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http://okwave.jp/qa3348754.html を質問しました。
自分の「うつ」に対する理解が足りないのか、
彼女と離れていることで全くといっていいほど気持ちがわからなくて、
小さなことでも心がくじけそうになってしまう自分が居ます。

今日も楽しい感じのメールを彼女に送りました。
少しして、昨日のあったことと、今日の予定のメールが来て、
珍しく(とはいってもたいした話では無いですが)質問形式の
内容も来て、自分的には『少しは役に立っているかもしれない』と
安堵していました。

その後はメールは送りましたが、返事は来ず、元々家族と
出かける予定で出掛け中はメールをしないタイプなので
特に疑問を持つ必要はありませんでした。

彼女はmixiに『自分の気持ちを綴るためのアカウント』を持っています。
メインのアカウントには実際の知り合いばかりですし、
そういったことを気にするタイプだと思います。
私へのメールはありませんでしたが、新しく日記が書かれていました。
そこには、私も見ているからか(これまでは見ていてもそんなことありませんでしたが)
遠まわしな表現で書かれていたいくつかのことがありました。
『いつの日か一人という相手が見つかれば、自分を少し犠牲にしてでも助ける』
『いつまでも大事な誰かがいたら自分は変わらずできる最大限のことをしよう』
次の時の自分を意識した内容であり、恐らく私のことでは無いと思います。
自分のなかで何かがまとまった気がする、という強い文章でした。
そして、その後には私が使う『諦めない』という表現を使って、
『(私を突き放していることを)後悔しない』
『もしも(私が?)壊れてしまったら、後悔しないで復元する努力をする』
という内容で終わっていました。
私には最後の部分は読み取れていませんが、彼女に強い気持ちがあると感じて、
また心配な気持ちも強くなって慌しくメールをして電話も2度鳴らしてしまいました。
出てもらえないことは悟ったので、謝りと、また明日メールすることをメールすると、
『今日は電話もメールも嫌、根本的には変わっていない、少なくとも今日はやめてください』
と返ってきました。
明日にはまた彼女のことを考えた楽しい内容と、自分はこういう気持ちだよ、
というメールを送ります。


私にとっては『彼女は病気だから今の状態かもしれない』ということと、
メールに絵文字は無くても朝の最初は『おはよう』で返してくれていて、
これは普段、年上に敬語を使いたがる彼女を、朝と夜の挨拶だけは
敬語をやめよう、そしたら良いことがあるよって言って変えたのをまだ続けています。
もしかしたら、決断している自分になりたい、と考えられないこともありません。
私と離れることを心から熱望して、思いやり?としてやりとりをしているのか、
無理にだったり、病気が彼女をそうさせているのかは私には判断できません。

しかし、ここまでの強い意志を見せられて、一時的なものと思っているのが良いのか、
病気だからという範囲を超えているかもしれない、と思ってしまいます。

「うつ」を近い人のものとして知っている皆様、
どうか客観的な判断をください。

A 回答 (4件)

初めまして、前質問から読ませて頂きました


私は元鬱患者で、今は鬱を繰り返さない為の期間です

なぜ彼女が鬱なのか、ちょっとわかりにくかったのですが、鬱とは根本的に何か違うような気がします。
それと鬱患者の気持ちというのは、本人以外にはわからないものです。
本人すらわからない時があるので、その気持ちを察しようというのはなかなか難しいものです。
もし彼女が鬱(又は躁鬱)ならば、病院での治療をお勧めします。
一番は鬱の原因を取り除く事、精神安定をさせる事です。
もしかすると「彼女のことを考えた楽しい内容と、自分はこういう気持ち」というメールは、逆効果かもしれません。
鬱の状態だと相手がどう考えていようと、どうでもよくなってしまう事も多いのです。
誰しも好きな人を助けたいという気持ちがあるのは当然ですが、自分にとっては優しさでも、相手からしたら皮肉に思える事もあるのです。
鬱とは「心の風邪」です。
重い病ではありませんが、きっかけがあれば重い病にもなり兼ねません。
今治療中で何も変わっていないのなら、セカンドオピニオンをお勧めします。
鬱は原因を取り除かなければ治りません。
そして、一度治ってもきっかけがあればぶり返します。
それと鬱と似てる症状としては「分裂症」というのもあります。

ご参考になれば幸いですが、彼女を思う貴方様が鬱にならないように気をつけて下さい。
強く思えば思う程、自分を削ってしまわないように。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。私にとって貴重なご意見です。

彼女が鬱になった直接的原因は、大学での学業にうまくいかなくなって
しまったことが主なきっかけで、他にも周りの人間関係に
負担が生じたんだと思います。鬱の最初では、私が与えてしまった負担は
小さかったようですが、一緒に居たことで私から負担を特に思い出したり、
増やしてしまったという状態でもあるようです。
現在は医者にも行って、薬も処方されています。

『鬱の原因を取り除くこと』
『相手がどう考えていようと、どうでもよくなってしまう』
ということを考えると、確かに私は彼女が何かを言うまでは
何もしないほうが良いだろうと思いました。
今は彼女は自分のことだけを考えているので、全てが裏目に出て
しまい彼女にあわせるということを分かっていませんでした。
一日に一回程度、本当に些細なメールを送ることにします。

