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日本史についてお尋ねしたい事があります。

明治14年の政変により、新聞が政党化していったという歴史事実がありますが、これは具体的にどういった影響でそういう流れになったのでしょうか。

どなたか解説おねがいします。

A 回答 (2件)

 1881年(明治14)「北海道開拓史官有物払下げ」問題が明るみに出たこの頃というのは、新聞報道が社会へ大きな影響をあたえるまでに成長し、一方に国会開設運動が頂点に達し、政党結成を見るにいたった時機でした。



 前者は、ほとんどが藩閥政治や開拓史問題を批判する論陣を張ったことから都市の市民の世論が盛り上がり、豪農・士族らを中心とする民権派に接近する様相を示しました。
 そういう新聞に対して政府は、「東洋自由新聞」に圧力をかけて廃刊に追い込んだほか、「東京日日新聞」はじめ府下の新聞を発行停止処分とするなど様々に弾圧を加えました。
 このように当時の新聞は、世論を喚起することはできても後ろ盾がないために抑圧に対抗することができなかったのです。

 後者は、政党結成に際して機関紙として新聞を活用しようと考えていました。
 自由党は、結成準備会の事務所を「東京横浜毎日新聞社」に置いて機関紙発行を準備しました。(のちの「自由新聞」)
 立憲改進党は大隈重信を中心に、「郵便報知新聞」を有する犬養毅、尾崎行雄らの東洋議政会派などを合流して結成します。これによって新聞は、政党の擁護を得ることができたのです。

 新聞の政党化というのは、こうした政党と新聞の利害の一致によって始まったといえるでしょう。
 
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この本を読めば答えがわかるかもしれません。


佐々木隆著『日本の近代14メディアと権力』中央公論新社
私もこのシリーズを集めていたのですが、なぜかこれだけ読み忘れてました。私の意見は明治十四年政変後に政府系の官報が誕生しますが、これに対抗するために政党と癒着していったのではないでしょうか。また、新聞社と政党人の個人的つながりもあったのかもしれません。しかし、政府が援助していた政党系の新聞もありますので政府系VS政党系などという単純な図式ではないような気もしますが・・・
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