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NHKの100分で名著の「旧約聖書」という番組で「モーセの十戒」を知りました。

その「十戒」の中に「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。 ・・・それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。・・・」とあって、ユダヤの人が偶像を作ってそれを拝んでいた時、モーセが怒ったと番組の中で紹介されていたのですが、キリスト教の場合、イエスやマリアの像を拝むことが、なぜ許されているのでしょうか?

番組のなかでは、旧約聖書はキリスト教の聖典でもあると紹介されていたと思うのですが?

A 回答 (8件)

あなたのおっしゃるように、キリスト教でも本来、偶像を拝んではならないのです。

これを行うのは、主にカトリック教会です。そもそも、カトリック教会は十戒の本文も変更しています。つまり、十戒に関する戒律を外しているのです。

もちろん、カトリック教会には、それなりの言い訳・言い分があります。自分たちがこれまでに築いてきた伝統を捨てることができないーーたとえば、ルターの時代の免罪符(今の時代はあれは間違っていたとされていて、ない)を発行し、これを得れば救われるーーということがまかりとおっていました。
今の時代も、偶像礼拝は偶像自体を神とすることがいけないのであって、本当の神様をあらわすモノまで禁じるものではないーーという考えです。
ちなみに、モーセが怒ったとき、アロンたちは、この金の子牛は、私たちがエジプトから導いてきた神の像だーーといって「真の神」を拝んでいたのです。これとカトリック教会と似ていると思います。
また、カトリック教会が偶像に固執する必要は本来ないわけです。まったく偶像がなくても、いいですよね。それを必要だ、偶像自体を拝んでいるのではないと言い訳に専念するところに問題が隠れているように思います。

また、マリアを神格化しているのも、旧約聖書の最初の方で、悪魔に「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に私は敵意を置く」という女を、マリアと絡めて解釈し、正当化しています。これなど、かなり苦しい解釈で、他の聖書の箇所で支持されるものでもありません。

結局、カトリック教会という組織の中で独自に進化した宗教が、本来の姿から離れているということが言えると思います。その点を指摘し、疑問に思われているあなたの意見はその通りだと思います。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
キリストの像、マリアの像を拝んでいるのは、カトリック教会なのですね。
私はキリスト教には詳しくないのですが、「偶像礼拝は偶像自体を神とすることがいけないのであって、本当の神様をあらわすモノまで禁じるものではない」という理屈が、いまひとつわかりません。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/08/14 21:11

少し引いた目で見ると、仏教の影響といえます。



仏教はご存知のとおり、でっかい仏像をつくり、でっかい建物をつくり、見た目で人々の心を服従させる効果をおもいきり使っている宗教で、人間はこういうものに弱いんです。どうしても目で見えるもの、形の分かるものの方が分かり易い。
で、キリスト教がとった対抗策が、それらの偶像やら十字架です。

実は日本の神も、見えないもの形の分からないものが多数なのですが、今ではイラストやら何やらで見えるものにされているところがあります。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
確かにでっかい仏像とか、でっかい建物など見た目で人の心を服従させる効果は大きいような気がします。
私も初めて奈良の大仏にをみたときは、拝んでしまいました。
目で見えるもの形でわかるものに人間は弱いんですね。
いろいろお教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/08/15 18:46

回答者3番です



あなたのおっしゃるように、キリスト教でも本来、偶像を拝んではならないのです。これを行うのは、主にカトリック教会です。そもそも、カトリック教会は十戒の本文も変更しています。つまり、十戒に関する戒律を外しているのです。

と書きましたが、ここの部分の最後のところは、ーーつまり、偶像に関する戒律を外しているのです。ーーでした。訂正して、お詫び申し上げます。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
偶像に関する戒律を外しているのですね。
こちらこそ、いろいろお教えいただき助かります。

お礼日時:2014/08/15 18:42

そうです。

それがあるからプロテスタントはマリア像とかキリスト像とかは採用していないです。記号的な意味で十字架だけ使っています。

カトリックにおいても、当初は「畏れ多い」ということで使われていませんでした。初期キリスト教では、魚の形をもってイエス・キリストの象徴としていたのです。当初は「神の子の顔を描くなんて畏れ多い」とされていたのですが、いつしか描かれるようになりました。面白いことに映画もそうで、当初は「偉大なる神の子を役者が演じるなんて畏れ多い」と、声だけの出演だったり、影として出演していたのですが、今は役者さんがイエス・キリスト役を演じますね。
しかしなんだかこう、いつの間にかアリっちゃアリになっています。

別にそれはキリスト教に限った話ではなく、仏教だって仏陀は偶像崇拝を厳しく禁じたのに今はどこでも仏像がお盛んですし、イスラム教も偶像崇拝厳禁ということで、開祖マホメットの姿を描くとイスラム教徒の人たちはどえらく怒るのですが、ホメイニ師みたいな宗教指導者やビンラディンの写真を飾るのはOKらしいので、割とどこの宗教も「それはそれ、これはこれ」ってやってます。

まあ人間心理として、偶像があった方が落ち着くってのはあるんでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
プロテスタントは記号的な意味で十字架だけなのですね。
映画も最初は俳優が演じることはなかったのですね。声だけとか影だけだったのですね。知りませんでした。
色々お教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/08/15 18:40

偶像崇拝を禁止はしていません。

「無意味だ」と言っているだけです。「教会には神は宿っていない」とも考えています。でも教会に行くことを勧めています。まさに「千の風になって」の心境なのです。

「入魂」という言葉がありますが、仏教や神道では目に見えない神霊が仏像や御神体に宿ると考えますが、そのような発想がないのです。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/14 21:14

>キリスト教の場合、イエスやマリアの像を拝むことが、なぜ許されているのでしょうか?



キリスト教は、ユダヤ教徒だった「イエス」と言う人物が「ユダヤ教を刷新しよう」として作った宗教ですから「旧約聖書の十戒?十戒はちょっとくらい破ったって良いよ。うちには新約聖書あるし」も、アリだと思います。

母胎となったユダヤ教の戒律をそのまま使ったのでは「刷新した事にならない」ですからね。

要は「うちはうち、よそはよそ」って事ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2014/08/14 21:12

こちらのことが参考になるかと。



http://www.ozawa-katsuhiko.com/10christ_hikari/c …
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
ご紹介いただいた「キリスト教の光と影」を読ませていただきました。
とても参考になりました。
お教えいただき助かりました。
心から感謝いたします。

お礼日時:2014/08/14 21:01

宗教は素人ですが、


純ユダヤ教では偶像崇拝はダメということで、キリスト教と言うのはキリストの言動といわれるものを後の人が体系化したものであるために、ユダヤ教を母体にしてその他の多くの民族風習などを取り込んでいったものなので、偶像崇拝が薄れてしまったのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2014/08/14 20:45

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