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考古学の定義・目的とはなんでしょうか?
定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょうか?あとひとつ、考古学の魅力について何かお聞かせいただけませんでしょうか?よろしくお願いします。

     「古きをしり、新しきをしる」この言葉がすきなんです。

A 回答 (1件)

 


  これは、あくまでわたしの考えで、専門家が見れば、違っているということになるのかも知れませんが、その場合は、訂正を願いたく思います。ただ、考古学の定義などは、専門家でも意見が分かれているのではないかと思います。考古学自身の扱う範囲が広くなって、細分化も起こっているからです。
 
  端的に言いますと、考古学は、広い意味の「歴史学」の補助学、または広い意味の歴史学の代表的一分野・領域だということになります。
 
  それでは、歴史学とは何かです。歴史学とは、端的に、過去を知ろうという学問ですが、過去にどんな事件があったとか、戦争や政治や昔の人などについて知るだけでなく、過去の社会の制度や文化、現代とは異なる構造や文化を持っていた過去の社会の内部で、またそのような複数社会のあいだで、どういう進展や変化があって、その結果としてか、それに随伴してか、何が起こったか、を解明し解釈する学問です。
 
  このようにして解釈され、再現された過去の社会の制度や文化や事象・事件・人物などの経緯を、現代の社会の制度や文化や倫理や思想に対比させて、現代を相対化させる、人間の営みを、過去の社会から現代の社会への、飛躍しつつの連続体であると考え、現代だけで見ていたり、考えたりしていては分からない、「現代の特徴・特性・構造」を理解し研究するの参照するための「過去研究・解釈・再現」の学問が歴史学です。
 
  歴史学では、過去を知り、解釈し、理解し、再現を試みるために、まず、「基本資料」が必要になります。「資料」の年代や信憑性などを吟味する必要もあります。この基本資料を元に、例えば、どこでは、何年に戦争が起こったとか、どこの誰が、ある国で、政治の主導権を握っていたかとか、フランスの人口は、10世紀頃は何人いたのかとか、どういう成文法があったか、またその成文法からすると、当時、どういう犯罪があったか、社会問題があったか、権利について、どういう風に考えていたかなどが、推測されるのです。
 
  基本資料から、何年にこういう戦争が起こった、何年に、誰がフランスの王位についた、8世紀には、ドイツには、どういう国があって、どういう国境があったか、……こういうような、歴史において、ここで何があった、この時はこうであった、という、特定の時間点、空間点における、参照「事実」というものが出てきます。また、社会がどういう姿であったのか、「枠」についての色々な情報ができます。
 
  話を飛ばしますが、基本資料を基にして、色々な事件や歴史の枠についての図式ができても、そこで生きていた人々は、どういう風に色々なできごとや社会の文化やありようを捉えていたのか、よく分からないのが普通です。また、資料では、どうしても分からないことが一般出てきます。歴史学では、ここで「歴史学者の想像力・経験的了解力」というものが問題になって来ます。昔の人が、どういう風に感じ考えていたのかは、現在とは異なるのですが、しかし、人間の行為ですから、現代人との共通性もあるはずです。歴史の資料のあいだから、分からない隙間を、解釈・想像で埋め、全体としての生き生きした「過去の像」を築くことが歴史学者の役割になります。
 
  現在では、多面的に歴史を眺めようとします。歴史の表面に現れる、戦争や政治的事件という、記録によく残っている出来事の記録という相と、当時の社会に属した人のエートスはどういうものであったか、文化はどうであったか、世界観や宗教や思想、人生の意味はどういうものを考えていたのか、こういう考察や解明も必要になります。技術の発展段階なども問題になり、経済的な構造から、歴史のできごとを解釈し、理解しようとする相もあります。
 
  歴史学は、最初は、「文字記録」を主要な「資料」とし、それに、遺跡であるとか、伝承されている物品とか、人間が意味を解釈しないと、それ自身では、人間の「言語」になっていない資料を組み合わせ、過去の再現を試みたのです。
 
  これに対し、文字を持っていない社会はどうするのか、文字記録があっても、失われた場合や、解読できない場合はどうするのか、また、もっと重要なのは、ずっと過去に遡ると、文字そのものが発明されていない時代に辿り着きます。この場合、文字記録は、どう捜しても最初からないのだということになります。こういう場合、「文字記録」を基本資料には使えないということになります。
 
