プロが教えるわが家の防犯対策術!

幼児期児童期、親に何らかの問題がある(あらゆる親は幾分課の問題があるでしょうが、許容範囲というものもあるでしょう)家庭に育った場合、子供は「自分が悪いのではないか」あるいは「親というものはこういうものだから仕方ないんだ」というような、非常に「寛大」な心構えを作ってしまい、あとで問題になることが多いかと思います。
これを、その時期から、もっと客観的に親を見るということができないものでしょうか?つまり、「この親の態度はおかしい、所詮これくらいの人間でしかないんだ」というような、諦めと寛容の精神で過ごせば、トラウマ的な真理的傾向は残さないですむでしょう。なにか、こういう個人的悲劇を回避する方法はないでしょうか?

子供にそのような、処世術を要求するのは無理だと99パーセントは分かっていますが、しかし、こういうことでも可能にならないと、不幸な子供は救えないのではないでしょうか?なんとか、対策を打たなくてはいけません。

A 回答 (2件)

おっしゃるように、対策を必要としている瀕死の子供たちは多いと思います。


そして、見て見ぬ振りをしている(あるいは何をしてよいか分からず手をこまねいている)我々自体が負の連鎖を助長しているわけでしょう。

拙速的には、まともな教師の育成が必要なように思います。
精神の固まりきっていない幼い時期、もっとも彼ら彼女らと接する機会が多いはずです。
わかってくれる身近な大人が必要だということなのですが、その必要性を我々がどこまで理解できているのか、ということでしょう。
そういった境界にいる幼い子供たちにとって、ちょっとした一言が、あるいはたった一人の人が及ぼす影響は相当大きいはずです。
他にも色々あるでしょうが、根本的には、他者にとって相対的影響を及ぼす存在として自分自身を地道に変革していくより道は無いような気もします。
経済問題に関するのと同じぐらいの熱意を注ぐことができる文化風土が醸成されたとき、やっと微かにでも展開が見えてくるのではないでしょうか。
それらがある日、意図せざる総意として何かを変える結果に知らぬうちにつながることもあるでしょう。
 
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この回答へのお礼

ご賛同、ありがたく感じました。
教師の存在ですか。形骸化しているのかもしれませんが、親以外に関わる最大の大人として、もっと影響力を残して欲しいものです。私もいろいろ物足りなさを味わいました。それから、仰るとおり、自分が他社に対して相対的影響を及ぼす存在であるという当たり前のことを実感させることでしょうね。それは結局、社会的活動の中で学んでいくものです。その充実をもっと準備することでしょうかね。

爆論を言うと、地域一体となった教育システムというのは甘くて、地域一体となった家庭というものが必要ではないか?つまり、幼児期児童期に、一定期間で同じ学年の子らの家庭にローテーションで住み込みさせるのです。クラスの親は私の親、クラスはみな兄弟ってわけですね。これで、ああ自分の親はこんなだ、他人の親はいろんなのがいる、という全くもって納得する事態が起きるでしょうね。

お礼日時:2007/05/11 07:53

確かに自分も含め被害者を救いたいですね。


解決策は……。

私は一人暮らしを始めてから徐々にではありましたが改善に向かいました。


家族の歪みを全て受け入れてしまうために、心が病んでしまいます。普通の子供と違い、人生がマイナススタートから始まりますからね。それと、慢性的なストレスは海馬の神経細胞が減少するので記憶力も乏しくなりますね。

ですが、飢餓で苦しむ人達より楽だと思います。

残念ながら、人間界は犠牲なしには成り立たないでしょうね。
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この回答へのお礼

なかなか苦労されたようですね。
こういう問題は時代とともに解決していくものでなく、恒常的にあるんですね。人間は成長しないということなのでしょう。
やはり、いろいろ付随的なマイナス効果も出てしまうのですか。。。しかし、確かに飢餓で苦しむよりいいはずなのです。幸福度のレヴェルというかそれを調整できない悲しさが人間にあることがまた問題です。
なかなか解決は難しいようです。

お礼日時:2007/05/10 22:21

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