自分を理解して話をしてくれるカウンセリングの先生である
友達(?ずっと先輩ですが)と話ができて大丈夫そうです。

お礼日時:2007/09/17 18:16

欝の時は、何に対しても億劫になってしまう時があります。



私の経験上ですが、
気分が乗ったときではなく、動けなくて、思いも中々、思うように伝えられない事もありました。

>そういったことを気にするタイプだと思います。
自分のそういう所を見せたくなくて気にしているのかもしれませんが、
もしかしたら、そういう事を見せる事で相手に迷惑がかかってしまう事を気にされているのかもしれませんね。


>『いつの日か一人という相手が見つかれば、自分を少し犠牲にしてでも助ける』
>『いつまでも大事な誰かがいたら自分は変わらずできる最大限のことをしよう』

質問者さんもおっしゃっているように、
彼女さんはご自身が何か強い決意でも持たれたのではないでしょうか。

「ANo.1」さんもおっしゃられていますが、欝とはどこが違う気がします。
そもそも「欝病をうつ病と判断する判断基準は、そうそう無い」のです。
「気分が下降気味で、やる気が起きなくて、日々だるく、時に涙が出て、悲しくって、やりきれなくって、社会に中々出れない(出ると苦しい)」という状態を「うつ病」と総称しているみたいですから。

もしかしたら、
彼女さんはご自分の何かと葛藤されているのかもしれません。

そしてその中で、
その葛藤の中から何かを見つけるには、質問者さんと一緒に居てはいけないのかもしれない、とそう思われているのかもしれません。

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【自分の気持ちを伝えること】
自分の気持ちを伝える事は難しいことです。
相手が受け取りたくないときに、送られた気持ちというのは時に相手の重みになってしまうこともありますから。
常に気持ちを伝えられるのではなくて、彼女さんの様子を伺いながら、気持ちを送ってあげれれば良いと思います。

【彼女さんのしたいことを促してあげること】
仮に欝にしても、何か踏ん切りが付かない状態だったにしても、
一人では何かできない状態に、綺麗な促しが入ると嬉しいものです。
それは、力になります。
自分のしたいことを、自分の望みを叶える力になってくれます。

意見をただ言う事と、促してあげることは違うことです。
意見を言って、それが正しいと思っていても、
相手のしたいことに合っていなければ、相手は困ってしまうこともあるでしょうから。

もし、彼女さんを本当に思ってあげれるのなら
彼女さんのしたいことを汲み取って、力になってあげれることが大切だと思います。

多分質問者さんは明るい方で、
とても気配りもできる方なのだと思います。

私も欝(欝か定かではないので自分と葛藤したこととも置いておきます)があるから分るのですが、相手が楽しいと思っていたことに、自分も同じく共感を得て、楽しいと思えない事に苦痛を感じた時もありました。

せっかく楽しくしてくれようとしているのに、
頑張っても、楽しくできないのです。

これって、結構辛いことだったりもするんです。
また、欝の時は本当、激しいテンポに付いていけなかったりします。

「こうだ!」ということは、言えませんが、
もし自分のテンポが彼女さんと合っていないと思われるのなら、良く見て、合わせてあげることも大事だと思います。

もし、本当に彼女さんの事を思っているのなら、
自分が寂しいのを乗り越えて、彼女さんのしたいことを促してあげれる力と勇気が必要なのかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。身に滲みる言葉がいくつもあります。

強い決意を持ったのは、僕も確かで間違いないと思います。
そのため、そこだけを書くと彼女は欝だったのかと言われてしまいそうですが、
これまでの彼女は確かに「うつ病」でした、それは本人、私、家族、医者の
全員がそうだと分かっていたことです。
ただ、現在は転換点に差し掛かっているのだろうと思います。
そして、転換点において、私と一緒に居てはいけない、という判断をしているようです。


自分の気持ちを伝える部分の文章は、今の彼女に対しては裏目になってしまい、
良いことひとつ無いと思えたのでやめることとしました。
私が焦ってしまってはいけないなと、強く実感しました。

彼女が何かを言ってきたり、やりたいことの話をしてくれた時は
それが何であれ促してあげようと考えています。

自分が寂しいのを乗り越えて、彼女を促し助けられる勇気という言葉、
とても響きました。今日は色々な人とも話をして、
そういったことを強く考えられた日でした。
私には勇気が足りなかったみたいです。
今の私は、勇気が無いことに気付いて、自分の物に出来ました。

お礼日時:2007/09/17 19:03

私だったら・・という不確かな視線での回答である事を先に述べておきます。


私は病名診断はされてませんが、一時自律神経失調症と思われる症状と不安障害と思われる症状で滅入っていました。
きっかけは環境の変化などで自信を喪失したためだと思います。
更に「元の輝いている姿に戻って」的な事を言われてしまい、
彼には理解されないのだと思ってから心の距離ができた気がします。

