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このQ&Aコミュニティーを読んでいて素朴な疑問が起こりました。英語教師歴30年の人と英国または米国在住歴10年の人とではどちらが英語が身についていますか?ときどきどちらの傾向の方も自信ありで回答されているので、意見が分かれる時どちらの意見を信じていいのか分からないことが多々あります。双方のどちらも欠かす事ができないのは言うまでもありませんが、それはそれで言いとして、一般論としてどちらが英語力があると言われているのでしょうか?

一般論でアドバイスをお願いいたします。

A 回答 (21件中1~10件)

英語教師歴30年の人も英語圏在住歴10年の人も何人も知っていますが、完全に人によりますし、また、何をもって「英語力」とするかにもよりますよね。



まず、在住といっても、「通じる英語」が使えれば済むわけなので、文法がでたらめでネイティヴがしない類いの間違いをする人は多いし、母国の人に囲まれて暮らしていれば英語なんて一言も覚えない人なんてざらにいます。

また、教壇に立った年数が長くても、ネイティヴに自分の意思を伝える機会が少なかったり、限られた人としか付き合っていなければ、「生きた英語」を知らない人は多いし、発音にいたっては、かなり怪しい人も結構います。

ですが、どちらも日頃から技術を磨いてアンテナを張っていれば、ネイティヴ並みに英語を操るのは容易にできます。ご回答は今のところ「在住派」が優位(笑)なようですが、ミッション・スクールの教師などは、それなりに英語がきちんとしているものですよ。

ただ、下のほうでご指摘の通り、「教師は文法にこだわり、在住はアンチ文法」という傾向は確かにありますよね。そもそも、英語圏で暮らすのに、品詞の日本語訳なんて不要なんだし。

まあ、私(ちなみに教職歴はありません)もこのカテで回答していて意見が分かれることがたびたびありますが、自分の意見も含めて「ネットの情報は話半分で聞いてね」としか言いようがありません。あくまでも回答を「参考に」ご自分で詳しく調べていただくのが一番だと思っています。一方で、参考にすべき複数の回答に触れる「チャンス」を得られるのがネットの良さだとも思っているので、意見の相違に気づいたときには遠慮なく投稿して、選択肢の幅を広げるのに貢献させていただいているつもりです。でも、文法は得意でもないけど、否定もしませんよ~。
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私は、英語の論文を読んだり、年に1~2回英語の論文を書く立場の人間です。



自分の経験から言えば、圧倒的に、英語圏在住歴10年の方だと思います。
実は、日本語でも、最近の若者言葉、特に携帯メールで使われている略された言葉の意味が分かりません。つまり、言葉は生きて、変化しています。良いか悪いかは別にして真実です。生きた英語は、ネイティブにしか分かりません。30年前の古い知識では、今、実際に使われている英語は理解できないことの方が多いのではないでしょうか。
娘が、今、クィンーズ・イングリッシュを学びにロンドンに留学していますが、娘の英語学習法は私の時代と全く異なっていました。中1から英語の時間に、日本語は一切使えないのです。娘によれば、はじめはパントマイムでした。それでも、中学3年で英検2級を取得し、大学受験では抜群の成績を納めました(親馬鹿)。でも、このような学校(私立女子校)は、まだ少ないようです。
やはり、生きた英語に常に接していないと、英語力は衰えるだけだと思います。
したがって、英語圏在住歴10年の方に一票入れます。
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英語教師歴30年の人と英語圏在住10年の人の英語力の比較 と言う設定自体が意味が無いと思います。

 英語教師歴30年と言っても
個人個人全く違う経験をしているかも知れません。また、英語圏10年滞在と言ってもどのような環境で滞在したかによって全く結果が違うと思いますよ。
私は自分の僅かな経験からですが、アメリカ人だからと言って、その人が使ったり理解してる英語が100%正しいものであるとは信じておりません。特に文書でそう言う例を仕事上幾つも見ております。
喋ることも確かに重要ですが、実際取引などで必要なのは、文章の読み書きなのです。
10年アメリカ辺りに居たとしても、英語はサッパリなんて人ざらににるんじゃない?なんて思うのは間違いですか? ですから、一般論としても、議論は成り立たないでしょう。
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この回答へのお礼

