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こんにちは。

最近映画を観ていて気になることがあったので質問します。
今年公開された『ユナイテッド93』や『父親たちの星条旗』の中で登場人物たちが出てきて会話をします。当然字幕は下のほうに出るのですが、画面の右上にもう一つの字幕が出ています。なんだろうと思って見てみると、どうやら前者の映画ではそれぞれの場所を示し、後者では主要人物を紹介する名前のようです。
しかし、英語ではそのような「説明」の字幕は出ていませんでした。

このような一種異様な行為は配給を担当した日本側の判断で勝手に行われているのでしょうか?それとも本国からの指示で行われるのでしょうか?何故一つの作品として完成されたものにテレビみたいに説明が入るのでしょうか?経緯をご存知の方がいらっしゃいましたらご教示ください。

また、こういった余計なお節介(私はそう思う)について皆さんはどう思われますか?「そのくらいいいんじゃない?」「あるほうが分かりやすくていいよ」というのが世間一般の声なのでしょうか?
私の場合、特に『父親たちの星条旗』は強い感銘を受けたので何だか映画が汚されたようで残念でした。

注)尚、両作品とも日本を代表する女流字幕翻訳家の方が担当されていますが、この質問は個人を中傷するための質問ではありませんのでご了承ください。

A 回答 (5件)

専門家ではないので、憶測ですが…



まず、前者(『ユナイテッド93』)の場合。
英語版は、基本的にアメリカで配給されたままだと思われます。
アメリカ人にとっては、あの事件はニュースなどでも何度も取り上げられている上、自分の国なので、
“今のシーンで登場した場所”について、注釈がなくてもわかる。

しかし、他国の人にとっては、その場所がどこなのか、注釈がないとちょっとわかりづらい。
『ユナイテッド93』のように、事実に基づいたものの場合、“このシーンはこの場所”ということが把握できないと、観客がきちんと事実関係を把握できないこともあるでしょう。

そんな意図で、字幕が入っているのだと思います。
本国からの指示なのか、日本側の配給の判断かはわかりませんが…。

『父親たちの星条旗』も、事実に基づいていますよね。
アメリカ人にとって、あの登場人物たちは馴染み深い人物(有名人)なので、とくに注釈はいらない。
一方、日本人は彼らをよく知らないため、字幕で説明を入れないとストーリーがうまく把握できない…。

そんな意図ではないでしょうか。
色々映画を観ていて、英語版ではない字幕(地名や人名)があるのは、“事実に基づいたストーリー”ものに多いことに気づきました。

あくまでも私の意見です。ご参考までに。

ちなみに、私はああいった字幕があるのは歓迎です。
単に“映画としてのストーリー”に感動するだけでなく、“事実”の部分を知るためのひとつの指針になると思うので。
映画にすると、フィクション(あるいは、事実を誇大して表現したり)も織り交ざってきてしまいますから…(そうでない映画もありますが)。
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この回答へのお礼

こんにちは。

>ちなみに、私はああいった字幕があるのは歓迎です。
単に“映画としてのストーリー”に感動するだけでなく、“事実”の部分を知るためのひとつの指針になると思うので。映画にすると、フィクション(あるいは、事実を誇大して表現したり)も織り交ざってきてしまいますから…(そうでない映画もありますが)。

なるほど。「指針」ですね。それを「お節介」とうけとらずに「映画をより深く理解する」ために受け入れるわけですね。回答者様のような自然なご意見こそが、私に映画を広い目で見るようにご教示されてるようで参考になります。

冷静になれました。

ご回答に感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 22:09

まず初めに、


父親たちの星条旗=原題は何でしょうか?
ファザーズ~なんとか と言う、原題だと思いますが、
なぜ、父親たちの星条旗 と言う邦題にされたのでしょうか?

日本語の分からない、米国の配給(製作)会社の人が、
邦題は、父親たちの星条旗にしろ!と、指示する事は無いと思います。
日本人が勝手に、訳して付けた邦題です。

同様に、字幕も同じで、
日本語の分からない、米国の配給会社の人では、指示は出来ません。

なので、
日本の配給会社が、勝手に『補足』した、親切な行為だと思います。
(予測ですがネ・・・。)
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この回答へのお礼

こんにちは。

>日本の配給会社が、勝手に『補足』した、親切な行為だと思います。
(予測ですがネ・・・。)

まあ、配給会社の方々も映画を扱うプロであり、観客のことを一番知ってるはずですから「勝手に『補足』した親切な行為」ということになるのでしょうね・・・。(このフレーズはいいですね)

ご回答に感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 21:57

こうした注釈字幕は本当に迷惑です。

質問者さんが感じられたとおり、汚しだと僕も思います。
『突入せよ!あさま山荘事件』や『ラスト サムライ』(出演)の原田眞人監督も、自分のサイトの日記で怒っていました。

参考URL:http://www.haradafilms.com/
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この回答へのお礼

こんにちは。

原田監督と女流字幕翻訳家の方は因縁が深いですね(笑)

この問題に関しては現場のプロの方の様々な意見を聞いてみたい気がします。が、映画ジャーナリズムの間でほとんど話題にならないということは、さして重要なことではないということになるのでしょうか。

「分かりやすい」ということがそれほど重要なことだとは思えないのですが・・・。

個人的な話になりますが、昔テレビのCMでお茶漬けを「ずるずるずぅぅぅ!!!」と音を立てて啜るのがあり、みる度に会社に抗議しようかというくらい腹が立ってたのですが、周りの人がみんな「あーあれ見るとお腹がなるよね!」と言ったのでショックを受けたことがありました。
(ツマラナイ話ですみません)

