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沖縄戦では多くの一般人が自決しました。
軍が自決をすすめて、青酸カリや手榴弾を与えていたようです。
沖縄はいずれアメリカに占領される運命であることはわかっていたと思うのですが、
どうして一般人に自殺をすすめたのでしょうか?
一般人が捕虜になろうが、自決しようが、軍の作戦の遂行上、さほど影響がないとおもうのですが。
軍人が捕虜になれば秘密をもらす可能性がありますが、
一般人には関係ない話です。
そもそも一般人を守るための軍隊なのでは?

よろしくお願いします。

A 回答 (12件中1~10件)

沖縄における集団自決に軍命令の有無を論ずることは、枝葉末節の論議です。


集団自決が事実存在する以上、局限状態における精神状態を理解することは今日困難なことです。

少なくとも最後の戦闘を意識しなければならない時、貴重な手榴弾を使用法も不慣れな民間人に手渡す事は明らかに軍律違反で一兵士の才覚で行われることではありません。  それが自決用か戦闘用かは不明にしても。
なんらかの命令、黙認があったと考えるのが常識的です。

当時の軍隊で文書乃至口頭での命令が正確に前線に伝達されたかの論議は不毛の論議です。
日本軍は米軍に接近切り込み戦法しか有効でなく、この為民間人に多くは若い婦女子に変装して接近するよう命令を受けていましたが、この命令は米軍に解読されて米軍兵士に警戒命令が発されていました。
従って投降しようとする民間人も誤解を受けて射殺されたケースがあったのです。

しかも日本軍は民間人も含めてハーグ陸戦条約やジュネーブ条約という捕虜保護の条約の存在すら教えられていませんでした。
従って当時の情報では投降した場合の取り扱いが過酷なものという恐怖が存在したのです。
しかも日本では自殺を罪悪視する習慣はなく、宗教的制約もありませんでした。
このような状態におかれて自殺を考えても不思議ではありません。
集団自決が強制であったか自発的であったかを論議するのが不毛の論議としたのはこの理由です。  
日本軍が担送困難な重傷者や病者に自殺を強制した事は事実です。
この思想の延長線上に民間人に対する考え方があります。

軍は本来戦闘を任務として民間人の保護を任務とするものではありませんでした。
本土決戦に備えて群馬県にひそんでいた戦車隊に出動命令が出た場合、道路は避難民であふれていた場合、どうするかを質問した隊長に参謀はひき殺して前進せよと答えられたといいます。

捕虜に対する質問は軍人、民間人を問わず米軍ではシステム化されていて民間人といえども知り得た情報を調査されました。
防衛陣地の設置に民間人も動員されていましたから意識しなくても情報は漏れるおそれはあったのです。
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日本のマスメディアが、南方の日本占領地をアメリカに占拠されたときに、



日本人自決!玉砕!

なんて報道したから。
国とマスコミが民衆をそういう選択しか選べないようにしていったのですね。
マスコミは偉大ですね。

>>そもそも一般人を守るための軍隊なのでは?
こんな建前を当時本気で信じて実行していたのは日本人くらいですよ。
外国は、さっさと上官は部下を盾に。その部下は住民を盾にして生き延びる方法を取っています。
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あの、『軍』と言いますが、あの時代にどれくらい上意下達が行われていたんでしょうか?


携帯電話は、ありませんよ。敵国から、自国を守れ、という大前提としての命令を、尉官級の将校が自分の中で咀嚼して出した命令だと思います。
 それを、どの程度『軍』の責任とするのでしょうか?

他方、『今回の陸上戦において沖縄の人々は多大な貢献をした。願わくば沖縄に一層のご配慮を願う』と言って死んでいかれた司令官もいらっしゃいます。
 それでも、被害者としての沖縄の方々にとっては、どうでもいいことなんでしょうかね?

 沖縄最後の体当り攻撃の目標を、米軍兵舎から近隣の田圃に変えた指揮官がいたことを、お分かり頂いているんでしょうか?

 質問者様の素養が判らないのですが、当時、『軍』は数十万の人間のいた組織です。現在で例えれば(例えて申し訳ないですが)警察庁であって、とある警察署がけしからん事を行ったとして、警察行政全般の責任とは言えないんでしょう。と言うのが私の論点です。
 
 
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NO7です。


追加です。

集団自決(玉砕)をしなければならないほど、日本は追い詰められた。
つまり、集団自決の真犯人は「アメリカ」ということです。
日本人、特に沖縄の人はどういう訳かこういった認識がないんですよね。
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 アメリカ軍に捕虜にされたらどうなるか。