何となく彼女さんの気持ちがわかるような気がします。

言ってる通り、
「調子が良い時はいつもと変わらない生活ができるけど、調子が悪いと
歯車が狂ったかのように考え方なんかも違ってしまい、自分でもそのギャップに戸惑ってしまう、辛い」
きっと自分でも色々考えてその考えが左右に大きく揺れてしまって
よくわからない状態なんじゃ・・。

こんな感じなんじゃないかな?と思います。

私が調子の悪いと感じた時は何を言われてもだいたいの事を
「説教された・否定された・言わなくてもわかってるから言わないでほしいのに・理解されないんだな・意見表明されても困るし」

こんな風に受け止めていました。

それでも尚言葉が続いたので携帯電話を投げたり壊したり死のうとして夜中に家を飛び出した事も、あります。(怖くて死ねませんでした)

その時の私の気持ちを言葉で表すなら
「もう何も考えたくない」
これでしょうね。
言葉ひとつでとてつもない刺激を受けていた気がします。
全ては私のための言葉である事は冷静になればわかるのですが、
その時は飲み込めないんです。

その事で私が投じた案は「気が向かない時は着信もらっても出ない」
「だめだと思ったら急に電話を切る事もある」
って事ですかね。
自分で自分を制御(暴走しないための)するための案です。

あと、相手の話を聞く事が今でも苦痛です。
最近は就職したので仕事の話ばかりです。
前までは確かに相手の私生活を知りたいという気持ちが強かったのでいくらでも聞いていたかったのですが、今ではちょっと聞いていると心では
「もうその話興味ないから聞きたくないよ」
と思ってしまいます。

そして何かの拍子に話の主導権を私が握ると居眠り始めたりします・・
きっとこういう些細な事がたまって相手の話を聞く事が不快になってしまったのだと思いますね。

彼女が「今日はごめん」と言った場合には何も考えたくない時だったり余裕が持てない時なんじゃないかな、と思いました。

なのでそういう時に何かしらの言葉をかけるのはよろしくないと私は思います。

どんな彼女でも彼女という人間である事は変わりませんから、
大きな心で構えていてあげてください。

彼女は必死に自分をコントロールしようと頑張っているように思えました。
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この回答へのお礼

R32-RX-7さんの、『私だったら』という話が、私にとっては
とても貴重な意見であり、それがどんな内容だとしても参考になります。
ありがとうございます。

『きっかけが環境の変化などで自信を喪失』ということが彼女とも
とても似ていると思いました。今ではとても後悔してしまいますが、
だいぶ以前ですが、私も励ます言葉やなどを言ってしまい、
彼女には『理解されていない』という印象になってしまったことがあります。

とても浮き沈みが激しいようで、その時々で私にも感じられるほどです。
直接関連がありかわかりませんが、体調も崩してしまったようです。
だからこそ、私も一緒に浮き沈みしてはいけないと思いましたし、
どうやら私と関係を絶ちたくは無いのは、友達という関係に変えたいから
では無くて、維持したい気持ちもあればと離れたい感情も生まれてくるように見えます。
彼女がSOSを出しているような気がする限りは、彼女にとってのより良い距離を
見つけて、その距離に居てあげようと思います。

R32-RX-7さんと全く同じように、今の私が何か強く発することは全て裏目なようです^^;
私は多くの人と話して、自分のこともより深く認識し続けていく中で、
気付くことが出来ました。今は一日一度程度のメールを、中身はとても些細な季節の事や
どんな感情も抱かないような事、ゆっくりしてても大丈夫ということを連想するような事を
短い文章で送っている状態です。出来るだけ刺激を与えずに、横に居てあげようと思います。

私の日常の話は、これまでにしてきたような自分の明るい生活の部分ではなく、
些細な考え事や出来事の話に変えたので、少しでも負担になってなければ良いなという気持ちです。

より大きな心で、勇気を持って、辛抱強く、焦らずにいようと思っています。
ありがとうございます。
R32-RX-7さんの言葉が、私の勇気になりました。
『彼女は元気になってからも、本心から離れたいかもしれない。
自分のやっていることはおかしいかもしれない。』という
私の不安は後に回して、今のことをしっかり捉えようと思っています。

お礼日時:2007/09/19 00:31

 気持ちの核心は電話やメール・手紙では、人のぬくもりがないので、よほど知り合った仲でなければ伝わりません。

表情や身振り手振り、それと「行動」で伝わるのです。うつの人に遠くから物事を言ってもまるで伝わらないと思いますが、いかがでしょうか。

 蛇足になりますが、私は今は家庭を持っています。前の質問から読ませていただきましたが、質問者さんの「愛」「家族」はまだ実る前の段階ですから、安易には使われないほうがよろしいかと。
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この回答へのお礼

遠くから言っても伝わらないことが多いことは実感しています。
今は状況に合わせて緩やかにやり取りをしている形です。

確かに家庭を持っている方からすれば、安易に使うなという気がする
かと思います。家庭にも色々な形があり、実る前にも色々な形があり、
一概には言えずに結局は自分がどう感じるかであるかとは思います。
ここで使うには妥当な表現では無かったかもしれないと思いました。

お礼日時:2007/09/20 00:45

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