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よく、英語の質問に答えるとき、果たして、ここまで細かいことに気を使っているのかなと思うことがあります。

自分たち日本人が、日本語を書くとき、次のような表現の差は、どの程度意識されているのでしょうか。

1.「その公園へ行く」と「その公園に行く」 なにか、文脈上、使い方に違いがあるのでしょうか。

2.「そういうことがあれば」、「そういうことがあったら」  仮定の度合いが異なるのでしょうか。

3.「それを僕が持つと」、「僕がそれを持つと」 語順の違いですが、文脈上の意味の通りよさの差が生まれると言うことですか。

A 回答 (3件)

1、


・「その公園へ行く」
公園を動線の目的地として認識しているニュアンスがあると思います。
その上で、気持ちは出発する地点に立脚した表現と言えるでしょう。
(ex)その公園へ行くにはあの角を右に曲がればいい。

・「その公園に行く」
公園は単なる動線の目的地に留まることなく、そこで何かをすることを前提にしているニュアンスがあるように感じます。
気持ちは到達点の公園にすでに有る、という印象を受けます。
(ex)来週の日曜日、ピクニックでその公園に行く。

2、
「そういうことがあれば」「そういうことがあったら」 は、
単に丁寧度の違い。
あるいは、前者が文語的であるに対して後者は口語的といった捉え方も可能かもしれません。
それ以上の意味的な違いはないでしょう。

3、
「が」は、その前の語を強調したり特定する意図で使われます。
例の場合はどちらも「僕」が特定的に強調されています。
問題は、『何のために(僕を)強調(特定)したのか』ということになります。
・「それを僕が持つと」
重点は【持つと】にかかっています。
そのために「それを」が先に分離されているわけです。
「それを」はあくまで補足的に挿入されているだけで、無くても(むしろ無いほうが)意味は十分通じるでしょう。
(ex)それを僕が持つと急に泣き出した。
持ったのが僕だったので泣き出した、というニュアンスは感じられないはずです。
「が」によって、「持った」ということは強調されていますが「それを持った」ということまで強調されていないためでしょう。

・「僕がそれを持つと」
重点は【それを持つと】にかかっているでしょう。
(ex)僕がそれを持つと君は少し楽になるだろう。
僕の、「持つ」という動作ではなく、「それを持つ」という行為によって君が楽になるというわけです。

この3の解釈は微妙ですが、
「>文脈上の意味の通りよさの差が生まれると言うことですか。」とおっしゃるとおりで、
ネイティブは、この微妙な差を無意識に使い分けることを案外しているような気がします。
もうひとつ他の例を挙げてみましょう。
(ex)
「それを僕が持つとおそらく爆発するだろう。」
という表現が妥当な場面において、
「僕がそれを持つとおそらく爆発するだろう。」という表現は多分しないでしょう。
イントネーションとの絡みもあって微妙ですが、
他の人が持てば爆発しないのか、という突っ込みを許す表現になり不自然に感じられるように思われます。
 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

とても長文で中身の濃い具体的な回答をしていただき、とても感謝します。

イントネーションの問題が確かにあり、非常に微妙ですね。話し言葉を書き言葉として使うと言うことの不利な点は、このイントネーションと言う情報が抜け落ちると言う点にあるのかもしれないと、読ませていただきながら、感じました。

1で書かれているように、やはり、このような微妙さは、短文だけで論じると言うか、短文だけでこのような微妙な差を感じ取ることは無理なような感覚があります。

重ねてありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 00:54

1.2.いずれも後者の「その公園に行く」、「そういうことがあったら」の方が口語的な感じがします。

特に「あったら」というのはくだけた言い方だと思われるでしょう。

3.私は、後者の「僕がそれを持つと」の方がしっくりきますね。日本語の場合、主語を抜かすことが普通ですから、前者を使うのであれば、「僕が」を削除して単に「それを持つと」というのが一般的ではないでしょうか?

意味的には、まったく同じだと思いますが、強いて言えば「それを僕が持つと」と言う人がいたら、一瞬違和感を感じるかもしれません。

参考URL:http://roudokupodchast.seesaa.net/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

口語的かどうかというのは、一つの判断材料ですね。

ご紹介いただいたサイト、とても興味深いものと感じます。今はとても忙しくなってきつつあるので、時機を見て、じっくり見たいと思います。

サイトのご紹介とあわせて、お礼申し上げます。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/28 00:45

はじめまして。


私は詩を書く活動を長くしているのですが、ちょっとした字の並びを気にするところがあります。
その前に、ご質問への基本的なスタンスとしてどう考えるか?という個人的な疑問なのですが、英文(英語)を日本語に訳す等の行為においては、個人的には文法や語句の並びがセオリー通りである必要性があるか否かについては度返しして考えていますので、ご質問の意図にあっていない場合はご容赦ください。

さて、そんな私から見た場合ですが、1.2.はいずれも前者を選ぶ事が多いかも知れません。纏まりが良い‥と言う点を取ります。また、場合によって知的な印象を与えやすい文脈を優先したい時には、やはり前者の方が有効だと考えたりします。ただ正直に言えば、1.2.は使用者の好みの範疇のようにも思いますが‥。

3.についてだけは、私の場合は必ず前者を採用します。
例えば、【それを】【僕が】【持つと】と並んでいれば、各々を続けて認識しながら読み進める際に、隣同士の語句の間で「ひらがな同士」や「漢字同士」でぶつからず、誰が読んでも無意識に読みやすいのではないかと思うからです。第一印象として文を目にした時、お互いの語句がひらがな同士や漢字同士で繋がらない事。また、文字の並びにメリハリがある事を重要に思う‥と言っても良いです。

このようにお話ししている事自体、日本語の文をどう構成させるか?を考える事が、英語を訳したり英語の質問に日本語でどう構成して答えるか?と言うような目的とは全く関係しない事になり、私の回答があなたのご質問には該当しない可能性が高い点を、どうぞお許し願います。
素人考えですが、宜しければご参考ください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分の疑問のもとは、例えば、He is good at tennis. のとき、なぜ、at を使い、in ではないのかというような疑問に、どう答えるのがいいのかということなのです。

短文での外国語学習に、どうしても、壁があるように思えてしまい、文脈上こういう語順やこういう言い回しを選んでいると言う説明をした方がいいのだと感じるのですが、それでいて、果たして、日本語でそういう説明ができるか、自分自身不安なのです。
つまり、日本語で、こういう言い回しがなぜ必要なのか、なぜいいのかという説明が、意外と難しいと感じ、どの程度、このような微妙な言い回しの区別を意識、つまり、理由を感じながら使っているのかと質問させていただいた次第です。

>第一印象として文を目にした時、お互いの語句がひらがな同士や漢字同士で繋がらない事。また、文字の並びにメリハリがある事を重要に思う‥と言っても良いです。

そうですね。確かに、そういった配慮が必要だと自分でも感じます。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/02/27 14:58

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