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下記サイトによれば、鑑真は東大寺を追われ、唐招提寺も私寺だったとされています。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic25.html
758年、鑑真は大僧都を解任され東大寺を追われた。
「鑑真は私寺となる『唐招提寺』を開き戒壇を造る。
「この非公式な戒壇で授戒を受けても、国からは正規の僧とは見なされなかった

これは本当のことでしょうか?
鑑真は朝廷からけむたがられていたのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

鑑真が、東大寺を追放になったのは事実です。


当時、民は重税に苦しんでいました。
ところが、僧侶は「税金免除」となるため誰もが税金逃れのために「僧侶」となったのです。
当然、彼らは「名ばかりの僧侶」。修行した事もなく教養・知識もありませんでした。
政府は「税収減」と「偽物僧侶の増大」を危惧し、僧侶の資格を「国家管理」する事を考えました。
朝廷が認めた者だけを「僧侶」としたのです。
ところが、鑑真は「僧侶育成よりも仏法を広める」事に重点を置いていました。
当然、朝廷側と対立が起き、「国立東大寺」を追放(解雇)となりました。
しかし、鑑真を慕う人達の援助を得て「私立唐招提寺」を設立します。

>国からは正規の僧とは見なされなかった

その通りで、唐招提寺で授戒を受けても、国からは僧侶と認識されませんでした。
公認僧侶と非公認僧侶が、存在する事になります。
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