よくわかりました。掲示板や当サイトなどの匿名性が保てる場所では、回答者の肩書きにも信憑性がないことをよく自覚して考えて受容しなければいけないということを再確認できました。

お礼日時:2007/01/05 09:36

Gです。

 たくさんの人からのいろいろな方向から見たコメントを得ることが出来ますね。

さて、私の回答の半分を意味するところが見えてきたのではないでしょうか。

>意見が分かれる時どちらの意見を信じていいのか分からないことが多々あります。

どうしますか? もうこれは英語の回答だけに関する質問ではなくなってしまいましたね。

普通の英語カテでの質問はこれほどいろいろな回答は出ませんね。 それでも誰を信用したら良いのか困るとすると、この18個の別々なコメントでどれが正しいのかは分からないのではないでしょうか。 今私が書いている時まで18番まであるのでます。

このなかから「良回答」を見出せるとしたら、普通の回答群からも何か選べると私は思えるのです。 もちろんそれが「絶対的に正しい」と言えるものではないかも知れませんね。 自分の今日の能力で決めるか保留にしておくか、信用してしまうかですね。 

こうも考えられませんか? 専門家と自分をマークする人たちは何の専門家であるかも分からないのです。 たとえばアメリカに10年住んでいて「ナンパに関する英語表現で自信を持っている人が自分は英語でナンパする専門的知識を持っている」と言っているのかもしれませんし、「そのナンパ表現に対して文法的なのか、もし日本での試験だったらバツとなるかを知っている受験英語の教師として専門家と自称する」のか、質問者に分からないままマークがつけられているのです。

さて、確率の高いナンパ表現を探している、と言う質問にどちらの専門家を信用しますか?  私なら、女たらしのパンクの経験を信頼すると思います。 (学校文法を私が否定するからと言うことではないです)

ピアノを習いたいなら少なくともピアノを弾くトレーニングを受け実際に弾ける先生を選びますね。 理論よりも実力を信用する傾向を私は持っているし重要視するからなのです。 それが私にとっての価値観を感じさせると感じるからなのです。

教えられる先生がいれば、「非常に簡単な表現もしゃべるはず」と言う言う前に、教えられる先生がいれば、「会話ではなく読み書きを教えていると言うのであれば、なぜそれが出来ない卒業生がほとんどなのか疑問が浮かぶはず」なのです。 さらに「文法を教えている」と言うのであれば、では、どれだけの卒業生が文法を知っている、と言うのでしょうか。 文法が出来読み書きが出来れば、発音がでたらめでも文章は出来るはずです。 それが出来ていない、と言う事実がある限り教えられる先生がいない、と言う事になってしまうのではないでしょうか。

30年教えてきたと言っても、その30年前の卒業生と(留学の経験を持つことが出来なかった)今の卒業生とそれほど変わっていると言うのでしょうか。

つまり、教育方針だけでなく教えられるレベルさえも変わっていないと、極端ですが、言うことなのでしょうか。 それともその30年のうちに日本の学生の知能指数が教えられる先生のレベルが上がるのと藩ひれして下がっているとでも言うのでしょうか。

10年在米・在英するだけでかなりの違いが出てくる可能性を含んでいることはまず間違いないでしょう。 その3倍の年数を教えてきて、在米・在英者の10年の向上があるのでしょうか。 ほとんどの人は、10年の在米・在英者の方が3分の1の年数の方が英語力があると言っていますね。

このカテの格闘技のカテで私は、指導できる指導員養成の重要性、を書いて5年以上になります。 教えられる英語教師を英語教師のはじめが、中学一年生のための教えられる英語教師なのです。 そして、しゃべることも読むことも、書くことも、聞き取ることも出来る英語教師であるべきはずの中学一年生を教える教師であるべきはずだ、言うことになり、その中学一年生の1%でも次の時代の「英語を使えてさらに教えられる英語教師の卵」になれるようにすることで問題は10年で必ず良くなると信じている私なのです。

