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卒業式で国歌や国歌の強制が、
一部の人達で裁判などで、
問題になっていますが、
なぜ強制は駄目なんでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

戦前“国歌・国旗”が国民を統制・統御する道具に使われました。


行き着くところ、“一億玉砕”とかで個人の意思や思想を国家が弾圧して、誰にも批判を許さない状況を作り出しました。
結果は軍民問わずに大きな犠牲を重ね続けての敗戦となったわけです。

これに懲りて戦後は“国歌・国旗”の取り扱い、特に“国家を連想させる”ような場合は努めて“避けてきた”のが今までだったのです。

昨今は戦争体験者の多くが世を去り、戦後生まれの指導者が大勢を占めています。この人達は戦時中の“言論弾圧”や、“特高”が行った“拷問”による“でっちあげ犯罪”の実体験を持っておりません。
自分勝手なそれぞれの理念・思想で“国歌・国旗”に敬意を示さないのは“不埒者”だと言っているのです。
確かに国家に“国歌・国旗”は必要でしょう。でも、それを悪用された経験から、わざと無視してきたのです。
また、無視したことで“国歌・国旗”など、我々の生活にはたいした必然性がない事も明白になりました。
だのに今更“国歌・国旗”を声高に押し進めるのは何故でしょうか?
戦前の国民統制を復活させようとする意志がどこかに隠れていると思いざるを得ませんね。
○○大臣とか、××都知事とかが日の丸を持って、“俺の言うとおりにしろ、国民は国(国家体制)の為には命も差し出せ”などと言いたいんでしょうねぇ。
国家は国民がつつがなく暮らすためにあるものです。国民に犠牲を強いる“国家”なるものは、その影で不当に利益をむさぼる“悪しき人々”の道具にしか過ぎません。
日本人は、面倒な事は“他人任せ”が得意ですが、それでは気付かぬうちに政治や行政にイイようにされてしまいます。
国民のそれぞれが、面倒くさがらずに、しっかりと考えを定め、明瞭な意見の表明を実践しなくてはなりません。
“国歌・国旗”の問題は入学式や卒業式だけの問題ではないのです。
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「君が代~♪」の「君」が天皇だとすると、生存している人の個人崇拝に近い歌ですよね。


誰を崇拝するかは、誰かに押しつけられることではないです。
だから崇拝するかどうかは個人が決めればいいのですが、個人崇拝をしてしまうと、往々にして大きな間違いに陥ってしまいます。
オーム真理教の事件が分かりやすい例です。

もっと単純に、百歩譲歩して、公立の学校が、国から卒業式のプログラムに入れるということを強制されることはあっても、歌を歌うかどうかは歌う人が決めるのが当然ですよね。
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>一部の人達で裁判などで、問題~


これは、ちょっとバランス感覚の悪い先生が処分されているだけのようです。

>なぜ強制は駄目なんでしょうか?
愛国心とはいかなくても
好意や敬う気持ちというのは、相手に押し付けるモノではなく
勝ち取るものだからです。

例えば、異性からオレ(私)を好きになりなさいと法律で強制されて
nisemonodeさんは相手を好きになるでしょうか?
尊敬できますか?

こういうのは押し付けるのではなく、自分が魅力的にならなくてはいけないのです。
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殆どの立場の人は法的根拠があろうがなかろうが反対ということのようですので、まず第一に国家を連想させるようなものがダメということでしょう。

そういう人たちは戦後60年間の日本人の歩みや今の日本人のあり方には全く問題ないか、あるいはあったとしてもそれに国旗・国歌は全く関係ないという主義のようです。つまり、何の意味も効果も無いのだから、強制そのものに意味がない。
一方で、他には歴史的なイメージに対する嫌悪感があるというのと同時に、現在の国旗・国歌には洗脳効果があると信じ込んでいるということもあるようです。デザインや歌詞に関係なく洗脳効果があると言う人もいます。つまり強制されることで、日本人はどんどんマインドコントロールされてしまうからということのようです。
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君=天皇


だから
君が代=天皇賛美の歌
と解釈される方が多いためでしょう
君=天皇と解釈される理由として
中学高校の古文で君=天皇が一般的な解釈、君=あなたという解釈は一般的でないと授業中寝ていない限り頭に刷り込まれるからです。アンチ国旗アンチ国家に教師が多いのもそのためでしょう。たぶん。
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「強制」という言葉がネックなのですね。


