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宗教という言葉を辞書で調べたら、「神仏などを信じて安らぎを得ようとする心のはたらき。また、神仏の教え。」とありました。

そこで、以前から興味があったのですが、実際、キリスト教を信仰すると、幸福感は得られるのでしょうか。

幸福感というのは、自分の感情の話で、お金とか地位とか、別れた恋人との復縁とか、目に見えるもののことじゃないです。

A 回答 (4件)

辞書の定義が正しいとは限りません。

宗教とは元の教えであり、先祖祭りです。愛や神仏も目に見えませんから科学的かとか客観的かどうかの判断も無用です。

実に主観的なもので、しかもおっしゃる通り、幸福感も目に見えない。
本当に大切なものは人の目には見えないようです。ただ動物にはない全く人間的な貴い観念です。

日本の宗教は架空の抽象的な神仏への信仰ではなくて、もっと根源的な存在です。其の点でキリスト教は抽象的な信教です。世界三代宗教の1つですし、欧米化が進んだ現代ではクリスチャンになるのが有利です。

でもそれは一時の流行性のものであって、後で困ります。色々な問題にぶつかります。宗教の第二は保守性にあり伝統が大切です。従来からの物が一番無難です。
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この回答へのお礼

色々な問題にぶつかるということを考えていませんでした。
とても参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/26 14:20

洗脳されていると、それが幸せに感じるのでしょう。



キリスト教ではないが、某犯罪新興宗教集団もいまだに構成員がふえているそうですしね。

色々な国に在住していますが、キリスト教やもう一つの大きな宗教は戦争を起こしている国などでは流行っています・・・・そういう国に入り込んでくるって感じです・・・・入りやすいようにそんな下地を作るとも言われていますが・・・・。

まあ、今では幸福感は脳の神経伝達物質の量によるとまでは分かっています。
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この回答へのお礼

参考になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/26 14:22

まず聖書全巻を読んでみることから勧めます。

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この回答へのお礼

なるほど。聖書を読むことで得られるものがあるかもしれませんね。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/12/26 14:24

あなたの言うとおり「幸福感というのは、自分の感情の話」ですので、キリスト教であってもなくても、心から深く信仰すれば得られるものだと思っています。


「幸福感というのは、自分の感情の話」ですので「お金とか地位とか、別れた恋人との復縁とか」ばかりでなく、心の持ちようの問題として、「目が見えること」「手が使えること」「自力で歩く足があること」「夜でも電気がついて明るいこと」「蛇口から水もお湯も出ること」「今夜寝る布団があること」「帰る家があること」「PCが使える環境と能力があること」「今日食べるものがあったこと」「今生きていること」など、いくらでも感謝する内容はあるわけで、感謝するうちに幸福感に満たされますね。
つまり、幸福感は気の持ちよう、ということでしょう。
「歩いても地雷を踏まない国に住んでいること」も感謝してもし尽くせない幸福ですよね。
私は良く知りませんが、宗教には、こういうようなことも含まれるのではないでしょうか。
当たり前に思えることでも、謙虚に、今の自分の境遇に感謝することが幸福感につながると思っています。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
気の持ちようですか、なるほど。とても参考になりました。
今後は日々色々な物事に感謝してみます。

お礼日時:2006/12/26 14:17

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