教えられる教師とは、できる生徒を作れる、と言う事なのではないでしょうか。

英語で生きていかなくてはならない10年は「学校文法」の基準から離れていても、意思の通達をTwo Way Streetのレベルで生きなくてはならない実力世界で使う英語力はとてつもなく使えるレベルである、と言う事なのです。 品詞分類を教え文型や受動態の構造を教えている(生徒が習えるとしても)レベルはやはり、「使えるレベルになるにはそれだけとてつもない知識」を必要とすることになり、それを出来る人はほんの一握りだと思います。

また、個人主張をさせていたきました。 ありがとうございました。

   
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米国在住歴10年の人の方が実践力で勝ると思います。

しかし、受験英語や文法ベースの英語の試験で点をうまく取れる英語を教えるという面ではすこし教師より劣っているかもしれません。
結局何を教え、何を学びたいかです。
確かに両方の極論が相反するものであることが結構ありそれだけではどちらがいいか分からないかもしれません。でもそれは答えを見る側としてもチョイスがあると言うことですし、自分にあった答えを見つけるしかないです。
そもそも、ここの答えは多岐にわたっていろいろな視点から回答が書かれています。教育論、実践的な英語、受験用の英語、英語を勉強する意味、英語は生涯必要なのかどうか、、、あと、英語力と教える能力は別です。英語教師歴30年で進学校でバリバリやってる人は受験英語を教えるという意味ではスペシャリストですし、英会話教室で教えているひとは、プラティカルな英語を育成する知恵を持っているでしょうし。
こう書くと回答者が無責任に意見を押し付けているように見えるかもしれませんね。回答を書いている私が無責任という見方もあるかもしれません。それについてどう反論をすべきかよく分かりませんが、質問者の知りたいところに関してうまくくみとるか、補足要求をするのがいいのかもしれません。なんだか反省文になっています。
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簡潔に回答します。



「英語圏在住歴10年のほうが英語力が高い」です。

一般論で、英語圏”在住”ということは、日々英会話での生活ということですよね。一般論で、生活に会話は不可欠と考えます。また、このため、時間と共に英語力は上がる一方です。日本人でも、自分より10年年上の人の方が日本語に達者ではないでしょうか。一般に。

一般論で、英語教師ということは、教師個人の英語に対する興味(私生活でもアメリカ人の友達としか交流せず・・・etc)は無視して考えなければ”一般論”ではないので、あくまで仕事として教育要領に則った英語を教えているだけでは何年経っても英語力は一定のレベルから上がることはありません。もちろん下がることもないでしょうけど。
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どちらの人生を体験してみたいか、と聞かれたら英米に10年住むほうを選びたいとはっきりいうと思います。


英語をつかってえられる生活経験や感動体験、それらから得られる感動や苦労なども、また自分の英語力を伸ばしてくれると思うからです。

日本人の多くは、英語における文法や教科書的解釈を、全権的な神のような「まずありき」的な位置づけにおかないと不安なのだと思います。
しかし、英語に限らず習得に時間をもとめるもの、スポーツや、将棋でも、楽器演奏習得などでも、テキストそのものからではなく、実践者や力量のある先生がやってみせるところから得られる力は大ですし、その効果はテキストベースより大きいと感じます。

