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 『ニコニコしているとね、楽しい事ばかりなんだもん。』

 いつも明るく賑やかな6歳の少女が先日私に語ってくれた言葉です。 でも、1年前の彼女は笑う事を忘れ、家庭の不和やいじめに対して、怯えることしか知りませんでした。 

 多くの人達との温かい交流は、時に人の心を和やかに変えていきます。 彼女はまだまだ幼い時期であるにもかかわらず、自分の体験を言葉であらわすこと(人生哲学)ができるとは、とても素晴らしい事だと思います。

 人には大小の差こそあれ、常に試練はつきものなのかも知れません。 それをネガティブに考えれば「苦」であり、ポジィティブに考えれば「楽しみ」という事になるのでしょうか。 確かにポジティブ思考は困難を乗り越えさせ、明るい未来に繋がらせるパワーを秘めているように感じます。

 今回は前置きが長くなってしまいましたが、みなさんが悟りを得た成功法則には、どんなものがあるのでしょう? 日常のどんな小さなシーンの中の法則でもかまいません、みなさんが日々感じたり、考えたりしている、みなさんなりの「人生の成功法則」を教えて下さい。 
 

A 回答 (18件中1~10件)

鏡に映ってる自分をしっかり見つめます。


鏡に映ってる自分を2人称としてとらえ、話しかけます。

まず、自分を好きになることから始めます。

自分を一番わかってくれるのは自分で、自分が一番わかってあげられるのも自分だから。

なんか、矛盾してるようですけど、でも、生まれた瞬間からつきあってて、そして、死ぬまでつきあっていくのだから、自分のことをまず、大好きになろうと思ってます。

最近、やっと、自分のことが大好きになってきました。
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。

 とても素晴らしい事ですね。 自分を好きになれるなら、他者との関係も上手く行くことでしょう。

 一般的に「他人の自分に対する行動は、鏡の中の自分と同じである。」とも言われます。例えば、自分が微笑むと相手も微笑む。相手に好意を持つと相手からも好意を持たれる。逆に、自分が相手を避けると相手からも避けられてしまう。

 ・・面白い法則ですが、的を射ているかも知れませんね。

 素敵なお答えをありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/15 06:59

●街中で似顔絵書きですか おもしろそうですね。


 わたしは レンブラントが好きで 自分でも素描で肖像画は描くんですよ。
 自分的には ペーター佐藤より画力はあると かってに思い込んでます。
 やっぱりモディリアニの絵は かっこいいなぁ・・・。
 雰囲気で 船越桂の木彫もかっこいいなぁ・・・。
 最近は絵は描いていません。もっぱらゴルフです。
 最近三回連続でチップインバーディでてるんです。ルンルン♪

この回答への補足

 
 今日、絵を描きながらふと思ったのですが、もしかしたらchihokoさんとは、何処かで会っているのかも知れませんね。また、今後もお互い気付かぬまま、何処かで顔を合わせても、そのまま通り過ぎて行くのでしょう。

 「フランダースの犬」のストーリーの記述は、文章になっていませんでしたね。悲しさで心が動揺していたようです。失礼いたしました。


  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  


 最後にこの欄をお借りします。

 ご回答いただいた方々一人一人の貴重な人生に触れさせていただく事ができまして、とても勉強になりました。そして、有意義なひとときを過ごさせていただきました。感謝いたします。

 下記は、 Oliver Goldsmith の言葉です。

 Our greatest glory consists not in never falling, but in rising every time we fall.