 当時、軍人であれば、投降しても捕虜には取られず、皆殺しでした。南方戦線から島伝いに占領をしてきた米軍の行動のことです。
 人間扱いなどという言葉は、薬にしたくてもカケラも無しです。
 死体の頭部を煮溶かして頭蓋骨を本国の恋人に記念品として送ったなんて話が、「美談」として報道されていました。

 で、当時の世の中は、それが標準でした。
 特に有色人種に対する白色人種の認識は、ヒトかどうか疑わしいという代物でしたし。
 実際、米軍は民間人が居ると分かっていて火炎放射器で洞窟を焼きましたし、東京の民間人居住区を焼夷弾で焼き払いましたし、広島・長崎に原爆も落としています。

 そういう相手と戦っていたのです。軍人としては、そんな連中に、民間人、とくに若い女性が捕らえられたらどうなるか、想像したくも無かったでしょう。今でも米兵によるレイプ事件はときおり起きています。民間人側としても、生死を共にして極限状態になったとき、もはや足手まといにしかならないと思ったとき、自ら死して心置きなく戦って欲しいと感じたでしょう。

 平和ボケした頭で想像できるほど、戦場の極限の心理は、生易しいものではありません。

 なお、軍が方針として民間人を自決させようとしたら、必ず文書が残ります。口頭での指示のみなんてことは、「軍の方針」としてはありません。口頭の指示のみという現象があったとしたら、現場指揮官レベルの現場の判断です。
 それが軍隊という組織ですから、これを踏み外した話は、妄想と言って差し支えありませんね。

 また、軍による自決命令、という有名な話は、遺族年金を受け取るための苦しい嘘であり、そのことは既に明らかになっています。戦後の苦しい生活の中で、そうしないと生きていけなかった遺族の苦衷を知って、当時の軍人は口をつぐんでたのです。
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集団自決の軍命令はウソの可能性が高いようですよ。


むしろ、住民が自ら集団自決をしようと軍に願い出て、梅沢隊長などはその願いを断っています。

■それではなぜ軍命令があったと言われているかと言うと、詳しくはこちらをどうぞ↓

『第二次大戦末期(昭和20年)の沖縄戦の際、渡嘉敷島で起きた住民の集団自決について、戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務に携わった照屋昇雄さん(82)=那覇市=が、産経新聞の取材に応じ「遺族たちに戦傷病者戦没者遺族等援護法を適用するため、軍による命令ということにし、自分たちで書類を作った。当時、軍命令とする住民は1人もいなかった」と証言した。渡嘉敷島の集団自決は、現在も多くの歴史教科書で「強制」とされているが、信憑(しんぴょう)性が薄いとする説が有力。琉球政府の当局者が実名で証言するのは初めてで、軍命令説が覆る決定的な材料になりそうだ。

 照屋さんは、昭和20年代後半から琉球政府社会局援護課で旧軍人軍属資格審査委員会委員を務めた。当時、援護法に基づく年金や弔慰金の支給対象者を調べるため、渡嘉敷島で聞き取りを実施。この際、琉球政府関係者や渡嘉敷村村長、日本政府南方連絡事務所の担当者らで、集団自決の犠牲者らに援護法を適用する方法を検討したという。

 同法は、軍人や軍属ではない一般住民は適用外となっていたため、軍命令で行動していたことにして「準軍属」扱いとする案が浮上。村長らが、終戦時に海上挺進(ていしん)隊第3戦隊長として島にいた赤松嘉次元大尉(故人)に連絡し、「命令を出したことにしてほしい」と依頼、同意を得たという。

 照屋さんらは、赤松元大尉が住民たちに自決を命じたとする書類を作成し、日本政府の厚生省(当時)に提出。これにより集団自決の犠牲者は準軍属とみなされ、遺族や負傷者が弔慰金や年金を受け取れるようになったという。

 照屋さんは「うそをつき通してきたが、もう真実を話さなければならないと思った。赤松隊長の悪口を書かれるたびに、心が張り裂かれる思いだった」と話している。

 300人以上が亡くなった渡嘉敷島の集団自決は、昭和25年に沖縄タイムス社から発刊された沖縄戦記「鉄の暴風」などに軍命令で行われたと記されたことで知られるようになった。作家の大江健三郎さんの「沖縄ノート」(岩波書店)では、赤松元大尉が「『命令された』集団自殺をひきおこす結果をまねいたことのはっきりしている守備隊長」と書かれている。

 その後、作家の曽野綾子さんが詳細な調査やインタビューを基にした著書「ある神話の背景」(文芸春秋)で軍命令説への疑問を提示。平成17年8月には、赤松元大尉の弟らが岩波書店と大江さんを相手取り、損害賠償や書物の出版・販売の差し止め、謝罪広告の掲載を求める訴えを大阪地裁に起こしている。』(産経新聞 正論 2006.8.27)

