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No.3
- 回答日時:
まず、「日本文化」というのは、どういうものなのか、把握が前提になるでしょう。日本文化の独自性や特徴が分かっての、日本語への「影響」だからです。
日本文化は、長い歴史で見ると、混合文化です。無論、どの文化でも、それ単独である訳はないので、相互影響を受けます。しかし、中国の文化は、南と北で違いがありますが、歴史的に、それ固有の展開をして来た文化だと思えます。
西欧諸国の文化は、ケルト・ゲルマンの森の文化の基盤の上に、ローマ帝国を初めとするヘレニズム文化が影響し、地中海世界の文明文化が、キリスト教文化と共に入り、およそ500年あるいは千年以上をかけて、シンクレティズム文化を構成したものだと言えます。
日本の文化は、この西欧の文化に似ています。
日本には、長い「縄文時代」があり、その長い期間において、独特の「森の文化」が造られていました。近年、その文化が非常に高度であったことが確認されています。この縄文文化は、色々な外来の文化も、取り込みつつ、長期間に渡り、安定した文化社会を築いた文化でした。
聖徳太子の「和」を尊ぶ思想は、縄文時代文化の成果としての「協調と共存の思想」を説いたものだとも言えます。
この縄文文化の上に、中国の戦国時代末頃、江南より弥生人が日本に到来し、縄文文化と衝突したのだと思えます。日本の「国家形成」は、飛鳥から奈良時代に基盤が造られますが、それまでは、一種の動乱時代とでも呼べばよく、新しい文化のパターンを模索していたとも言えます。
天智や天武の時の国家統一の後、日本は朝鮮半島内情から手を引き、列島内部での一種の「鎖国文化」となります。その一方で、遣唐使などを送り、唐などの先進文化の制度や文物を導入したというのも奇妙なことですが、これは、東アジア情勢において、独立国として体裁を整えるための方策だったのでしょう(また日本文化は、先取の気象に富み、新しいものは何でも取り入れます)。
日本の基本文化は、縄文時代に築かれ、弥生人の進出による混乱と動乱の後、聖徳太子の「和」の思想が唱道されるのですから、縄文文化が、自己展開しつつ変容し、文化基盤として、よりかっことしたものとなったということでしょう。
明治の「和魂洋才」ではありませんが、このような長い、深い文化伝統を基盤に持つ日本文化は、外国の異文化が入ってきても、すべて、自文化の「言葉」に翻訳して吸収し、元の文化の本質を骨抜きにしてしまうという特徴があります。
宗教的には、日本文化は、縄文文化の宗教がそうであったように、「広義の自然神道」であり、飛鳥・奈良時代の仏教も、自然神道とシンクレティズムを起こし、日本仏教になります。祖先宗教が日本の伝統宗教で、仏教も、そういう宗教になります。
また、鎌倉時代には、日本独自の仏教思想もできますが、日蓮が極端ですが、呪術思想や、日本の縄文文化の思想が色濃く反映しています。
キリスト教も、戦国時代末に日本に入ってきますが、日本では、これを変形してしまいます。更に、思想エッセンスは取り出すと、これを放棄します。儒教も、武士階級などには多大な影響を及ぼしますが、江戸時代、庶民も武士も、神社参りをし、葬儀は寺で行いと、考え方によっては支離滅裂です。
しかし、日本人は、縄文文化を基盤とする日本の伝統的世界観・人生観で生きていたので、仏教も儒教もキリスト教も、みな、縄文文化の文脈で解釈されていたのだとすると、別に矛盾ではなくなります。「本音と建前」が何時でも、どこでもあったのが日本文化です。
こういう日本文化が、日本語にどういう影響を与えたかというと、言語的に、日本語は、混成言語だということがあります。縄文時代にすでにその傾向があったと思います。
シベリア当たりから来た人々の北方起源の文化と言語、大陸中国の江南地方文化、朝鮮半島の文化、そして、環太平洋文化というものもあったと思います。この黒潮に乗って伝わって来る文化が、日本語や日本文化に、南方太平洋諸島文化を伝えたと言えます。
