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太政官札とは、初の全国通用貨幣であるということと習いましたが、
この太政官札が発行されたことの意義はどんなことがあげられますか?
何か検索すると江戸時代の貨幣が存在していたから、その貨幣との兼ね合いで発行されたという感じのことが書かれてあったのですが、
江戸時代の貨幣というのは、金貨であれば両、分、朱ですよね?
ちょっといまいちなので教えてください。

A 回答 (4件)

#2です。

お礼ありがとうございます。

大政奉還が為されたといっても、まだ幕府と新政府は戦争をしていました。例えは悪いですが、今のイラクと同じ状態です。

この時点では、幕府→新政府と外国への窓口は変わりましたが、各藩はどちらにつくか決めかねていました。もちろん軍事力も温存しています。

新政府としては、とにかくはやく日本国内に主権を確立しなければなりませんでした。そのために太政官札を発行し、通貨と経済をコントロールできるようにしたかったのです。これが第1段階です。しかし、太政官札には信用がありませんでした。
その後、天皇の勅旨と各藩がそれに准じるという約束を経て、ようやく太政官札に信用が生まれます。ようやく国内通貨としての地位を確立するのです。これが第2段階です。
そして、通貨単位の変更(円・銭・厘)が行われ、日本国内の通貨体系がひとつになります。(江戸時代は、関東が銀本位制・関西が金本位制で別の通貨体系、藩も藩札など、それぞれ別の通貨体系を持っていました)これで3段階です。
そして、日本銀行券(今の日本の紙幣と同じ)の登場です。ここまで15年かかっています。

最初の太政官札は、どちらかというと借金のために発行したという意味合いが強いのです。新通貨体系に成ってから発行した太政官札は、確かに金や銀の兌換を保障し、藩札の回収や金本位・銀本位をひとつの枠に収めることに成功しました。これは政府に信用があって初めてできることです。
そして、お金(紙幣に限らず)を回収することが出来て初めて、殖産興業にお金を回すことができます。最初は太政官札だけでなく国民銀行券(日銀ではない)もあったようですが、これも政府の信用があって、お金を回すことがでるということに注意が必要です。
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江戸時代は通貨は幕府による鋳造硬貨がありましたが経済活動が発達するにつれ慢性的な通貨量不足に悩まされていました。



度々の改鋳で通貨量を増加させるのですが、都度インフレが起こりました。  さらに幕末外国貿易で武器の輸入が増加し決済用に金貨の流出がひどくなりました。
また金銀交換比率が金に対し低かったので、貿易商人が不当な利益を得て金の流出が続き決済用の金貨絶対量が不足しました。

この通貨量の不足と経済活動の維持のため、各藩は藩札という私製通貨を発行しておりこれが通用する習慣が存在していました。
この藩札は各藩の領内だけの通用でした。
明治新政府はまだ幕藩体制が残っていたので深刻な税収不足で破綻寸前でした。
これを打開する為考案されたのが全国的に通用する太政官札の発行でした。  政府の保証を担保に、従来の貨幣制度を改め「円」、「銭」、「厘」の区分に移行する為もありました。

これにより全国的通貨制度が発足可能となり藩札という私製通貨が廃止され通貨発行権を政府が握ることができました。
さらに地租改正で政府の税収が確保され明治の近代化が進んだのです。
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江戸時代の税収入方式は米(年貢)です。


明治政府は、幕府軍との戦いに勝ち、日本を代表する政府として内外共に認められました。

しかし、この時点では政府はできたものの各藩はそのまま存続していたため、明治政府はすぐに税収不足に悩むことになります。
また、幕府が金・銀・銅貨の発行権限を握っていたため、幕府の影響力を削ぐためと、さらに新しい通貨体系に改める必要がありました。
そのため、太政官札を発行し、急場の費用に当てました。このアイデアはすでに有った藩札(各藩のお札)からヒントを得たようです。
ですので、通貨というよりは有価証券(手形・小切手)の類に近かったとも言われています。

その後廃藩置県や税法の改正など、その他の政策を実行することで、政府が直接税金を収入として利用できるようになり、日本銀行の設立につながります。

政府が実権を握るためには、軍隊や税収をおさえることが大事なのです。

この回答への補足

ありがとうございます。確かに、太政官札は各藩が藩専売制に結び付けて藩札を発行したような感じですね。ただ、どうして幕府がまだ貨幣鋳造権を握っているのでしょうか?すでに大政奉還を行ったことにより、幕府の影響力というものはないのではないでしょうか?

また、改鋳は等価交換や増歩交換などの形式で行われたということですが、等価交換で太政官札を発行することによって、紙幣を回収するという意味合いもあったのでしょうか?
殖産興業費などの産業資金に当てるということも考えることはできますが、紙幣を整理するような意味合いはないのでしょうか?

よろしくお願いします。

補足日時:2007/01/15 10:23
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通貨は経済の規模に見合った量が必要で、不足するとデフレが、余るとインフレが生じます。

日本では上方では銀本位制、江戸では金本位制が採られていたのですが、特に江戸では慢性的な通貨不足に悩まされており、これを金貨の改鋳という形で通貨を増加させていたのですが、これは通貨に対する不信を招き、インフレが起きるという弊害がありました。日本は開国以来金銀の交換比率が欧米くらべ銀が有利だったため、日本から金が大量に流出し、通貨不足に拍車がかかっていました。
 明治政府は欧米各国が紙幣を発行しているのに習い、兌換紙幣の発行によりこの問題を解決しようとしたのです。これは発行量に見合う金の備蓄を行なうことを原則とする金本位制ですが、これのメリットは必ずしも等量の金を備蓄しなくても信用を落とさずに紙幣を発行できることであり、じゅうぶんな貨幣の供給が可能になることでした。以来政府はずっとこの方法を踏襲して行くことになります。これはドルもポンドも同じだったのです。詳しいことは下記をどうぞ。

参考URL:http://www.findai.com/yogo/0013.htm

この回答への補足

ありがとうございます。「両」金貨本位制の信用力を裏付けるために金を保有していたということですね。そして、弾力的な貨幣供給を行うために太政官札の発行を行ったということですね。確かに幕府や新政府の財政は安政や万延の改鋳や御用金に頼っていた一方で、開国により外交費や海防費なども必要で、ましてや自由な金銀の売買を行う市場がなかったことにより国際的金銀比価と国内的金銀比価の乖離してしまい、10万~80万両もの金貨が放出したということですから、金貨は不足しますね。つながってきました。ありがとうございます。

補足日時:2007/01/15 10:11
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