ご回答に感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 21:51

こういうのこそ、売店で売っているパンフレットで補足したり、舞台公演のように、事前に紙を一枚配布する方法で説明すべきだと思います。



確かに、字幕や翻訳というものは、「文化の違う人同士が同じ感動を味わえるようにするためのもの」だと思いますので、意訳やプラス・アルファな説明自体は、全然否定しません。ただし、それと同時に、「なるべく邪魔にならない」のも字幕の鉄則であったはずです。邪魔になること自体が、「かの地の人と同じ感動」を味わうチャンスを奪ってしまうと思います。

あ・く・ま・で・も・個人的な意見ですが、私は、そういうおせっかいが苦手ですね。テレビなら許せますし、DVDで字幕を外して見るという手もありましょうが、ワイドスクリーンで本物の感動を味わえないなら、どこで味わえばいいのでしょう。

ただし! 『父親たちの星条旗』については“後編”の『硫黄島からの手紙』を見てみないと何とも言えません。『~手紙』がアメリカの観客に対しておせっかいをいろいろとしているなら、公平に、『~星条旗』も日本の観客におせっかいをしていてもいいでしょう。
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この回答へのお礼

こんにちは。

>、こういうのこそ、売店で売っているパンフレットで補足したり、舞台公演のように、事前に紙を一枚配布する方法で説明すべきだと思います。「なるべく邪魔にならない」のも字幕の鉄則であったはずです。邪魔になること自体が、「かの地の人と同じ感動」を味わうチャンスを奪ってしまうと思います。

おっしゃるとおりですね。事前のアナウンス一つでも違ってくるんですよ。「スクリーンで本物の感動を味わえないなら、どこで味わえばいいのでしょう」というご意見にもまったく同感です。この「おせっかい」を焼き入れた方々もその辺は十分議論されたこととは思いますが、最初の小さな一歩が後々とんでもない方向へと進んで行くかもしれないということを認識されてたかは疑問です。

日本を代表する某アニメスタジオのプロデューサーが、話題作りとマニアからの切り離しを図るという確信犯的野心から、吹き替えに素人を使い始め、結果、日本の劇場アニメ文化を破壊してしまいましたが、後になって私は知りませんでは涙も出ません。自戒して欲しいものです。

『硫黄島からの手紙』は本国でも年内公開に繰り上がったようですね。向こうにいる身内が観に行くといってますのでちょっと聞いてみたいと思います。

ご回答に感謝します。ありがとうございました。

お礼日時:2006/11/25 21:38

より内容をわかりやすくするために、翻訳者と配給側の合意の上で行ったことだと思います。



「父親たちの星条旗」をご覧になって、主役の3人以外の登場人物のうち、戦場での20歳代の場面と、老齢になった現在のインタビューに答える場面とで、どの人物とどの人物が同一なのか、すぐにわかりましたか?
ボクは気を付けてみていたのですが、途中でわからなくなってしまったところもありました。
特にこの作品の場合、「戦場」「戦後のアメリカ」「現在」とが何度も何度も入れ替わるので、およそ映画を見慣れている人じゃないと、”話について行けなくなるのでは?”と日本の関係者らが思ったのではないかと思います。

同じような例だとこれも日本軍との戦いを描いた「シンレッドライン」でも同じ戦場なのに各部隊毎に場面がどんどん入れ替わるので、有名俳優以外のところは、なかなか判断しづらいものでした。この作品では役名や場所を表示するような字幕はなかったと思います。

こんなことから、まあお節介といえばお節介ですけど、関係者の”親切心”といった感じで場所と人物名を字幕化したんじゃないでしょうか。

日本語字幕は文字制限もあるので、かなり意訳されていて、これがなんでこんな訳なんだろうってこともちょくちょくありますけど、ひろく一般的に理解してもらうための苦肉の策だと思って、個人的にはこれくらいならばOKってところです。

ちなみに海外の映画祭で邦画を上映すると「字幕」に助けられることはよくあります。場面が変わって少年が大人になっている場面など、「10years later」と出さないと、”この少年がこの青年になってます”と映画が進行してかなり先に行くまでわからない方が多いようです。わざわざ映画祭に来る観客なんだから、それ相応の映画好きのはずなんですけど。
これは欧米人がアジア人の顔を見て、日本人も中国人も一緒に見えてしまうせいなんでしょうけど、ボクら日本人もユダヤ人やアーリア人など顔だけで欧州の人種の区別がなかなかつかないのと同じなんでしょうね。

この回答への補足

ご回答に感謝します。ありがとうございました。

補足日時:2006/11/25 22:10
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この回答へのお礼

こんにちは。いつもお世話になっております。

>より内容をわかりやすくするために、翻訳者と配給側の合意の上で行ったことだと思います。

やはりこういった段取りになるのですね。確かに冷静に考えてみると、私自身も登場人物に関しては少し混乱しました。
『シン・レッド・ライン』はわりかし名のあるスターが大挙して出演していたので何とかなりましたが、本作はエンディングのクレジットを見るまでポール・ウォーカーが出ていたことにさえ気付きませんでした。

ただ、作品構成も含め、あえてイーストウッドは兵士たちの顔を明確に描き分けることをしていないのでは?と思います(スイマセン、釈迦に説法でしたね)が、isoiso様がおっしゃるように、映画は多くの人に観られるために作られるのですから、ギリギリこれくらいまでは受け入れなければならないということになるのでしょうかねぇ・・・。

私も原理主義者ではありませんし、あまりにこだわると「木を見て森を見ず」の結果になることは知っていますので、「親切心」として受け流したいと思います。たぶん日本人を描いた『硫黄島からの手紙』にも出るでしょうから。

それにしてもスピルバーグとイーストウッドの第二次世界大戦ものに出たバリー・ペッパーは羨ましいです。

お礼日時:2006/11/25 21:15

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