  広い意味で、「文字記録」を資料として頼れない場合は、大きく分けて、「未開社会」と呼ばれる社会の場合と、時代が非常に古いので、そもそも文字が発明されていない、「原始(無文字)時代」と呼ばれる社会の場合があります。未開社会と原始社会は同じようなものですが、未開社会は、一世紀前には、まだ地球上にたくさん残っていたのです。こういう「未開社会」の社会構造や文化や人々の心理を調べ研究しようというのは、「文化人類学」へと分化というか、学問成立して行きます。
 
  他方、原始社会・無文字社会、それも、西欧などなら、西欧自身の無文字社会段階の歴史はどうなるのか、また、キリスト教で関係の深い、中近東などの無文字時代の歴史はどうなるのか、という問題で、「文字資料」以外の「遺跡」とか「遺物」とかを、研究する学問が分化成立します。これが「考古学」の出発だとも云えます。この場合、歴史学の補助学であったのです。考古学が収集し、それなりに整理して枠を造った、遺跡・遺物資料の解釈を使って、過去の歴史を再現するのが歴史学になるからです。
 
  考古学者は、「発掘屋」になった訳で、研究室で、資料を基に、立体的に歴史を分析し総合する作業をするのが歴史学者で、考古学者は、遺跡を掘ったり、遺物を捜し、番号を振って、どの遺跡はどうなてちて、何時頃の時代には、こんな石器が出てくるなどの分類作業を行うのだとなります。極端には、考古学者は、掘り出して来ればよいので、分類作業は、歴史学者が行うということにもなります。
 
  また飛ばしますが、しかし、「考古学」の方法や技術は、どんどん進展した訳で、遺跡の発掘や、遺物の収集、発掘にも、歴史学者と同様のシステム的な情報処理と「想像力」がないと、よい発掘や遺物の発見や定置分類もできないのは明白で、そのことが段々と認識されてきます。
 
  更に、文字記録が残っている時代でも、考古学の方法は有効で、文字記録では分からない色々なことが、文字社会においても、考古学の方法や技術を使うと、新しい資料が得られるということが分かってきます。現代の科学的考古学になると、花粉分析とか、土壌のなかの成分原子の量から、そこにはいまは形が崩れているが、何があったかが分かるなど、「文字記録」以上に多様な情報が、無文字時代も、文字時代も含めて得られるようになっています。
 
  こうして、考古学の扱う範囲は文字時代の歴史学と同じで、基本資料として、広義の遺物を使用するのが考古学で、それでは、歴史学はどうなったかというと、考古学の資料を基に、より精緻に歴史を研究し、その範囲は、無文字時代までも広がっているということになると、考古学が扱っていた範囲を歴史学も扱うことになり、考古学も、文字資料も参照して歴史の再現ということになると、文字記録が、遺物記録か、どちらに主発点でウェイトに違いがあったかで、考古学も歴史学と同じであることになります。
 
  しかし、そういうことを言うと、「考古学」とは何か分からなくなるので、とりあえずは、文字記録以外の資料(主に発掘などで得られる)を収集し、分析し、分類し、解釈し、これらの資料を主に、他の文字記録や、歴史学の成果を取り入れつつ、過去の社会を解釈・想像で描こうとする学問だということになります。「想像」は重要で、文字記録でも、書かれていることの行間を読むとか、他の文字資料との関係を考え、そこから、立体的なイメージを築く能力が必要になるのです。例えば、昔の人は、どうやって石器を造っていたのかは、実験で造って見るのですが、どんな技術を使っていたのか分からないものが多く、石を割ったりこすったりしていると、目的の石器がが再現できることもありますが、あれこれ想像して、こういう方法ではないかと、補助道具とか、力の入れ方とか想像して試すと、そういう石器ができることがあり、石器作製技術を、再現したというか、「再発明」したことになります。
 
  どうやって造ったのか分からない遺物は色々あり、有名なのは、殷の青銅器で、普通は、技術などは、後の時代の方が進んでいるのですが、殷の後の周の青銅器は、かなりお粗末なもので、確か、現代の科学分析で、殷の青銅器を調べても、どうやってああいうものを造ったのか、分からないというのがあります。今の技術で、青銅器を造っても、殷の青銅器のような高度に精緻なものは造れないのです。
 
  あるいは、昔の人はどういう衣服を着ていたのかは、衣服をまとった石像が残っている場合など、その石像に掘られている襞の流れなどを研究し、どういう布を、どういう風に身体に巻き付けると、石像にあるような襞の流れや、衣装の形になるのか、ということを試験して着方などを見いだすのですが、これも想像力が必要になってきます。
 
