激凹みから立ち直る方法

最近歴史に興味をもち勉強しているのですが、
ある本を読んでいたところ第二次世界大戦が
起こった原因に、ヴェルサイユ条約、ミュンヘン
協定、英ソ同盟交渉、英独秘密交渉、独ソ不可侵
条約が漠然とあげられていました。
ヴェルサイユ条約はナチスを生むきっかけとなって
いて第二次大戦勃発の原因になったであろうことは
なんとなくわかったのですが、その他はいまいちなぜ
原因になっているのかわかりませんでした。
そこでみなさんの意見を聞きたく質問いたしました。
第二次大戦が起こったことについてイギリス、フランス
、ドイツ、ソ連はそれぞれどんな責任があったのでしょうか?
よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

 あまり歴史に詳しいとは言えませんが、第2次世界大戦に関する本を読んだことがあるので、説明を試みようと思います。



ミュンヘン協定
 武力を背景にチェコの領土を狙うドイツに対して、戦争を回避したい英仏が妥協してチェコに領土を割譲させたという点が問題であると思います。
 チェコに対する領土要求の正当性が乏しかった(ない)のにも関わらず、それを認めたことでドイツに対して歯止めをする一つの機会を失ったといえるかと。

英ソ同盟交渉
 ドイツの力が増大することで、脅威を感じたソ連は英仏に接近しますが、この交渉が上手く進展しないことがソ連のドイツ接近を促し、独ソ不可侵条約締結の要因となったと言えるでしょう。

英独秘密交渉
 これははっきりとわからないのでパスさせて下さい(第二次世界大戦開戦直前に、B・ダレルスが仲介して行われた交渉のことでしょうか…)

独ソ不可侵条約
 この条約でドイツは英仏ソの連携の可能性を断ちました。これがポーランド侵攻を決定的にし、その結果第二次世界大戦が始まることになります。

 文春文庫の「第二次世界大戦 ヒトラーの戦い」全10巻を読んだ事があるので、軽く再読しながらこの回答を書きました。各原因に対しての説明に不都合がある場合には、全面的に私の読解力及び理解力の欠如によるものです。とんでもない誤解はないかなとは思いますが、より鋭い把握や分析や、不備を補うためにも他の方の回答や、再度なんらかの本で、是非確認をしていただけると幸いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。大変参考になりました。わかりやすかったです。英独秘密交渉はなんなのでしょうね。イギリスが戦争回避を目的に行ったとか・・・ドイツとの戦争を回避するためでしょうか?交渉はうまくいかなかったそうですが。はっきりわからないので間違っていたらすみません。ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/21 21:56

#2です。



> 独ソ不可侵条約が第二次大戦勃発の最終的な引き金となったのですね。

見た目上はその様に思えますが、政権奪取時からヒトラーは不倶戴天の敵として、ソ連を挙げています。
つまりヒトラーは、独ソ戦は行う事に決めていました。
ソ連侵攻のタイミングを見ていただけと思っていてください。
(不可侵条約のおかげで、戦略的奇襲が可能となった)
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 自信ありませんが、英独秘密交渉をポーランドを巡っての話だと推定して補足します(違ったらそんな話もあったな程度で…)。

あとミュンヘン協定を少し訂正。

「英独秘密交渉」
 チェコを併合したドイツは次のターゲットをポーランドに向けます。しかしポーランドはチェコと異なりドイツの要求を受け入れない姿勢のため、戦争が避けられない状勢となりました。そこで対ポーランド戦に際して英国の参戦を危惧したドイツは、英国の意向を探るべく秘密裏に交渉を開始します。この結果、対ポーランド戦に英国が参戦する意志が変わないことが判明し、ドイツのポーランド侵攻は英独戦争を意味することになり、すなわち第二次世界大戦の引き金となる性格が定まったように思います。

「ミュンヘン協定」
 この協定が正当性が乏しかった(ない)と前回書きましたが、チェコ国内のドイツ人保護という名分があり、私の主観が強すぎるように思うので訂正します。しかし、ラインラント進駐、オーストリア併合とこの協定で得た領土までは、ヴェルサイユ条約の不満を解消する行為として理解できるでしょうが、工作を行って協定外のチェコの全土に近い部分を併合してしまったことで、ドイツの他国への野心が露になったとは言えると思います。
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始めまして。


私も「英独秘密交渉」については分かりませんが、;^^A
挙げられたものが時代順になっている事を考えればミュンヘン会談の後に、ドイツ政府が会談での約束事を破った行動に出た事への抗議の為に、当時の英首相チェンバレンがヒトラーと会談したことを指すのかな~と思います。

しかし、それだと秘密交渉でもなんでもないんですよね。;^^A お役に立てず、すみません。

ただ、既に答えられている内容の中で「英ソ同盟交渉」に関して「ソ連が英国に接近した」と「イギリスが~(中略)~ソ連と同盟を結ぼうとした」と2つの見解がありますが、私はこれに関しては「ソ連が英仏に接近した」との説が正しいと思っています。
ヒトラーは、普段から共産主義、共産主義者を嫌う発言を繰り返しておりドイツの勢力圏が拡大するにつれてソ連も脅威を感じて来た為に英仏に近づいたものだと思います。
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この回答へのお礼

そういえば2つの見解ありましたね。ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2002/07/24 17:54

私が判る範囲で、



ミュンヘン協定:
 当時のチェコに併合されたドイツ領を取り返す為、武力進駐したドイツを、イギリスが追認した形になったため、今後武力進駐しても戦争を起こさないと判断した。

英ソ同盟交渉:
 当時ドイツとソ連は世界から孤立していましたが、秘密協定(ラッパロ秘密条約)を結び軍事技術を発展させました。
 その後ドイツを脅威と感じたイギリスが、ドイツを牽制する目的でソ連と同盟を結ぼうとしたが、結局イギリスの情報がドイツに流れただけ。

独ソ不可侵条約:
 ドイツは潜在的敵国として、英仏とソ連が在り二正面作戦を行わなければならない為、片方と手を組み自国の背中を守る事にしました。この相手が、ソ連です。
 ポーランド侵攻は、独ソ不可侵条約の中の秘密条約により行われた。このポーランド侵攻の結果英仏が、ドイツに宣戦布告を行い、第二次大戦が勃発しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。独ソ不可侵条約が第二次大戦勃発の最終的な引き金となったのですね。

お礼日時:2002/07/21 22:03

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