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平民苗字必称義務令によって、当時の平民は苗字を義務付けられ、
自己申告制みたいな感じでかなり自由に名乗れたみたいなのですが、
たとえば、「徳川」や「源」といった特別(?)な苗字でもよかったのでしょうか?
それとも、例外的に認めれない苗字もあったのでしょうか?

A 回答 (4件)

ちょっとご質問からそれますが・・・


江戸時代には苗字は無く明治になって強制的に付けた、というのが常識になっています。しかし「持っていたけど公式には仕えなかった」というのが正しいです。(尤も永い間にわからなくなってしまい新しく付けた人もいたでしょうが・・・)
持っていたことの例証として、墓標があります。たいてい俗名は苗字付きで書いてあります。墓標はプライベートなものとして黙認されていたのでしょう。
しかし村の公文書とか借金証文などには苗字御免の人以外は絶対に書いてありません。苗字御免の場合でも家ではなく、個人に与えられています。領主に対して功績があった場合などに褒美として与えられますが、一代限りとか永代といったランクがありました。
古文書から当時の人を追っていると苗字がないというのは実に大変です。苗字があれば、あの家か、と見当がつくのですが、そうは行きません。それに公式には苗字は「無い」わけですから変えるのも勝手だったようです。
書類には一般にハンコを押しますが、苗字御免でない人も安倍とか小泉などと苗字を彫ったハンコを使う場合が多かったようです。中には明らかに安倍姓のはずなのに小泉というハンコを使う人もいたとか・・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
裏事情では、実はけっこうな人が非公式で、
何かしらの苗字らしきものを持っていたようですね!
たしかに、古文書を読んだ場合に、苗字がない人を追うのは、
すごく大変そうです・・・。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/08/29 13:23

質問内容からは若干それますが、参考程度にちょっとした「歴史の一説」について回答してみたいと思います。



苗字というのは、元々「氏」で部族集団を表す為のモノでした。
その後、「姓」というのが現れ、これは「血筋」を表すモノでした。
「血筋」はそのまま支配者階級の「権威」に繋がっていました。
しかし、「権威」ある「血筋」の者であるという事を僭称して威勢を張る者が現れ徐々に「姓」と「氏」の境界が曖昧となっていきました。
そこで、「権威」を強調したい朝廷や豪族が「名字」を名乗り出します。
「名字」は743年に開墾地の私有が認められたことから、開拓者や土地所有者がその地を領有していることを示すために始まったとの説があります。
ただ、土地の名が名字になったのか名字が土地の名になったかはケース・バイ・ケースなようです。
その後、武士が台頭していくなかで「名字」は武家の威勢を示す役割を持つようになっていきました。そして分家制度が構築されていく中で、「苗字」が生まれたようです。
この「苗字」とは稲が実り子が増えていくように、「家」が繁栄し子々孫々までお家が続きますようにという意味で付けられたと言うのが有力なようです。

時代は下り、江戸時代になると「苗字」を名乗るのは武士階級と特別に貢献した医者・学者・商人など一部の人間に限られるようになりました。
そして、もし僭称したら罰金や刑罰が科されたようです。
そのため、明治三年に「平民苗字許可令」が公布され国民全部に苗字を名乗ることが許されたものの、平民は罰金や刑罰が科されるのではないかと疑い、なかなか申告する者が現れなかったようです。
その為、明治八年に「平民名字必称義務令」を布告して苗字の創設を強制しました。
しかし、平民はどう名乗ったら良いか分からなかったので、多くの人は神主や僧侶に命名を依頼したようです。
これによって、ある程度「氏家制」に基づいた命名がなされた(神社やお寺には先祖を示す資料があったから)ようです。
ただ、中には自分たちの由来が分からない者もおり、その為珍しい苗字が生まれたようです。

以上、苗字の歴史の一説でした。
ただ、苗字の歴史というのは分からない点が多く、これはあくまでも一説と考えてください。
参考になれば幸いです。

あと、面白いサイトも見つけたので合わせてどうぞ。(笑)
http://www.myj7000.jp-biz.net/
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます!
なるほど、そのような背景があったんですね。
ご紹介のHPにも、いろんな苗字が掲載されており、
大変興味深く見させていただきました。
ありがとうございました!

お礼日時:2007/08/29 13:18

自己申告制と言っても、実際にはそうでもなかったようですよ。


まず、ある程度の農家や町人は、表だって名乗らなくても苗字や屋号(と言っても、「越後屋」とかではなく、苗字に近いもの)を持っていました。それを申告しただけです。それ以外の人は、自分で考えるよりも旦那寺の住職に付けてもらう場合が多かったようです。それを一括して町役人に届けてもらう、というやり方です。そうなると、徳川だの源だのは、常識として外しますよね。一種の自主規制です。住職にしても、どこの馬の骨とも分からない貧乏町人に、あまり立派な苗字を付ける気にはなれないでしょうし。しまいにはネタ切れになることもあったそうです。
で、ごく一部の人が、自己申告に行くわけですが、この時「徳川」などと申告しようものなら、係の役人に怒鳴りつけられたということです。当時はお役人様の時代ですから。そんなわけで、幸か不幸か、徳川さんも豊臣さんも少ないのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます!
たしかに、住職も貧乏町人にあまり立派な苗字を付ける気にならないですね(笑)
当時のお役人も、怖そうですし・・・。
やはり、農民は、自己申告といっても分相応な苗字になったんですね。

お礼日時:2007/08/29 13:15

原則自由でした。


天皇陛下という苗字を名乗ろうとしたという話がありますが、さすがにこれはダメだったようです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
よっぽどのことがない限りは、自由だったみたいですね!
それにしても、「天皇陛下」という苗字・・・。発想がすごすぎです(笑)

お礼日時:2007/08/26 13:01

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