街中で見かけて「グッときた人」の思い出

 アメリカの教育学者ドロシー女史の「○○された子どもは○○をおぼえる」というパターンの行がいくつか続く詩があります。以前、皇太子様が会見で紹介されたこともある詩です。
次の質問のNo.2の方の回答に全文が紹介されています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2086354.html
 この詩を初めて聞いた時に感銘を受けて、何度も読み直して、子育ての参考にしているのですが、1点意味がよくわからない所があります。「寛容にであった子どもは忍耐を覚える」という表現があるのですが、寛容ということは親からしてみると、その子どもの気持ちを受け入れて、いろいろなことを許すということだと思います。しかし、一歩まちがえると子どものわがままを聞いてやることになります。そうすると子どもは、この詩に書いてあることと逆に忍耐力のない、我慢のできない子どもに育ってしまうのではないかという気がします。
 つまり寛容という言葉を単純に受け取ると、「寛容にであった子どもは忍耐を覚える」ではなく「寛容にであった子どもは忍耐がなくなる」ということになるのではないかとどうしても考えてしまいます。この部分の本来の意味を知りたいのですが、本当はどのような意味なのでしょうか。
 この詩の他の部分は納得できることばかりで、子育ての方針としてとても役立っているので、せっかくなので、この部分も正しく理解して実践していきたいと思っています。よろしくお願いいたします。

A 回答 (6件)

そのURLの次に意訳ではなく直訳が載ってますね。



子供を見つめてあげれば、頑張りやになる、と。

「寛容」は「甘やかし」とは違います。

無条件にではなく、その「子供の範囲内」で許し、子供の好きなようにさせる。
自分で計画をたて、自分で実行し、
そして分からないことは自分で調べる。

自分で壁にぶつかって、自分で乗り越える。


つまりは、そういうことでしょう。


子供が砂山を作りたいと思った。
親が作ってあげるのは簡単だが、介入しない。
子供は自分で砂山をつくってみて、
崩れて、水を含ませることを自分で思いつく。

この回答への補足

なんでも許してしまうのではなく「子供の範囲内」で許し、子供の自主性を尊重するというように理解しました。ただ、ご説明していただいた内容と詩の「忍耐を覚える」ということのつながりが、今ひとつわかりませんでした。「自分で壁にぶつかって、自分で乗り越える。」というご説明がありましたが、壁にぶつかっても我慢して頑張り、そのことにより「忍耐」をおぼえていくと理解すればよろしいのでしょうか。

補足日時:2007/04/24 11:04
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。参考になりました。

お礼日時:2007/04/24 11:03

私自身は、


子供が何度も同じ失敗を繰り返しても許して見守っていると、
子供はできるまで繰り返し努力することを覚える。
頑張るという行為には忍耐が必要なので。
そういう意味かなと思いました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。なるほど、「寛容」という言葉は子どもの失敗に対して寛容という受け取り方もできますね。
いろいろな方から回答をいただいていますが、回答者の方によって詩の受け取り方が違うので、驚いています。でも、それぞれの方の回答がすべて納得できるものばかりで子育ての参考になるので、とてもありがたく思っています。

お礼日時:2007/04/24 15:26

独断で良いですか?



原文は知りませんが寛容に忍耐の意味が含まれてませんか?
親の忍耐に触れれば、子も忍耐を知ります。
「あの時、親は自分に忍耐強く接してくれた。」と思えばきっと子供もそれを実践するでしょう。

小さな子供でも自分をおんぶしてくれる親に気を遣うものです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
親の背中を見て、子どもは育つということですね。親の私自身が見本になるようにがんばっていこうと思います。

お礼日時:2007/04/24 12:33

厳格さとは親の締め付け、決めつけと考えるといいのかもしれません。

厳格にルールを適用しようとする神経質さ、でもいいかな?
子供の意見に耳を傾けず、気持ちを無視して一方的に干渉し、はては怒鳴り散らしていたら、子どもは「だまってやり過ごせばいい」という発想で止まってしまう可能性があります。表面的には反抗しなくなり、忍耐力がついたように見えるかも知れません。そこから先は…ご想像くださいませ。

親自らが怒りを鎮め、寛大な心を持って子ども(他人でも同じ)と接して冷静に対話していれば、そもそも子どもが感情的な怒りや暴力で問題を解決する、という発想には至らないですよね。それが根本的に忍耐力の源になるんじゃないかな、と。同時に冷静な対話のためには我慢が必要だと気付く、って事にもなると思います。
そして、冷静であればこそ自ら罪に気付いて反省もできるんじゃないでしょうか?他人から責められる一方だったら、自己弁護っていうか、反発したくなりますよね。

寛容さとは無闇に罪を赦す事でもないし、歯を食いしばり苦痛に耐え忍ぶのが忍耐なのでも無い、って事ですね。
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この回答へのお礼

ふだんからついつい子どもに我慢させようとして叱ることが多いのですが、回答を拝見して叱るのではなくきちんと対話をすることで子どもに忍耐力がついていくということがよくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 12:31

分かりにくかったようで申し訳ない



>壁にぶつかっても我慢して頑張り、そのことにより「忍耐」をおぼえていく
言いたかったのはそういうことです。

何でも手伝ってあげる買ってあげる
逆に、何でも規制する、
危ないからこれはだめあれもだめ、
その対極にあるのが「寛容」ではないかと。
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この回答へのお礼

納得できました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 12:27

こんにちは。


「寛容」を、「なんでも許す」と解釈するのではなく「悪い事は叱り正すけれど、その子の存在自体は否定しない(そういう意味では許す)」という感じに解釈するのはどうでしょうか? 罪を憎んで人を憎まず、のような。結果、その子は人に許されることの喜びを覚え、ひいては人を許すことを覚える(許すには忍耐が必要)と。
私も皇太子様の会見でこの詩を知り、感銘を受けました。残念ながらまだ子どもを授かっていないのですが、いつか子育てができるようになったら私にとってもバイブルになりそうです(笑)子育ては大変なことも多いと思いますが、充実した育児ライフを送ってくださいね♪
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この回答へのお礼

人を許すことで「忍耐を覚える」ということですね。よくわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2007/04/24 11:10

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