日本語は、原日本語があり、その上に、朝鮮半島の多分アルタイ語族系統の言語の文法構造が乗り、原日本語の語彙と、南方太平洋文化の語彙が乗ったものだと考えられます。
この「原日本語」について、南インドのドラヴィダ語族の語彙や習慣や文法が入っているという説があるのですが、シベリア文化の語彙や習慣もあるはずで、縄文時代にすでに、混合状態で、均衡を持っていて、その上に、アルタイ語文法や南太平洋文化の語彙が重なったのでしょう。
文化が混合文化で、何でも取り入れる柔軟さがあるにも拘わらず、取り入れたものに支配されないというのが日本文化です。逆に、何でも日本化するのです。
漢字は画期的な文字文化の到来で、日本語は、非常に豊かな表現方法を得ました。しかし、それも完全に日本化します。世界の言語で、別の文化の文字や単語を、自分の文化・言語の「読み方」で読むような規則を作り、それが定着したのは、多分、日本だけです。
「音」読みと「訓」読みというのは、世界史で例外的です。西アジアで、古代シュメールの文字や単語を、バビロニアが、バビロニア語で読んでいたという例があったと思いますが、日本語のように広範囲に、言語の全領域で、音と訓ができた文化・言語は類例がありません。
東アジアの漢字文化圏に属する諸国は、明示的に漢字を使わなくとも、例えば、ヴェトナムでもタイでも、漢字の「音読み」で多数の単語が造られています。しかし、それを、「訓読み」などして流暢に使いこなしたのは日本だけです。
「漢文の読み下し」というのも、或る意味不思議な文化で、読み下し文の文体から、漢文でもなく、従来の日本語でもない、日本語に違いないが、漢文調の日本語というものができたのも類例がありません(ラテン語風の英語とは質が違います。語族の違う言語が、何故読み下せるのかです)。
これは漢語だけでなく、戦国末にポルトガル語が入って来た時も、日本語にしてしまい、また、明治時代には、大量の先進西欧の文明語彙を、全部、日本語で再定義して、訳語を造り、現代人の言語は、この時造られた語彙を使わないと成り立たないほどです。
漢字を元に、カタカナ・ひらがなを造って、それを日常的に使った(平安の女性は、ひらがなで文章を書き、男性官吏は、漢文か、その類を書いていました)のも、類例がなく、人工的に造ったハングルよりも、文化的に見ると、驚くべきことです。
日本語の文章は、漢字・ひらがな・カタカナ・ローマ字・その他が混用されて表記され、それで標準ですが、こんな文字表記言語は他にありません。
最近は、英語などの単語を、そのままカタカナにした言葉が氾濫していますが、ドイツ語やフランス語への英語の単語の進出とは訳が違うと思います。規模的に比較になりませんし、意味の分からない単語が、勝手に「日本語の単語」として氾濫しています。HTMLとかADSLは何の略かわたしは知っていますが、知らないものは夥しくあります。
文化から言語の話なら、日本文化の伝統構造に、「内」と「外」の厳密な区別と、「公」と「私」の厳密な区別があります。外が内より高く、公が私より高いというのが、「建前」です。しかし、「本音」は、その逆です。
これは、内外の区別は、縄文文化における、異なる人々とのつきあいの技術から起源があるのでしょう。公私の区別は、元々、自立の「私」があったので、外来文化の影響で、権力者とか、国家ができて、「公」が後からできたのでしょう。
今は違っているかも知れませんが、子どもを育てる時、日本文化では、西欧的しつけはしません。むしろ非常に甘やかします。ところが、子どもは、「内」では甘やかされても、「外」に「厳しい世間」があるぞと言われます。子どもは、世間に合わせて大人になります。
日本の言語は、内輪の中では、外を低く評価し、無視するのですが、外に向かっては、内輪は「低く」表現します。これが処世方法です。また、日本の伝統的外交術だと言えるでしょう。日本人との話で、外国(外)が、日本に何かを要求し、日本人は頷いているので、合意ができたと思っていると、何も認めていなかったという例は枚挙にいとまがありません。
