨て山に親を捨てるようなものだ、と思われていましたが、今は、がんばらない介護が主流です。
なるべく施設やサービスを利用する様にして、嫁がひとりで重い負担を背負う事のないように、介護保険などの整備も整っています。
介護はプロが行い、家族には愛情を求める、と、「介護」への見方は変わりました。(現実は難しいですが)
施設の中でも、昔は、点滴などの管を抜こうとする方、暴れる方、歩けないのに歩こうとする方は、すぐにベッドに縛り付けられておりました。介護者はどう紐を結べば、より安全に固く縛る事ができるか講習を受けていました。しかし、今の見方は「なるべく拘束しないように」です。縛らなくても、介護者が目を離さない事で、点滴を抜いたり転倒する事を防ぐ事はできるという考えです。(実際には難しいですが)

「長寿=幸福」という価値観も、これからの時代と共に、変わっていくのではないか(どう変わるかまでは分かりませんが)と、自分は思います。
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この回答へのお礼

申し上げる事は何もございません。私も昨年3ヶ月の入院生活でお会いしたご高齢の方々の悲惨さを見て、投稿させて頂きました。
現実論から始めないとこの問題はむずかしいですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/10/29 21:58

その意見ももっともですが、一方で、生かしておけるだけの技術がありながらそうしないのは倫理的にどうでしょうか。



どちらの主張も蹴落とせないと思います。生きるか死ぬか、そうなった時に備えて、元気な時に意思表示をはっきりとしておくのがいいですね。

この回答への補足

>生きるか死ぬか
がある日突然やってくるならば、良いのですが、「まだら呆け」という大変困った事態が最近非常に増えています。実は私の義母(80歳)がそうなんです。

補足日時:2006/10/29 21:59
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現在の少子高齢化・非婚化が進展すると、将来は、両親と祖父母の介護を孫の世代が担わなければならない「2世代介護」や、老親の他に独身の伯父・伯母の介護にも配慮しなければならない「伯父・伯母介護」といったものが社会問題化することも予想されます。


しかし、「不必要な延命治療」の判断基準は難しく、これを単に介護側の過重負担の観点だけから論じられる問題ではないでしょう。方向性によっては、生命の尊厳を毀損する虞もあることですから。
そして、これが難題だからこそ、解決の必要性を説くべきというのが御質問の趣旨であれば、全く同感です。

確かに、「ただ平均余命を延ばすことが本当の幸福に繋がるのではない」との見地から、寿命の長さではなく、生き方の中身・質に価値を見出そうとする「クオリティ・オブ・ライフ」という考え方が社会的認知を受けつつあります。

結局、生命に限りがあるからこそ、懸命に生きるのが人間の本質であって、仮に「不老不死」が現実に招来したら、それこそ人間の尊厳が失われてしまうでしょう。

参考URL:http://www2.health.ne.jp/library/0100/w0100011.h …
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この回答へのお礼

「2世代介護」仰るとおりです。息子が定年で収入がなく、介護資金は孫が出す。私の親族に続出しております。>生命の尊厳、これほどの高齢化社会以前の価値観・倫理観が説得力を失いかけている。
「クオリティ・オブ・ライフ」これがヒントかもしれませんね。

お礼日時:2006/10/29 22:08

不必要な延命措置・延命治療が問題とされるケースも有り得るでしょう。

しかし、医師に「助からない」と言われた後、奇跡的に快復するようなケースも実際にはありますよ!?

単純に平均余命を延ばすことが幸福に繋がるとは思っていませんが、医療費の増加や年金制度の崩壊等国家に財政破綻の危機があるから、不必要な延命治療が問題という理屈は少しおかしいように思いませんか?

あなたが悪意を以って書かれていないことは解かりますが、厄介なのは、世の中にはこういうのを悪用する輩がいるということです。
財政再建の名のもと、国民健康保険料の値上げや難病支援費の大幅な削減等その矛先を社会的弱者に向けることで帳尻合わせをし、その結果、清く貧しく生きている人達を苦しめている連中もそうですし、裏で、談合や裏金作りに勤しみ優雅な暮らしを満喫している連中や、骨太やセーフティネット等と言いつつ何もしていない連中もそうです。

何が本質的な問題かをもう一度良く考えてみることをお薦めします。

この回答への補足

>悪用する輩。そうですね。この数年政府は信じられない様な改悪を平気で施行しましたね。私は障害者ですが、「自立支援法」と称して負担医療費が倍額になってしまいました。
正直言って、私自身はあまり長生きしない方が良いのではと考えるようになってしまいました。

補足日時:2006/10/29 22:10
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仰りたい事も分からなくはないですが、


自分の愛する人だった場合、延命させたくなるかもしれませんね。

日本には姥捨て山があった位で、子孫を増やし子育てして
不必要なは、さようなら。そういう風では
やはり、先進国とは言えませんよね。
極論を持ち出して申し訳ありません、、、

また、長寿=幸福ですが、たしかにそれは変です。

しかし、幸福という価値観も人それぞれですので
このあたりの定義は難しいとおもいますよ。

医療の目的は命を救う事ですし、
家族が見捨てても、法律上は問題が出るとおもいますよ。

難しいもんだいですよね。

この回答への補足

本当に難しいですね。過去の哲学・宗教も想像しなかった異常なほどの高齢化です。しかも現在でも国によってまるで違う。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/1620.html
人類共通の倫理観になりえません。

補足日時:2006/10/29 22:18
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長寿=幸福 という発想について。

。。
「大切な人に少しでも長く生きていてほしい」という気持ちからと考えれば自然かな?と考えます。

ほとんど医療器具の力だけで生きている昏睡状態での延命には抵抗がありますが、
もし大切な人が「絶対に治せない。余命はあと1ヶ月ほど」と宣告されたら・・・
すべての手段にすがりついて、それでも駄目だとわかったら、
少しでも延命してくださいと頼んでしまうかもしれません。

物語などでは、「少しばかり延ばすくらいなら治療をやめて楽にしてあげてくれ」というシーンなども多く見ますが・・・
それを選択することはできません。

この回答への補足

私の父の場合は余命一ヶ月でした。しかし、私の親族は植物状態が9年続いてしまいました。
仰るとおり、医師はまったく「楽にしてやって」をきき入れてくれませんでした。

補足日時:2006/10/29 22:23
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>まずは不必要な延命治療の問題から解決していくべきでは?


それは絶対に違います。
解決すべき重要な問題が他にもっとたくさんあるはずです。
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