 ご回答いただいた皆様、ありがとうございました。
 

補足日時:2002/06/22 15:40
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。

 私が絵を好きになった理由のもう一つに、実はネロとの出逢いがあります。chihokoさんの最近のスレッドにもありますが、あんなにもけなげなネロが好きだったルーベンスの絵でしたから、私も子供心に、無条件で憧れていたようです。(単純ですね。)ネロが幼少の頃に母と一緒に見た記憶がある憧れの「聖母昇天」を、パトラッシュと一緒に、死の間際に見ることが出来て、本当に良かった・・・・・・・(涙・涙・涙)。

 思い出しついでに書いてしまいますが、ネロとパトラッシュが天に召される直前、ジェハンおじいさんや絵の夢を失い、いつも冷たかったアロアの父コゼツに、失意の中さまよい歩く街中で、偶然拾ったコゼツの財布を、迷う事なく人知れずそっとコゼツの家へ届けるという彼の純粋無垢な心に、感動せずにはいられませんでした。(涙・・∞)

 私の場合は年に2回位しかありませんが、会社の接待ゴルフの付き添いで、プレーをする事があります。初めの頃は、パターで地球を掘り返してしまうほどの腕前だったため、人知れず早朝練習場に通い、なんとか迷惑をかけない程度にラウンドを回れるようになっています。三回連続のチップインバーディとは、素晴らしいですね! ゴルフボールの最終到達地点も「穴」ですし、最近の「性」に関する哲学の研究成果が出ているのでしょうか・・。??

 度重なるご回答をありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/21 19:56

●aoihoshiさんのご発言を拝見させていただいて感じることは


 わたしよりずっと大人でらっしゃるし バランスもいいということです。
 わたしの言うことは 参考ですから 反面教師としてでもご自由に
 捉えてください。ただただaoihoshiさんには更に更に幸せになっていただきたいと
 願っております。ご質問のけなげに切実な感じはわたしにも分るのですが
 なにせこんな性格ですから 世間が言うところのアホなアドバイスしか
 できませんで 本当にごめんなさい。
 でも わたしは幸せなんです。いつもこれ以上ないというくらいに幸せを
 感じて暮らしていますが その上の幸せがまた来ちゃうんですよね。
 抱きついて眠ると安心できる そんな相手がまず必要だと思います。
 癒しの究極だと思います。
 そんなこと わかってらっしゃいますよね。 人生 いろいろかぁ・・・。
 とにかく わたしの成功(性交)のパワーはaoihoshiさん宛てに送りましたから
 この文字に込めて・・・。
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この回答へのお礼

 
 何度もありがとうございます。

 性交? ・・もっ、もとい! 成功のパワーを、しかと受け止めました。(*^_^*)

 私は心の中で、chihokoさんのことを「チホネエ(=chihokoお姉さん)」と呼んでいます(不快に思われましたら、お詫びします。)。私の心に刺激を与えてくれているchihokoさんのような人の存在は、とてもありがたく思います。常に平静でありながらも、時に厳しさを感じさせてくれるのは、やはり、母としての強さをお持ちだからなのだろうと感じています。また、いつも感じている事ですが、その心の広さにも感心しています。

 精神的に豊かな人は、その豊かさを維持できる事はもとより、より一層の恵みを得られるものだと、私も感じています。そして、例外なく、物質的な富も必ずついて回る傾向にあるようです。この事も、自然の摂理に順じた法則なのかも知れません。

 私の未来の良き伴侶についてですが、正直に言って、私にアタックしてくる人はそれなりに存在しています。chihokoさんも仰る通り、常に寝食ともに暮らせる伴侶の存在は、ありがたいものであろうと思います。決して選り好みをするような私ではないのですが、3年前に遠くに旅立ってしまった人の存在が、まだ私の心の中を大きく占めているのです。・・こればかりは、「時」と「運」に身を任せるほかに道は無いように思います。

 最近、街中で、似顔絵描きを始めました。私は、人の隠された内面を表情にするのが好きです。例えば、めったに笑わないような人の顔を、満面の笑みに変えて表現したり、太目の人を細めに表現したり、頭髪の失われた人をふさふさの髪と共に表現したり。・・単なる私の暇つぶし的趣味でしかないのですが、お礼を言われてしまう度に、私の方が恐縮してしまいます。

