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卒業式で国歌や国歌の強制が、
一部の人達で裁判などで、
問題になっていますが、
なぜ強制は駄目なんでしょうか。

A 回答 (11件中11~11件)

戦前“国歌・国旗”が国民を統制・統御する道具に使われました。


行き着くところ、“一億玉砕”とかで個人の意思や思想を国家が弾圧して、誰にも批判を許さない状況を作り出しました。
結果は軍民問わずに大きな犠牲を重ね続けての敗戦となったわけです。

これに懲りて戦後は“国歌・国旗”の取り扱い、特に“国家を連想させる”ような場合は努めて“避けてきた”のが今までだったのです。

昨今は戦争体験者の多くが世を去り、戦後生まれの指導者が大勢を占めています。この人達は戦時中の“言論弾圧”や、“特高”が行った“拷問”による“でっちあげ犯罪”の実体験を持っておりません。
自分勝手なそれぞれの理念・思想で“国歌・国旗”に敬意を示さないのは“不埒者”だと言っているのです。
確かに国家に“国歌・国旗”は必要でしょう。でも、それを悪用された経験から、わざと無視してきたのです。
また、無視したことで“国歌・国旗”など、我々の生活にはたいした必然性がない事も明白になりました。
だのに今更“国歌・国旗”を声高に押し進めるのは何故でしょうか?
戦前の国民統制を復活させようとする意志がどこかに隠れていると思いざるを得ませんね。
○○大臣とか、××都知事とかが日の丸を持って、“俺の言うとおりにしろ、国民は国(国家体制)の為には命も差し出せ”などと言いたいんでしょうねぇ。
国家は国民がつつがなく暮らすためにあるものです。国民に犠牲を強いる“国家”なるものは、その影で不当に利益をむさぼる“悪しき人々”の道具にしか過ぎません。
日本人は、面倒な事は“他人任せ”が得意ですが、それでは気付かぬうちに政治や行政にイイようにされてしまいます。
国民のそれぞれが、面倒くさがらずに、しっかりと考えを定め、明瞭な意見の表明を実践しなくてはなりません。
“国歌・国旗”の問題は入学式や卒業式だけの問題ではないのです。
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