No.1
- 回答日時:
「苗字帯刀を許す」というのは、一言で言えば「ある平民に郷士身分を与え、武士に準じて扱う」ことです。
それぞれの藩によって、どのような場合にどのような形で「苗字帯刀を許し、郷士として扱う」としたのかは千差万別でしょう。また、「苗字帯刀が一代限りの特権か、代々相続することを許された特権かによっても異なるでしょう。ご質問の答は「明確な答えは出せない」となるでしょう。
余談ですが、藩の資料等で証明できない限り「うちの先祖は地主で苗字帯刀を代々許されていた」などという伝承を信じるのは危険です。往々にして誇張されているものです。
私事ですが、私の家は某藩のそれなりの身分の侍でしたが、オヤジが祖父や祖母(いずれも明治30年代の生まれ)から聞いていた情報と、私が藩の資料を調べて確認した情報とでは差異がありました。言い伝えと言うのは、別に悪意がなくても、だんだん自分たちに都合の良い方向に変わっていくもののようです。
早速のご回答ありがとうございます。
実は私自身の祖先が苗字帯刀でしたので、
兄弟もそうだったのか詳しく知りたかったのですが、
千差万別となると確かに明確な回答を得るのは難しいですね。
うちの先祖の場合は郷土史に苗字帯刀と載っているので、
「伝承」の可能性はないです。
No.2
- 回答日時:
苗字帯刀という表現が妥当ではありません。
苗字と帯刀は別物です。
苗字は所領を持つもの(公家・武家・庄屋・農家)はまず持っています。また商人も持っています。持っていないのは小作人などです。
次に帯刀ですが、日本国民は全員2尺未満の刀なら誰でも帯刀して歩けます。但し2尺以上の刀は所有出来ても帯刀は出来ません。出来るのは領主から禄をもらっている者に限られます。それと小柄を鞘に付けられるのは領主に雇用されているものだけです。
面白い史料としては、新選組が池田屋に押し入った際に使用した腰刀で史料が残るものは全て2尺未満です。彼らは武家として雇用はされていないため、2尺未満しか携帯できなかった証拠です。
士農工商というのはウソですし、藩も明治になって出来た言葉です。
回答ありがとうございます。
実は私自身の先祖が「苗字帯刀鎧着用」でしたので、
兄弟はどうであったのか知りたかったのですが、
兄弟のことまで知るのは難しいようですね。
No.3
- 回答日時:
「苗字帯刀」というのは、名誉付与ということもあったでしょうが、それだけではなく、実用上及び考え方の問題でもあります。
苗字帯刀を許されるのは、庄屋など村の最有力者で、藩統治の最末端の行政官であることを意味していました。
1、苗字:
村の名前と苗字・名前で個人が特定できるのです。
苗字のない名前のみの農民では、同じ名前があった場合には、個人を特定できないため、行政上の混乱の原因となるます。
2、帯刀:
不祥事があった場合、腹を切って責任を取る立場であることを意味します。
つまり、刀を帯びるのは公務を務めている最中だけ許されるもので、普段は刀をつけることはありません。
ですからたとえ、父親が死ぬ前であっても世代交代・健康上の理由で公務を勤められないとなれば、親は隠居し(=公務につかない=帯刀しない)、子供があとを継ぎます。
またこのような場合、「山下左衛ェ門」のような名前は、普通次の世代に受け継がれました。(ですから、○○村の庄屋は常に「山下左衛ェ門」ということになり、代替わりをしても公式記録には同じ名前が出てきます。つまり、個人が責任を取るのではなくその村の最有力の家の家長が責任を取るという考え方です。)
尚、正式なフルネームは親が「山下左衛ェ門信方」なら子供は「山下左衛ェ門信明」のようにもう一つ名前があり、親戚などの身内は「信方」「信明」のほうを使います。
使用人や村人は、隠居や若旦那で名前を呼ぶことはないと思います。
ですから、家のあとを継いだもの以外は、原則として冷や飯食いとなり、新田開発で新しい村を作ってそこの庄屋になるか、養子に行かない限り、分家して新宅となっても苗字帯刀を受け継ぐことはありません。
丁寧な回答ありがとうございます。
実は私自身の先祖が「苗字帯刀鎧着用」でしたので、