 会社内では、すでに「お局」と言われてしまう年齢かも知れませんが、私も私なりに結構色々と、日々楽しく過ごしています。

 ありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/20 18:16

●aoihoshiさんのお礼の文のなかに 絵をずいぶん描かれたようなことが


 書かれてましたので わたしが某芸大を三ヶ月で退学したことについて
 触れたいと思います。普通であれば入学金・寮の敷金とか・学費とか
 もろもろ親に工面させておいて 中退はしませんよね。
 それでも わたしは主人と結婚するために退学を選択したわけです。
 人生のおおきな選択をどう対処したらいいのか?大問題です。
 おもいおこせば大きな選択は 二つしかないことに気が付きます。
 ひとつは この結婚です。もうひとつは妊娠中絶でした。
 考えることには限界があります。どちらの選択も熟考したのちに感性に聞いたのです
 「一番大切なものは なに?」
 わたしのこころは 即答しました。こころは知っているのです。
 主人でした。
 いのちでした。
 そして わたしの今があるのです。
 感性をあなどってはいけません。潜在意識の深い部分と言い換えてもいいです。
 感性をなぞって人生をデザインした と言ってもいいかもしれません。
 そして繰り返しますが 感性をなぞることが 性器をなぞることと深い関係が
 あるわけです。快感を恐れないこと 快感の果てまで行こうとすること
 いままで被っていた皮を剥いて 本当のわたしと言うおんなを擦る事。
 それが人生を間違わない手法なのではないかと 自分で納得しています。
 先日同期のヴェネチアビエンナーレ作家が 家に遊びに来ました。
 彼には彼の人生があるのでしょうが わたしは彼を見ていて
 わたしの選択の正しさを痛感しました。
 わたしはいまのわたしが いちばんわたしらしいと思いました。
 「一番大切なものはなに?」その答えは案外簡単に出るものなのです。
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。

 愛は、時を止められないものですよね。chihokoさんにも、若かりし頃にそのような迷いを感じた時期があったとは、別の意味で嬉しく思います。両立できる事に越した事は無いでしょうが、一つの芽生えた生命と愛のために、自分の夢を素直に諦められる考え方には尊敬の念を抱きます。私の場合は、その頃、恋は頑ななまでに完全に二の次に考えていましたから事なきを得ましたが、もし、同じような状況におかれた場合、chihokoさんと同じ選択を考えていたと思います。一つの生命が宿る母体の人生に、どんな状況があろうとも、その存在を奪う権利は誰にも無いはずです。

 人並みはずれた向上心を抱き、自分の夢を実現するために、日々努力を続けていたある女優がいました。恋をする事も大いなる芸の肥やしになる事は事実でしょうが、その人は、その時真剣に恋に落ちてしまい、一つの尊い生命をこの世に送り出す決意をしたのです。しかし、日が経つにつれ、可愛い我が子の姿を前にしても、彼女は夢をなかなか諦める事が出来ません。その時の彼女の思考は、決して他人からは推し測る事は出来ませんが、彼女は家族を捨てて、単身でまた女優の世界に戻る選択をしてしまいます。結果、彼女の努力は実を結び、華々しく今も存在感のある女優として、芸能界で活躍を続けています。

 人の人生は、その人自身のものであり、他人がとやかく言う権利はありません。でも、一見、華々しく輝いているように見える彼女ですが、時折見せる影の表情を見ていると、やはり、少なからず良心の呵責や後悔の念に囚われ続けていた事が如実に伺い知る事ができます。 でも、それもまた、一つの正しい人生の選択なのかも知れません。彼女は民衆に夢と希望を与え、彼女に振り回されたかのように見える家族にしても、それぞれの人生の向上のための試練を与えられたと考えれば、納得が行くのかも知れません。この世に尊い「生」がある限り、人には、いかなる道を選択できる自由が与えられているのですから。

 人の感性を形づくる要素とは何でしょうか。私は、その人の豊かな経験と、その人なりの正しい思考の積み重ねであると感じています。正しい思考とは、自然の摂理に同調する思考であると考えます。故に、顕在意識の正しい積み重ねが潜在意識にインプットされ、感性を形づくるものであろうと考えています。したがって、人それぞれ生きて来た歴史が違うため、色々な感性が存在します。そのためなのか、私の感性は、まだ、chihokoさんの「性を基にする哲学理論」を受け入れる準備が出来ていないように感じます。しかしその事は、今後の私の大切な研究対象でもあります。有意義な指針をいただいている事でもありますし、焦らずに見つめて行こうと考えております。