・ピアノの先生が、楽譜や楽典だけで生徒に教え、自分ではほとんとピアノが引けないということは、教える力があるということなのでしょうか(教える力と英語が話せるは別という主張への、疑問がここにあります)
・イナバウワーの荒川静香選手が、自分ですこしもやってみせない先生を解雇したのは、なぜでしょうか?トップ選手だからでしょうか。では、幼少時の子にやってみせない先生は有効なのでしょうか
・将棋の米長邦雄が、60を前にまったく勝てなくなり、20代の勝てる将棋士たちと何度もさしたところ「先生は棋譜がどこからの出展から読めるので、勝てないのですよ」といわれた
・発掘家のシュリーマンが、教師がいない土地で(発掘現地で言語習得をはじめたものもある)、地元民を雇い自分のスピーチを聞いてもらっていたのは、どういう意味があるのでしょうか。
・あなたを含め、多くの日本人が英語をつかってどうなりたいと思っているのでしょうか。会話できるようになるたいことを望んでいるのか、文法を落とさない英語を優先的にみにつけたいのか。

こういったことを自分に問うて、自分で答えをみつかたら、あとは振り向かない姿勢が必要だと思います。すべて完璧を望む場合、それこそ30年くらいかけて英語をやるつもりなら別ですが、社会人には二兎を追っているほど時間がないのかもしれません。その英語を専門家が正しくないと指摘したとしても、あなたがその英語で、感動体験をいくつもし、お金をもうけられれば、いいじゃないでしょうか。

なおここ(掲示板)のような場所では、力量判断や実用性判断にはならないと思います。だれでも辞書や参考書をそのまま写せますし、文章に血がかよっておらず、辞書丸写しだなと感じることが多いからです。
ですので、私も話半分に読む気楽な読み方がいいと思います。どうしても解決したい核心的な質問については、ここだけではなくほかの掲示板も含めて(肩書きで判断できないとこも使い)、質問するなど使い分けるといいと思います。知恵袋もわるくないと思います。
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現役の高校英語教師です。



どちらかというのは個人によるとしか言えないのですが、一般論でということなら英国または米国在住歴10年の人だと思います。

ここの質問者様や回答者様が誤解していることがあります。それは英語教師とは言っても、授業は仕事のほんの一部です。大半は生徒指導(最近は保護者の指導も?)や部活指導などです。一部の進学校を除けば、授業が成立しているところの方が少ないと言ってもいいかもしれません。かろうじて成立していても、高校3年でも英検準2級レベルかそれ以下の学校がほとんどです。高校でも教師の英語力が英検1級でも準1級でも生徒には違いはほとんどわからないかもしれません。

生徒指導や部活指導に追われた生活の中で、まともに英語を自分で勉強する余裕もない英語教師が多いのに、このような比較をされて、「英語教師の英語力なんて、たいしたことはない」というような主張をされても困ります。英語教師は学生時代から英語が好きで得意な者が大半です。生徒指導や部活指導をしなくてもいいから、英語の自己研鑽をしていいのなら、大半の英語教師は自己研鑽に励むと思います。ところが現場では高度な英語力など必要とされていないのです。冗談まじりですが、「英検2級でもいいが、柔道2段の方が役に立つ」と言われるぐらいです。

それと英語の能力と教え方の上手さが必ずしも比例しないので、話がさらにややこしくなります。私の大学の先生の中には英語の力のある方もたくさんいましたが、教え方は下手な人の方が多かったように思います。また最近の卒業生の話を聞いても、その状況はあまり変わっていないようです。ですから、英語力がある方がいいのは間違いありませんが、教え方が下手では現場では困りものです。

ですから、英語教師歴30年の人と英国または米国在住歴10年の人を英語力で比較することをの意味があるのか、私にはわかりません。
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発音と会話力は英語圏在住者の方が確実に上でしょうね。

でもボキャブラリや文法の知識は英語教師の方があるでしょう。英語力って言葉は微妙ですが、実用性で言うなら英語圏在住者の方が上だと思います。

ただ、英語圏で何十年と暮らしていても、まったく英語が話せない日本人(または他国の移民)は沢山います。ただ住んでいれば自動的に話せるようになるわけではありません。自分の民族のコミュニティー内で生活すれば英語を話す必要もほとんど無いですから。なので在住歴の長さは英語力に比例するわけではないのでご注意を。
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アメリカに38年住んでいる者です。