他の兄弟もそうだったのかどうか知りたかったのですが、
跡取以外に受け継がれることはないということですね。
この肩書きについては郷土史に掲載されているので間違いないのですが、
以前gooに質問した時、「農民なのに!?」とある意味物議をかもしました。
実際に「苗字帯刀鎧着用」のお宅をご存知で見学をしたこともあるという
回答者様の書き込みにより落着しましたが、
うちの先祖は何者なんですかね。。。
No.4
- 回答日時:
こんにちは
私が生まれた村のようすを残っている庄屋文書を基に記します。
苗字御免も帯刀御免も一代限りとか、子まで、あるいは末代といった区別がありました。
また「家」に与えられるのではなく(与えられたこともあったかもしれませんが)、「個人」に与えられています。ですから庄屋が代替わりするとその子も苗字御免というわけでなく、改めて許可が出ます。(ほぼ無条件だったと思われますが、素行調査などがあったかもしれません)
そのほか一般の農民でも藩に対して大きな功績があれば御免になります。おもしろい所では幕末のことですが、たった麦1石を献納しただけで苗字御免になった人がいました。ごく普通の農民です。
余談ですが、庶民に与えられる褒美としては、苗字、帯刀のほかにも裃御免とか袴御免などもありました。いずれにも一代限りとか永代といった区分がありました。
これらは藩によって違いますから、全国一律とは考えないでください。貴方の土地でのようすを調べてみるのも面白いと思います。
回答ありがとうございます。
一代限りから永代まで区別があることは知りませんでした。
私は自分の系図探求をしている者です。
どうもうちの先祖は江戸以前には武将だったようなので、
一代限りではなさそうだと思うのですが、また改めて調べてみます。
昔の日本はなにかと藩によって異なるので、ややこしいですね。
No.5ベストアンサー
- 回答日時:
参考までに・・・
わたしの父方は、江戸時代は富農で、明治になって地主であったという以外、昔のことはわかりませんが、母方は家系図が残っており、かなり確かと思われます。
母方の本家は、大庄屋(庄屋の代表として、数ヶ村の庄屋のまとめ役。)で、室町時代は土豪であったようです。
わたしの住んでいるところは京都に近く、歩いても無理をすれば1日で、子供の足でも歩くのになれた昔の子供であれば、丸二日で着くことが出来る位の距離です。
ですから、荘園制が発達した平安時代中ごろ以降、京都に住む貴族が戦乱時に一時避難する先となっていました。そして、貴族にとって単に経済的基盤であるだけでなく、避難先としても利用する重要な荘園であったため、中央貴族としての地位を相続できなかった貴族の子弟が、荘園の管理者として、京都から移り住み土豪となっていった歴史があります。
具体的に言うと、村上天皇の皇子が臣籍に入って源氏となった「村上源氏」なのですが、この地域の室町時代の守護・戦国時代の国人領主の大半は村上源氏の系統です。私の母方の本家も当然のように村上源氏で、室町時代の行政文書や記録にも少しだけ名前が出て、合戦には数騎、総計数十人を引き連れて、有力な領主にしたがって参戦していたようです。
秀吉の刀狩を経て江戸時代となり、大庄屋を代々勤める家となり、藩主が領地見回りをする時の宿舎ともなっていました。
そのような家なので、代々苗字帯刀を許されていたようです。ただ、鎧着用は許されていなかったと思います。
苗字・帯刀=行政官=文官扱いなのに対し、鎧着用=武官=戦力という考え方で、武家社会の江戸時代にあっては、更に武士に近い扱いでしょうね。
尚、江戸時代も中期以後になると、貨幣経済と商品流通が活発化し、どの藩も財政事情が悪化することとなり、藩に対する財政的寄与に対する褒章として、苗字帯刀を許す例が増えます。
回答ありがとうございます。
私が調べている先祖が江戸期に住んでいたのは、
現在の我が家から見てかなり離れた他県なのですが、
更に昔の代に他の土地から移ってきた、
つまり実際の出自はその県ではないのではないかと
示唆されたことがあるのを思い出しました。