 何度も有意義なお話をありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/19 20:33

おはようございまっす。



悟りの原点、これは諦め以外にありません。
諦めを感じると、笑えます。
情けない笑い方ではありますが。
テレビドラマでよくある、あの笑いです。
火サスがよい例です。
真犯人が見破られる瞬間です。
真犯人は、人生の基本をすっとばして生きていたことに気づきます。

人生の基本とは何ぞや?

それは、自分は他人とはちがうということ。
いくら腹をいためて産んだ子供でも、違うんです。
血はつながっているけど、分身ではありません。
別の人格を持ってます。
他人の人生を自分が決めようと思った瞬間、これが過ちを産む瞬間です。

人生の成功法則、それは世の中には自分しかいないと気づくこと。
他人の気持ちなんか、他人にしかわかりません。
そう思うと、他人の気持ちがわかってきます。

と思ってます。
でもこの気持ちは他人には理解されません。
トチ狂った、と思われるだけです。
そう思われてるのもわかるんですよね。

困ったもんです。
サトラレの逆ばーじょんです。
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。

 donutさんは、とても洞察力の鋭い方ですね。感心しました。

 >悟りの原点、これは諦め以外にありません。
 >諦めを感じると、笑えます。
 >情けない笑い方ではありますが。

 ・・その時の表情を想像し、笑ってしまいました。確かにそうかも知れません。「開き直りの思考」は、追い詰められた時に飲むべき「良薬」とも言えるかも知れません。

 確かに親の過大な夢などを子供に押し付けたりする事は、子供にとっては迷惑な事ですね。でも、視点を高く持てば、そんな親が可愛く見えてくるものです。自我をしっかり確立し、与えられた環境をしっかりと見つめ、自分がこの世に生かされている事実に感謝する事が出来れば、不平不満は解消に向かうかも知れません。あるがままに生きる事は人生の基本であるようにも思います。

 人には、生まれながらに多少なりとも持って生まれた性格というものはありますが、人の人格を位置付けるのは、やはり環境が大きくものを言いますよね。私の両親などは、特に私に何も期待しないでいてくれたせいか、アルプスの少女ハイジのように(←ほんとか!)のびのびと育てられたような気がします。特に父は誉め上手だったため、私の絵の才能をいち早く見出し、あまりにも誉めちぎるものだから私もいい気になって一生懸命に色々な絵を描き続けたものです。

 勉学にしても、要所要所で上手く誉められたため、その事が功を奏したのか、最終学府を卒業するまで、学習では特に苦労する事がなかったように思います。同じように、自分にしても他人にしても、考え方次第では上手く操れるものなのかも知れません。特に最近になって痛切に感じているのですが、今の新入社員を教育するのには、決して叱ってはいけないという事です。要所要所で誉めながら、飴と鞭を上手く使い分けて行く方が、挫折率が極端に低くなるのです。

 私の父は若くして他界しましたので、それ以降の生活は大変でしたが、普通の人が味わう事のない苦労を知る事で視野が広がり、多くの発見をし、洞察力も鋭くなったと感じています。

 他人の気持ちなど、分かろうとする必要などないかも知れません。他人が本当に自分を必要とするならば、他人の方から語りかけてくるのが普通です。また、あえてそっと見守るのも愛情のように思います。でも、自分が他人を必要とするならば、笑顔で接し、自分をさらけ出す事から始めなければなりません。人が何かにつまずいた時、ともすれば閉鎖的な傾向になってしまう事があるかもしれませんが、もがき苦しんでる間でも、前向きな姿勢さえ失わなければ、一つの悟りを得るはずです・・「人は、やはり一人では生きられない」と。

 「井の中の蛙大海を知らず」という諺がありますが、それはあたりまえの事です。大海を知らぬまま、井の中での幸せを全うするのも人生。大海を知り、さらに上を目指すのもまた人生。でも、その「井の中」でさえ幸せになる事が出来なければ、大海の中でも幸せを育めるはずはありません。与えられた環境に妥協し、あるがままを認め、まず、そこでの幸せを考える事が、どちらの道を生きるにしても、限りない栄光の未来に繋がる事と思います。

 鋭いご回答に刺激されたせいか、私の独り言が多いお礼になってしまいました。お許しください。

 鋭い視点のご回答をありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/18 19:34

aoihoshiさん、こんにちは!



