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なまじ知ったばかりに不幸に陥るということがあります。
自分では結構まともだと思っていたことが、客観的にみると劣っていることだったりした場合、その知識のために不幸に陥ったということもできます。逆に知らないためにたいしたものでないものをありがたがり、幸福の糧にできる場合もあります。

そう考えると、客観的には不幸なことでも本人にとって幸福なのと、その客観性を知ったばかりに不幸に陥ることは、どう考えればいいのでしょうか?まるで「知識」のせいで不幸に陥ったかのように思えます。「知識」が悪であるかのようです。

例:
後進国で情報統制してたために国民に世界的生活水準が知らされず、国民は結構これがいい暮らしなのではないかと錯覚している。

身体障害がある人がそれに慣れてしまって普通だと思っていたのに、健康体というものを再認識して不幸感に陥る。

子供で、自分の家庭が結構いい家庭なのではと思っていたが、ホームステイとかで他の家庭を垣間見て「ああ、おれは不幸だ」などと感じる。

A 回答 (21件中21~21件)

「アルジャーノンに花束を」でも同じような事が言われてましたね。


知能が高い事が幸福に繋がるわけじゃない、と。

満ち、足る。満足を知る事が幸せの条件なのでしょうが、
贅沢や違う世界を知ってしまえば、満たさなければいけない
容量が増えてしまうでしょうから、
幸せは遠ざかってしまうのでしょうね。
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この回答へのお礼

容量が増えるということが問題なんですよね。それが幸福とは反対方向の動きになってしまうんです。

お礼日時:2007/06/24 17:15

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