要するに、遺族年金などを受け取れるように、集団自決は軍命令だったと装ったということです。
照屋さんの実際の証言などの動画がネットでも検索すると見られると思います。

■では、そもそもなぜ住民が自ら集団自決をしようとしたのかというと、

(1)米軍が上陸したら何をされるか分からない恐怖があったこと。
(米軍は上陸前に沖縄に無差別爆撃を行いました。そんなことをする張本人が上陸するとなれば住民は当然恐怖におののきます)

(2)県民の郷土愛や当時は日本軍への信頼があったこと。
(戦闘が始まる前に日本は住民を疎開させよとしたが、なかなか住民が沖縄を離れようとしなかった上に、実際に疎開させている船が米軍に撃沈されたのでなおさら疎開作業が困難になりました。)

(3)住民自身が軍の足手まといにならないためにと考えたこと。
そして、(1)とも関連しますが、生きて恥をかく(虐殺や捕虜やレイプされる)ぐらいなら自ら潔く散るというのが、当時の美学だったからです。

ちなみに、「集団自決」という言葉自体、戦後にできたもので、当時は「玉砕」と言っていました。
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No,3の方の言う通り、成否はまだ分かっておりません。



沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実 曽野綾子
http://www.amazon.co.jp/%E6%B2%96%E7%B8%84%E6%88 …

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まず一般市民でも軍と行動を共にしていれば


情報がもれる可能性は十分にあります。
そもそも”情報”とは
日本軍がどこにいるのかというものです。
軍事知識は全く必要ありません。

あと旧日本軍は一般市民を守るための軍隊ではなく
天皇の軍隊です。一般市民つまり臣民も
天皇のために命をささげる存在でしかなく、
ここが現代、あるいは他国の軍隊とは根本的に違います。
だから日本軍が沖縄戦のみならず、
硫黄島、サイパン、あるいは満州などで
市民の安全を全く考慮しなかったのは、理にかなっています。
すべては天皇のためであり、国民のためではありません。

一般市民に自決を勧めた理由はいくつかありますが、
まず日本軍は出来るだけ長く抗戦を続けたかったので
食料や水の消耗を抑えるために、
一般市民が生きていること自体が邪魔だだったのです。
また砲撃が激しくなると、洞窟などに隠れたのですが、
隠れ場所にはスペースの都合から一般市民は邪魔で、
赤ん坊や子供など物音を立てるという理由で殺されたケースも多数あります。
日本軍は戦闘員以外を必要としておらず、
軍に同行し足手まといになる市民を残しておくと、
本土出身者は(言葉もあまり通じない)島民に不信感を持っていたこともあって
地形や道などの情報をアメリカ軍に教えないかと危惧して、
残すに残せず、連れて行くこともできなかったので
自決を強く勧める結果になったわけです。

ちなみにですが、生存者の無数の証言から
軍から自決命令が出てことは疑いの余地がありません。
ただそれが文書によらず口頭によったというだけです。
文書による証拠がなければ存在しなかったんだみたいな愚かな論調の
(髪型が特徴的なおばはん)ジャーナリストが若干いますが、
全く馬鹿げています。

そもそもこの時期の日本政府は、一億玉砕をスローガンとしており、
沖縄の玉砕とはすなわち、市民も兵士もみな死ぬべしとされたのです。
すべては本土での地上戦の準備の時間稼ぎ、ひいては終戦までの
過程の捨石です。
日本軍が何を目指していたかを考えれば、何をやったかは明らかです。
当時の論理や道徳観ではそれは自然なことであり、
すべてを戦争に投げ出していたのですから当然の結果です。
それを現代の道徳観や善悪意識を持ち出して、歴史を修正しようというのは
まったく愚の骨頂です。
それは結局、何も分かっちゃいないということにしかなりませんからね。
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自決命令は成否がわからないとのことです。


ここに詳細がありますのでどうぞ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E7%B8%84% …
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>そもそも一般人を守るための軍隊なのでは?



当時の軍には、お国(国体・皇室)は守っても、市民(一般人)を守るという概念は無かったんじゃないかな?

まあ個人レベルでは篤実な軍人さんも居たでしょうが、
軍隊の性質として、勇ましい(粗野で冷酷)方が主流というか発言権があるので、組織としての旧軍には住民保護の概念は無かったのでは?

秘密保持というよりは、軍人が玉砕するのに住民が投降しては、軍上層部や本土の国民に示しが付かない。
ここは、大和民族の団結を示すためにも住民もろとも玉砕だ!!
と、思考したのかもしれません。

あくまでも、私なりの解釈ですが。。。
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