日本は、嘘を言っても構わない文化ではなく、外交辞令は「嘘」でないのです。欧米は、「外交辞令は嘘でない」というのを本当に実践して、嘘を外に言う文化です。日本文化は、外に向かい、「言い分は分かりました」と返答し、内に帰って検討する文化で、「和」の文化なので、内で意志統一がないと、決着しません。
「公私」の問題でも、日本文化は、他人を、「公」に近い表現で呼びます。それに対し、自分の方は、儒教文化のように、「へりくだる」のではなく、「私」として出てきます。しかし、「公」は上に奉っているだけで、実質は「私」や「内」が重要ですから、日本語の二人称代名詞は、どんどん価値が下落して来ます。
「貴様」とは「尊い方」のはずですが、いまは呼び捨て語になっています。「お前」というのも、貴人などの「御前」という意味だったのが、これも親しい者・目下の者などの呼び捨て語になっています。「あなた」というのは、「別世界にいる雲の上の方」のような意味だったはずが、いまは普通の言葉で、「あんた」になると、これも呼び捨てになります。
「内」と「外」しか考えないので、三人称代名詞が貧弱で、「彼女」などは、明治以降に造語した言葉です。
一人称代名詞は普通、卑下した言い方だったのですが、二人称の方が、意味下落するに対し、こちらは、卑下の意味が消えてしまいます。「私」は「内」で、従って、「内」がそのまま、一人称にもなれます。
「内」が一人称になるというのは、「うち」という少女や女性が使う一人称を考えるとそういうのが確かにあります。
また、「自然」の捉え方で、古代ギリシア人のように、「おのずからある」のが、自己の存在、また世界の存在だという文化把握があるので、一人称代名詞に使われ、更に、相手も世界の内の存在なので、「おのずからある存在」だということで、一人称と二人称が同じ形の曖昧なものが出てきます。
つまり、「おのれ」とか「自分」とかは、「内」の把握次第で、一人称にも二人称にも使うので、他の文化から見ると、奇怪な代名詞だとも言えます。
その他、色々な特徴が、文化から言語へと作用しています。
No.2
- 回答日時:
大学生の方でしょうか?
レポート作成のためということですので、ヒントだけ。
「東京大学ブックコンテンツ」
http://contents.lib.u-tokyo.ac.jp/contents/index …
↑こちらの検索画面の検索キーワード欄に「日本文化 日本語」といれ、AND検索すると359件ヒットします。
その中には、以下のような本がありました。
(詳細はURL先に。本の内容、目次情報があります。それを見るだけでもヒントになると思います。それから、この他にも参考になりそうな本があるかもしれません。ご自分でも試してみてください)
「二重言語国家・日本」
NHKブックス
Author: 石川/九楊【著】
Publisher: 日本放送出版協会
Year: 1999
http://contents.lib.u-tokyo.ac.jp/contents/cgi-b …
「日本語の社会心理 」
Author: 芳賀/綏【著】
Publisher: 人間の科学社
Year: 1998
http://contents.lib.u-tokyo.ac.jp/contents/cgi-b …
No.1
- 回答日時:
敬語における謙譲語で、目上の身内についても謙譲語を用いることがあげられます。
儒教の影響の強い支那や朝鮮では身内であっても尊敬語を使うでしょう。かって日本でも儒教の影響の強かった時代に宮中で天皇が自らに対しても尊敬語を使う絶対敬語を使ったことがあります。しかし現在は定着していないことは、わが国が儒教文化から距離を置いている証拠ではないでしょうか。
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