苗字も江戸以前のものをそのまま使用していたとすれば、
江戸期以前の武家である可能性が高い姓なのだそうです。
興味深い書き込み、ありがとうございました。
No.6
- 回答日時:
これもご参考まで、
「江戸時代の身分願望」 深谷克巳著 吉川弘文館
に百姓、商人が献金により苗字帯刀などの特権を得た話が載っています。
仙台藩と盛岡藩の例があります。
例 100両で百姓に苗字御免など、また商人が番外士から大番士にまで身上がりしたそうです。
書き込みありがとうございます。
藩に多額の献金等すれば苗字帯刀を許され得たという話は、
私も聞いたことがあります。
ある意味、お金で買える肩書きと言うか。。。
gooに限らず色々な方のご意見をお聞きしているのですが、
うちの場合「鎧着用」という妙なのがくっ付いているので、
どうも土着の農民らしからぬそうでして。。。
頭が痛い反面、是非解明したいと思っているところです。
No.7
- 回答日時:
No1です。
ここまでの回答とお礼を読みますと、質問者様のご先祖は、正真正銘の「郷士」だったと思われます。「カネで郷士身分を買った」とか「行政機構の末端として苗字帯刀を許された」というより「戦国時代にそれなりの身分の武士(土豪、国人)であって江戸時代になって帰農した。その家柄を尊重して、その土地の領主から江戸時代に郷士として待遇された」ということでしょう。No5さんのご先祖も同様と思われます。この場合、領主である大名は信長や秀吉の家臣あがりで、もともと質問者様の先祖より軽い身分であったことも十分あり得ます。
土佐藩の例ですが、遠州掛川5万石から土佐一国の太守になった際に多数の郷士が発生しました。普通、5万石から約20万石に大幅加増されて土佐に入国するなら「もとの長宗我部家の家臣のうちしかるべき者を召抱え、掛川時代からの家臣に加えて、20万石相当の家臣団を編成する」ものですが、何故か山内一豊は「もとの長宗我部家の家臣は召抱えない」方針を取りました。旧長宗我部家の家臣は帰農することとなりましたが、彼らの面目を考えて「郷士」として「山内家から扶持を得ず、軍役も務めず、百姓同様に年貢を納めるが、苗字・帯刀など武士身分の特権を付与する」ものです。
また、「鎧着用」とは、藩士に準じて軍役を課されていたということではないでしょうか。もちろん、扶持を貰う藩士よりは軽い名目的なものでしょうが。戦になれば、士分として鎧兜を着用し、軍役どおりの従者を伴い、自費で武器や兵糧を整えて参陣すると言うことです。この場合、軍役は「名誉なもの」です。
質問者様のご先祖がどのような経緯で郷士身分を得ていたのかは、その身分が幕末まで維持されていたのであれば、藩の文書に何らかの情報が残っているはずです。江戸時代まで続いていた藩であれば、公式文書が明治時代以降もまとまった形で残っている例が多いです。
* 県や市の図書館
* 県や市の歴史博物館
などに、郷土史を専門に扱う学芸員のような人がいるはずです。そういった人に相談して史料を探せば、藩の記録に質問者様のご先祖のことが具体的に記述されているものが見つかると思います。そういった学芸員は、一流大学の国史学科を卒業して崩し字で書かれた古文書も解読できる人であるのが通例です。
私自身の場合ですが、「**藩家臣名簿」が活字本で出版されて市立図書館等に所蔵されていますので、自分の先祖の詳細(戦国時代以前のことは、先祖が仕官する際に申告した内容)について容易に知ることができました。郷士についてはそうは行かないと思いますが。
度々の回答ありがとうございます。
「江戸以前に侍であったのでは?」というご意見は、ほとんどの方から頂きます。
先祖が江戸期に住んでいたのは大藩ですので、可能であれば、
回答者様のおっしゃるように藩の文書にもあたってみたいと思います。
他国出自説を取られる方もいらっしゃるので、調べていけば、
今思っている県以外の本当の故郷が明らかになるかもしれません。
是非先祖の正体を突き止めたいと思います。
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