国家国旗が強制の場合、それを非として告発できると言う事が問題のです。
行き過ぎると、国家を歌えないだけで告発されて教師は左遷、生徒は内申0。
そんな風になるのですね。

しいていうならば、「皇帝陛下万歳!!」をしなかっただけで不敬罪に当たるとして処罰されることになる。
こういう事例は過去の色んな国の歴史に腐るほどあります。

懸念はここの次元でしょう。
「私は国家を歌える」というだけで出世階段を上がれる可能性もありますね。

どちらかというと、統制が取れるどころか、取れない可能性が高い。
自己の出世栄達や、他人を蹴落とすための手段に使われる方が多く、これは過去の歴史の中で証明されています。
戦前は統制どころか、我々の地域は国家を歌える!!
だから我々の努力に対して予算をよこせ!!と政府に迫っています。
我々の学校の生徒の国歌の歌唱は日本一だ!この対価をくれ。
というわけです。
くれないと、他の地区の非をあげつらい更に予算を要求してます。
これでは、統制どころか近所付き合いが出来ません。
戦前はそれほど交通網が整備されてなかったので多少の近所迷惑は句じゃなかったと思いますが、今じゃ時代が違いますからね。

こんな解答を示したところで、民衆はじゃぁこうやって逆用すれば予算がぶんどれる!!気に入らないアイツを蹴落とせる!
と下衆な発想と言い合いになるので、他の言い方をしている気がします。

色んな反対の理由がありますが、結局はこうなるのではないかと思います。
戦前の国旗、国歌斉唱が本当に統制が取れていたと考えるほうが不思議です。
統制が取れていたのはもっと他の部分であって、国旗、国歌ではない。

推進の理由の一つには、すでに日本の一部の地域で学校の生徒数の過半数が外国人になってきた学校があります。
昔は、殆ど日本人だったので国旗国歌は要りませんでしたが、外国人が増えすぎたのでは、多数決をとると外国の国旗、国歌が流れる可能性が出てくる。
わが子が入学すれば、ここは何処の学校だ?と言うコトになるのです。
日本なのに学校が外国に染まっては学校の存在意義が無くなる。
踏み絵として国歌、国旗が出てきた。かもね。
彼らに、「ここは日本です。」と言うには手っ取り早い手段はこれしかない。
日本の外国人流入を考えればこの流れは必然なのかもしれません。
外国人労働者の受け入れをする前の布石かもね。
その為の必要不可欠な政策ですからね。
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教育において、どんなものであれ思想や信教を強制してはいけないことです。

一般に、「国歌斉唱」や「国旗掲揚」および「愛国心」は思想ですので、強制してはいけないことです。どうように、「国歌斉唱しない」や「国旗掲揚しない」および「愛国心を持たない」も強制してはいけません。強制しなくても、愛される国・世界を作って生きたいですね。
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国旗が日の丸、国歌が君が代と言うのが問題だと思います。



日の丸、君が代は日本の過去の侵略戦争をイメージさせる部分が多く、
日本の過去の過ちの象徴である日の丸、君が代を何故強制するのかと
感じます。

国旗・国歌法案が成立したときも上述のようなことで、
かなりの人たち、特に教育者から反対の声が上がりました。

国旗はまだしも、国歌は変えるべきと個人的には思います。
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日の丸、君が代に反対し裁判に訴えている人達は、日の丸、君が代が過去の戦争を象徴するものであり、これを強制されるのは、自らの権利、日本国憲法第19条「思想・良心の自由」を侵害すものであり、憲法違反、人権侵害にあたると主張しています。


また「思想・良心の自由」は民主主義が機能する為の最低限の自由でもあり、これを侵害する事は民主主義崩壊への第一歩につながるものと主張する人もいます。
裁判では憲法違反・人権侵害にまではあたらないという結果が出ているようです。
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組織の決まり事を守れない、一部の頭のおかしな人が「強制だ」と主張しているだけです。



学校だけでなく、会社などにおいても、その組織に所属している以上守らなければならない約束事というのは、必ずあります。
思想・良心の自由は内心の自由といって、外的に何かを強制されたからといって、それを踏みにじられることにはならないのです。

結論として、もともと反社会的な性格の持ち主で、組織の中で働くのに問題のある人が裁判等を起こしているのが実情です。

残念ながら、彼らにも日本国民として裁判を起こす権利はありますので、起こした裁判のほとんどが敗訴し、訴えるだけ無駄だということが、彼らの頭脳で理解できるようになるまで、裁判沙汰は減らないでしょう。
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