色々その他の方々の回答を読ませて頂き、大変参考になりました。
また、aoihoshiさんのお人柄が伝わってきて、とても幸せな気持ちに包まれました。ありがとうございます。

さて、私の「法則」は、
「人生(生きること)は、辛いもの」
と、常に認識する事にあります。

私は昨年、命の危機、精神の危機、生活の危機・・・と、今まで生きてきた中で想像もつかない局面に見舞われました。すがるものも何もない中で、もがきながら1日1日をなんとか生き延び、心の片隅にいつもあったのは「こんな筈じゃない。何故私だけがこんな目に?!」という思いでした。

が、それは、自分なりに思い描いていた人生が大方は楽しいことで占められていて、笑顔の友人、同僚、道行く人の、その笑顔の裏に隠されたそれぞれの苦しみを考えたことも無かったからです。

人生は楽しいものだと思うから、辛い事があるとネガティブになる。人生はもともと辛いものだと思えば、茶髪の子がお年寄りに席を譲るのを見ただけで嬉しくなる。自分が辛ければ辛いほど、笑っていたように、「笑顔」の裏には人知れぬ辛さを背負っている人もいる。誰も生きることは辛いのだ。と。

上手く言えないのですが、決して「諦め」ではないのです。

少しずつですが、そう思うようになってから、「生かされていること」に感謝出来、心安らかに過ごせ・・・
「人生捨てたものじゃない」と思えるようになりました。
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。 徳川家康の悟りに通じるものがありますね。
 
 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し
 急ぐべからず 不自由を常と思えば不足なし
 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし
 堪忍は無事長久の基 怒りは敵と思え
 勝つ事ばかり知りて負くる事を知らざれば害その身に至る
 己を責めて人を責むるな 及ばざるは過ぎたるに勝れり

 自分が生かされている事に感謝できる姿勢には、とても尊いものがあります。私も求道中の身ですので、偉そうな事は申し上げられませんが、大事業を成し遂げた人達にしても、後世の人達に感銘を与えてきた人達にしても、人生の成功者と評される人達には、常に「感謝する心」が存在していたように思います。

 不平不満を決して口にせず、どんな状況にあっても、「感謝する心」を失わないようにすることは、とても大切な事のように思います。たとえ、災難に見舞われたとしても、この程度で済んで良かった、多額の借金の負債が身に降りかかって来たとしても、命まで請求されなくて良かった等、楽しくても苦しくても、全ての事に感謝できる境地に到達することが出来たなら、もう怖いものなどなくなります。

 しかし、悲しいかな、平坦な道しか歩んでいない人には、なかなかこの法則は理解する事ができません。turubaraさんのように、苦楽を共にしてきて、耐え忍ぶ激動の一時期の体験があればこそ、悟れるものなのかも知れません。この悟りの境地に達すれば、艱難辛苦はもはや苦ではありません。「艱難辛苦よ、我に成長のための試練を与えてくれてありがとう!」と、逆に感謝するようになるものです。要するに、ポジティブ思考ですよね。

 茶髪の子に限らず、人は外見だけでは決して判断できるものではありませんよね。おかげで、私が小学生の頃を思い出してしまいましたが、電車の中でお年寄りに席を譲る時、素直に譲りたいのに、恥ずかしさが先に立ってしまい、思案の挙句、必ず5分以上はモジモジしていたものです。私もあの頃は純で可愛かった・・。(←こらこら)