  長い説明になっていますが、「定義」は、上で述べられていると思います。簡単には、「無文字時代の社会や生活などの歴史を、遺跡や遺物の資料を基に研究する学問」かも知れませんが、最初の「無文字時代」は外してもよいでしょう。また学問の「目的」は上の述べた通りで、歴史学と同じです。狭義の歴史学の補助学問ともなりますし、それ自身で独立して「考古学的方法での歴史学」ともなります。人類の時間を通じてのありようを知り、未来や現在の生活や文化、価値観などに役立てるため、過去の再現を試みるのが歴史学で、その補助学問として考古学があるとも、考古学という特別の方法を持った歴史学があるとも云えます。
 
  >定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょう
 
  人間の「普遍的側面」が明らかになるということでしょう。人間がいかに愚かであったか、歴史の教訓が教えてくれますし、教訓が役に立たないという教訓もあります。また、文字や現代の科学技術に依拠した生活をしている人々に、無文字時代の人々でも、高い文化や、倫理基準を持っていたことを教えることで、現代が、「もっとも進んでいる」という傲慢や独善をたしなめる効果があるでしょう(現代人に、人力で、ピラミッドを造ることなどできないのです。クレーンとかを使えば、造れるかも知れませんが、しかし、石を切り出す技術が、いかに精巧で、また辛抱強さが必要な技術か分かるでしょう。……分かる人にはですが。分からない人は、別に考古学でなくとも、何であっても、自己の認識を高め反省する材料にはならないでしょう)。また、知識や技術の蓄積が、いかに現代人を、物質的精神的にも豊かにしているかが分かるでしょう。
 
  考古学の魅力は、やはり「未知への扉」をいつでも開いてくれる可能性があるということでしょう。常識を覆すことが出てくるので、魅力があると云えるでしょう。トゥタンカーメンの墓の発見にしても、彼の墓は、副葬品などが、当時の歴代ファラオの墓に較べると格段に少なく(誰かが、副葬品を半分以上、横領したという説があります)、墓の規模も、もっとも小さいのですが、それでも、あそこまで豪華であったとは、発見するまで誰も想像していなかったのです。
 
  殷の地下墳墓の発見は、千人規模の完全武装し、馬に乗った司令官や、戦車や、軍装をした兵士など、一部隊がまるまる埋められていたことが分かって、どういう目的で、こんなことをしたのか、それまで先例のないことで、今でも、よく分からないはずです。チンギス・ハーンの墓もどこか分かりませんし、殷の墓は、地下に造り、地上には何の目印もおかず、しかも、殷は、何度も都を移動しているので、多数の殷の墓が未発見で土の下に埋もれているのですが、これはどうなるのか、という好奇心があります。
 
  その他、何が過去にあったか、発見されないと分からない多数のことがあるはずで、何が出てくるか分からないということで、興味が尽きないでしょう(日本人の起源なども、最新の考古学の示すところでは、従来想像していなかったようなことがあります。大規模ビルなどを建築する際、整地段階で発掘を行うと、発掘と研究技術が進んだので、従来は見逃されていた事実が色々明らかになり、この発見は今後も続くでしょう)。
  

この回答への補足

starfloraさん~♪$(^-^)$/キャッキャッキャッ~♪わぁ-ぃ!いっぱい、いっぱぁ~い、書いてくださってありがとうございます!すっごく、わかりやすいです。たすかります。(*^^*)>゛゛゛デヘェ、、、どうも難しい言葉がたくさんあると読みきれなくて、補足要求してみなさんにお手間取らせてること申し訳なく思いつつも「ナニナニ・ナゼナゼ小僧のlittlekiss」とまあ-お許しを~♪あっ!それから、この場をお借りして、「天文学」のカテゴリ-でいただいた回答にまだお礼を返せていませんが、かならず書きますのでいましばらくお待ちください。いつもたくさん噛み砕いてお話を聞かせていただき嬉しく思います!(*^^*)Chu―☆サンキュ-

starfloraさんにもう少し伺いたいことがあります。いいですか?
考古学の手法を他の学問もしくは日常でもちいるとしたらどのようなことが可能でしょうか?
ちょっとした、カテゴリ-別に数例をあげてお聞かせ願えませんか?

お手数とは思いますが、もう少しお付き合いよろしくお願いします。(*^^*)/

補足日時:2002/04/24 11:19
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