 私なりに書かせてくださいね。

まず、知識として(教養として)の英語力は教えられる教師の方が正すんでいる人と比べたら雲泥の差があるでしょう。 このカテのwind-skyさんの英語力は文法(学校文法ではなく)を使ってオールラウンドに持っておられますね。 10年の在米暦の人たちの多くより英語力が高いと断言できるでしょう。

ここで問題となるのは文法という単語の意味合いだと思います。 私はこのカテで学校文法という表現をして、英語を使う為の文法と区別をしています。 よって、アメリカ人でもイギリス人でも「学校文法」から見た間違った文章の使い方をする人は多くいるでしょう。 ちょうど日本語がぺらぺらの外人タレントが「国語」どおりの日本語は使っていないのと同じことですね。 関西日本語標準語などは国語の授業では一言も正しい日本語だとは教えていませんね。 関西の人はおかしな日本語をしゃべっているということになります。 まさか!ですよね。

さらに、学校文法ではなくとも、世界中で言葉を使っている人たちはすべて「文法」を使っているのです。 だからこそ私はこのカテで何百回と「文法は必要!!!」と言って来ているのです。 文法無しで意思の疎通が出来るわけはないですね。 「意思が伝わる為の共通の理解に基づいた文の構成」なのですから。

>ときどきどちらの傾向の方も自信ありで回答されているので、意見が分かれる時どちらの意見を信じていいのか分からないことが多々あります。

これは、どちらかを信じなくてはいけない、と思っているからなのでしょうか。 学校文法について、文法について、学校文法を無視した一般的表現について、文化・生活様式に基づいた英語に関する知識、など質問自体をもう少し細かいジャンルに絞ったり、過去からの回答をみて自分なりに判断することで「信頼できるかどうか」「参考度の高いものかどうか」がより適切に判断できると思います。

そして、英語の教授だから、38年アメリカに住んでいるから、辞書に書いてあるから、よく知られたことだからと言って「鵜呑みにする」と言うはすなわち自分では考えない、判断する能力を持とうとしないと言う可能性があるのではないでしょうか。

信じるとしても「あくまでも一時的に信じる」だけのことです。 つまり、どっちを信じたら良いか分からなければ信じないで頭の中で保留にしておくなり、何が信じられない要因になっているかを自分なりに考えそれに基づいてまた質問の出来るのです。 

一時は納得したけどあとで考えてみたら疑問が残っているのに気がついたのでもう一度質問します、と言う姿勢のほうが私としては立派な心構えだと思います。

白黒に分けたい気持ちは分からないでもないです。 しかし、人間がやることである限りそれが出来ない状況が言葉と言うものにはあるのです。 その白黒の部分にしたがるのが学校英語であるからこそ英語を使って生活をしたり仕事をしたりしている人にとっては学校文法や教育方法に疑問を持つわけですね。

さらに、人それぞれの表現方法というものがありそれに対しての価値観と言うものも大きな幅を持って違いと言うものがありますね。 ピカソの絵が何億円もするのに対して人によっては安い買い物と感じる人もいるでしょうしばかばかしいと言う人もいるでしょうし、お金を持ちすぎているので解体だけの人もいるでしょうし、私みたいにお金がないから余計に僻みながら馬鹿よばりをしているのかもしれませんね。

英語力と言う定義のはっきりさせていないものさしで測ると言うことも難しいことだと思いませんか?

英語を使えるように教えられる英語教師はたくさんいると思います。 ただ教えられない教師もいる、と言う事が目立つのかもしれませんね。

と言う事で、本当に取り留めのないことを書いてしまいましたが、しゃべることなら英語で生活している在米・在英者グループが綱引きに勝つでしょう。 しかし、学校英語であれば、「学校文法教師」の方が勝つでしょうね。 そして、その教師の方が、ALTよりも受験英語には強いでしょう。 (ALTは話せるけど、、、、、、、ALTが学校で必要と判断したと言う事柄にはちょっと気になるところもありますが。)

自己主張の機会を与えてくださりありがとうございました。
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