 貴重で有意義なお話をありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/18 19:28

>自分の本能の赴くまま自由奔放に行動する事が、


>果たして本当に自然の摂理に迎合する事になるのでしょうか。

●この疑問はとても大切な部分なので 別枠にいたしました。
 社会がフリーSEXを推奨し なんの制限もなくSEXに満ちたとしたら
 そんなとき わたしはSEXに関心を失うかもしれません。
 本能はモラルや規範や種を超えさせるパワーとしてエロスを獲得したと
 認識しております。それを超える必要のないところにエロスも存在しないということです。
 つまり自由奔放に生きるためには 自分の本能がなんたるかを知り
 本能が正しく機能するように 生きることをコントロールしなければ
 叶わないことなのです。それが さまざまここでわたしが述べてきている
 考察と考え方なのです。知りもしないでコントロールもできないで
 ただ闇雲にこれが本能だと思い込んだことをやるだけでは
 すぐに限界がきてしまいます。食べ物を餌として捉えるのが本能ではなく
 食べ物をより滋養のあるものに変えていただく料理というものが また
 食べ物に対するこころの在りようを導く行儀作法が 
 エロスという快楽追求のパワーに支えられていることこそ 
 問わなければならない本能の大切なもののひとつだとおもいます。
 そのことが 自然の摂理に添うことかどうかは わかりません。
 なぜなら 自然破壊をしているのは人間だけだからであり その引き金の
 一つとしてエロスのパワーもあるであろうからです。
 ただ この快楽は捨ててはならないものだと確信しております。
 有性生殖をする生物はことごとく交尾します。人間の交尾ほど美しく
 神々しく いのちの本質に叫ぶものはほかにありません。
 ただひとつ その意味では 人間は生物の頂点にいると思います。
 わたしは 人間の正すべきは エロスとは別の部分であると認識しております。
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この回答へのお礼

 
 何度もありがとうございます。

 いつも高い視点で哲学しているchihokoさんに、私の質問のために雲の上から降りて来ていただきまして、感謝しています。詳細な考察を提示していただき、私としては嬉しく思います。とても有意義なお話でした。

 先日も仰っていましたが、chihokoさんが日々実践されている「快楽至上主義」の根幹をなす「モラルと規範をしっかりと把握できるだけの知性」というものが、ここでしっかりと把握できたように思います。

 ついつい、固定観念に囚われがちな私ですが、少しだけ視野が広がったようにも思います。決して鵜呑みにせず、私自身で検証を続けるためにも、とても有意義な指針をいただきました。

 最後に・・、 ここの欄の後尾には、赤裸々な表現が薄いので助かりました。 おかげで素直にお礼文を締めくくることができます。(*^_^*)

 ありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/17 19:41

●いろいろお答えしなければならないようです・・・。


 すべて即答できるわたしの経験してきた 道のできごとです。

 まず ヒースクリッフとキャッシーの愛についてです。
 ふたりの愛の特筆すべき点は 幼い子供の感性で 相手に自分を見た
 ということに尽きます。その後のストーリーは その愛を表現するための
 手段にすぎません。わたしと主人の間に存在する愛も ヒースとキャシーの
 間に存在した もっとも感性的な愛に近いと感じたのです。わたし達夫婦は
 わたしが高校生のときに出会い こどもがするような遊びのなかで
 はぐくまれました。山や川や湖や海や 自然の中できゃっきゃきゃっきゃ
 はしゃいでいるうちに愛がうまれたのです。ただ わたし達は そんな自然の
 そこここでSEXもしてましたから そこはブロンテの小説とちがう所です。

 イキイキしていない不倫の考察について
 わたしの説明不足でした 不倫でも精神的な要素を伴うようになると
 ふつうの恋や恋愛や夫婦関係となんら変わらなくなってしまいます。
 また まじめでひとのいい不倫カップルにかぎって その状況の催眠状態から
 抜け出せなくなります。わたしも 若い頃の不倫は 恋になってしまい
 苦しんだものです。それは 家庭を破壊します。つまり 大切なのもを
 見えなくしてしまったり 大切なものと同格のようにふるまったりします。
 だから 不倫は性器だけの楽しみとして認識しなければならないのです。
 イキイキしていると表現したのは すべてがそうだとは申しませんが
 ほとんどの場合 これから最初のSEXをしようとする不倫カップルは
 イキイキしているものです。それを指して わたしは言っていたのです。

