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「先生」が自殺したことについて、擁護側と糾弾側にわかれてディベートするのですが、私自身この作品を理解するのが難しくて困っています。擁護と糾弾、両側の意見を聞かせてください。

A 回答 (5件)

よく読むと、先生が自殺についての擁護と糾弾ですね。


擁護、そうするしかなかった
糾弾、最近の首相のように放り出すべきでなかった
たしか、それを判断するには、作中で十分に述べられてなかったと思います。少なくとも、私には、判別できません。
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高校ですか?私も高校で「こころ」を読みましたが難しいですよね。


擁護:情に負けた
糾弾:してはいけないことだった
渡米語の作品ですね。たしか。
基本的に、小説はフィクションだと思ってます。
なので、現実ではこうであるという事実には拘束されるものとは違うでしょう。
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もう遅いかな^^;?



私も高校のときは『こころ』を読んだのですが全く意味がわかりませんでした。はっきりいって「わけのわからん、面白くない、古臭い」話だな、で終わりました。

しかし、20歳をこえて『こころ』の授業案を大学で作ったときに、改めて読み、研究論文なども参考にしたところ、とてもよく理解できました。先生が自殺するところなどは思わず涙が出たほどです。漱石の中では一番好きな作品になりました。(他のはあまり好きじゃないですが)

そのときに読んだのが江藤淳の論文だったのですが(おそらく、江藤淳氏著『漱石とその時代1~4部』新潮社発行だったかな・・)を読むと先生の自殺についてよく理解できると思います。

公共の図書館にあると思います。なかなかこういう難解な文学作品について、単独で作品を読んだだけでは理解するのはよほど才能のある人だと思いますので、読みやすいものでよいですから、研究論文を1,2冊読んで臨むといいと思います。

先生(明治の最後の古い知識人)の自殺はまさに必然だと理解したいますので、糾弾という立場がよく私には分かりせん。単に「自殺」の善し悪しについてのみ蝶々するのであれば、あまり中身のないディベートになるのでは・・と思います。
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高校ですか?私も高校で「こころ」を読みましたが難しいですよね。



私は詳しく内容を覚えていないのでどちら派とはっきり言えませんが、ある意味擁護派です。先生の自殺について、この「こころ」の世界の中だけではなく、世の中の自殺傾向のある人、実際に自殺してしまった人の心理と照らし合わせて考えて見ることはできないでしょうか。糾弾する人は自殺する人がどんなに追い詰められた心理で「もうこれしか方法はない」と何も見えなくなっていることが分からないんです。もちろん「生きてればxxができたはずだ」と言う意見は正論かもしれませんが、中にはそんなに図太い神経をしていない人もいるんです。その人が受けたこころの傷や悩みに押しつぶされ、その痛みに耐え切れなくて死を選んでしまうんです。「擁護」とは少し違いますが、こういう考え方を残念ながらしてしまうひとがいるということは私は理解しています。

擁護するにしても糾弾するにしても「こころ」の中だけではなく、自殺に関する一般論とかを組み込まないと、かなり視野の狭いディベートになってしまうような気がします。

内容に踏み込んでいない回答で申し訳ありません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
高校です。
とても参考になりました。
今から自殺についても調べてみて明日のディベートに臨みたいと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/25 22:36

学校の授業で行うのでしょうか?サークルか何かでしょうか?


いずれにしろ、ディベートは、テーマに対する事前の調査・研究と論理構成が大事です。

それ自体が勉強です。

もっと本を読みこむべきではないでしょうか。
少し安易な印象を受けます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
学校の授業ですが、準備期間があまり無い上に他の教科の勉強もしなくてはならないのでつい頼ってしまいました。
本は一度しか読んでいないのですが、先生の手紙の内容は何回も読みました。でも、擁護側の根拠と糾弾側の根拠を考えているうちに何が擁護で何が糾弾かさえわからなくなってしまい、パニックになっていました。
ごめんなさい。

お礼日時:2007/07/23 23:06

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