 不倫のリスクについて
 わたしが もし不倫で妊娠した場合 普通に育てます。
 そもそも うちの子供達も望んで産んだこどもではありません。
 彼等は 避妊しているにもかかわらず 自らの神秘なる力で生まれてきたのですから。
 生まれてきたこどもを わたし達が育てる状況にいただけです。
 主人の不倫のこどもが生まれてきた場合も同じです。ただDNA鑑定はします。
 
 エイズについて
 基本的には コンドームを使用すれば問題はないと認識しておりますが
 年間のエイズ発症数は1000人以下 年間の交通事故死亡数は10万人以上
 年間のエイズの感染者は たぶん一万人はいないんじゃないでしょうか?
 とても はずかしいことですが ナマでしてしまうんですよね。
 aoihoshiさんは お若いからわからないと思いますが
 年齢を重ねるにしたがって 性器がどうしようもなく淫蕩になります。
 相手を見てはいるのですけれど 最近コンビニで若い子に「おねえさん、遊んで
 くんない?」なんて声かけられると 我慢できないくらいのドキドキを
 感じてしまいます。いまは なんとかこらえてますけど・・・。
 わたし達夫婦は エイズで死ぬのかもしれません。
 いずれ この身体に棲んでいる快楽からは 逃れられないし 逃れようとする
 必要もありません。お化粧もおしゃれも すべてそのためのものなのです。
 毎日自分の性器を愛でながら おんなの身体にただひとつ空いた快楽の
 亀裂をおもいっきり広げて直径6cmほどの小さな入り口の深い肉の穴に 
 無限の自由を満喫しております。
 人生 ただただ 在り難し・・・。
 
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。(何度もすみません。)

 分かりやすく解説していただきまして、ありがとうございました。大体において理解できたようにように思います。

 (1つ補足させていただきますが、エイズ発症数や年間の交通事故死亡数については、日本国内での数を示されている事と思いますが、私の記憶が確かなら、年間の交通事故死亡数に関しては、1万人前後で推移していたと思います。)

 >年齢を重ねるにしたがって 性器がどうしようもなく淫蕩になります。

 ・・私にはまだ分かりませんが、そうなのですか・・。この手の質問に関しては、私の周りのおば様たちにあからさまに聞く訳にも行かないでしょうし・・ でも、う~ん、興味津々・・! 男性の場合は、逆に、減退傾向ですよね。

 最近は、ご回答文の後尾(「交尾」とかけているのかな~ぁ??)の部分に、性についての赤裸々な表現が含まれる傾向が強くなっていますので、う~ん、何とお答えすればよいのやら・・(赤面)。 ・・No.13のお礼欄にさっさと逃げることが最善策のようです。
 

お礼日時:2002/06/17 19:38

悟りを得れば人生は成功でしょうが、これはなかなか難しい。

ですが、人生を失敗しないために分かっていることならあります。

「人生に妥協しない」

妥協はいくらでもします。人と人との交渉や、目の前の問題を解決する場面では。
しかし、人生に妥協してはいけない。今、何をしていても、どのような境遇にあろうとも、自分の「生」がかけられている最大の博打で手を抜くことは許されない。

倒産も、失職も、投獄も、離婚も(結婚も^^)、人生の中に付きまとうあらゆる失敗の一例に過ぎない。
「人生」に妥協を許さず、結果としてこの手の失敗を犯したからといって、何を悔やむことがありましょうか。

だれでも悲しいときは泣きます。楽しいときは笑います。でも、「ニコニコしているとね、楽しい事ばかりなんだもん」というのは非常に積極的な人生における決断だとおもいます。「あいつ、何言われてもへらへら笑っていやがる。ばっかじゃねーの」という一言に、妥協してはいけない。傷つくことがあっても、「それが私の生き方なんだ」という思いさえあれば、人生そのものを失敗することはありえないとおもいます。

けれども、人の言動に惑わされることも、自分の中にある「もっと楽がしたい」という気分も、大きな後悔の種として人の前に立ちふさがることでしょう。悟りを開くことの難しさは、そういうところにもあるとおもいます。「わかっちゃいるけどやめられない」というのも、ある意味では人間の本質をあらわす言葉ではないでしょうか。自戒を込めて。
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この回答へのお礼

 
 ご回答ありがとうございます。

 「他人には厳しく、自分にはやさしく」という人達が多い中で、「自分には厳しく、他人には温かい目で」というお考えには感動いたします。

 「おのれに勝つものは最大の勇者である。」 ・・楽を選ばず、試練を必死の思いで耐え忍ぶ精神があってこそ、悟りは開かれるのかも知れません。

 「確固とした信念の基に我が道を行く。」 ・・かっこいいですね。現代の侍(さむらい)のようにも感じます。

 socraさんの、その気高い姿勢に賞賛の拍手を贈ります。
 

お礼日時:2002/06/17 19:36

補足です。


●わたし達夫婦は 例えるならばどんな夫婦かなあって いろいろ思い返して
 いたんですが 結局一番イメージとして近いのは エミリブロンテの
 嵐が丘の ヒースクリッフとキャシーのふたりだなあって感じます。
 いたずら心がぴったり合ってて、なかよしって感じですよね。わたし達は
 あの小説のようにすれ違いにはならないとおもいますが もしなったら
 わたしも お墓を掘り起こしてでも主人を抱きしめると思います。
 わたしたち夫婦は それプラス好色で そこのところも了解済みで
 互いに楽しめる境地を築けているということなんです。
 愛が深ければ深いほど 性の問題はクリアするべきです。
 それが この問いに対する一番の言いたいところになると思います。
 そこが皆さん気づかれていない方が多いし 対処できていないところだと
 思うからです。でも そこさえ乗り越えれば かなりいい人生を送れると
 わたしは思いますし。そのようにされてらっしゃるご夫婦も多いと思います。
 何年たっても仲よく ほんとうに楽しそうにお二人でいらっちゃるご夫婦は
 たぶん わたし達夫婦のように性の問題を快楽に変えてらっしゃるのだろうと
 推測しております。目のかがやきがポイントです。いつでもは無理だから。
 なるべく多くの時間 目が輝けるようにコントロールするべきだと思います。
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この回答へのお礼

 
 度重なるご回答ありがとうございます。

 少し安心しました。それほどまでに愛し合っているなんて素敵です。ただ、「嵐が丘」という壮絶なストーリーの中のヒースクリフとキャサリンをchihokoさんご夫婦に当てはめて考えるには、複雑すぎて、私には時間がかかりそうです。。(単純に考えれば良いのかも知れませんが・・)

 >愛が深ければ深いほど 性の問題はクリアするべきです。
 ・・確かに正論だと思います。でも、他者の性器に救いを求める思想は、まだ私には理解できません。

 ■ よろしければ、また教えて下さい。

  リスクは必ずついて回ることと思います。もし、避妊に失敗してしまった時、chihokoさんなら、中絶などは絶対にしないと思いますが、どのような対処をされるのでしょうか? ご主人は快く了解してくれるのでしょうか?

 また、ご主人と他の女性との間にできた子供を引き取らなければならなくなった時、chihokoさんは、快く承諾できる心構えがあるのでしょうか?


 先日も申しましたが、最近になって執拗なまでに「性」について論証を求めようとされているその気高い姿勢には敬服いたしております。chihokoさんの哲学観には、過去の偉人達の言葉とは違い「新鮮さ・斬新さ」があります。そしてそこには絶対の自信も感じとれます。さらに、そのキャラクターには、読む人(少なくとも私は)を飽きさせる事がありません。そのうちに、その思想を著書にして世に著す事もあるのでしょう。今後の展開も楽しみにしております。

 ありがとうございました。
 

お礼日時:2002/06/16 22:59

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