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漠然としておりますが、世の中の価値観が、画一的になる傾向があるように思います。それは主にマスコミ操作によるのかもしれませんが、それを生み出す土台のようなもの、民意というか、常識のようなものがあって、それにマスコミが加速をつけいているというようなことではないでしょうか。例えがないとあまりに分かりづらいと思いますので、卑近な例ですが、次のようなもの。

○よく、多産家族はマスコミの話題になりますが、子なし家族はまったく注目されない。倫理的人類学的には、地球環境の改善に取り組んでいるといえるのに。

○少年非行などで、「あんないい子が」「まったく意外だ」などという、信じられないということばかりを取り上げる。「ああ、もっともだな」というような例を挙げない。あるいは、死者を貶めるわけにいかないからか、理不尽に殺された人をいたずらに美化する。

考えてみろと、マスコミのすり込みばかりなのかもしれません。しかし、それにしても、なぜ一方の価値観だけがはびこるのでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

世の中は 時間知によって成り立っています。

人間が そもそも 時間的存在です。

存在が有限でもあれば その知恵も知識も――類としての人間は 世代を継いで その科学知を無限に伸ばしていくでしょうが―― 限られています。

その世界で 自分は生き延びようと思えば 人との差異を売りにするはづです。ですが しかも この国では まづは 共通の基盤の上に立つことも 肝心だということになっています。同じ土俵の上にいるのでなければ 話は始まらないということになっています。(あるいは 同じ大きな繭の中にあって 一般市民は 和を貴ぶ蚕のごとく紡ぐ仕事を せっせとおこなって 死んでゆくということになっています)。

ですが おそらく われわれも それほど愚かではないので これは そのように 振りをしているだけだとも考えられます。

みなさんと同じ化粧廻しをしていますよと まづ とっかかりとしては 言ってのけるのです。部屋は同じではなくとも 同じ遠い昔のノミノスクネだかからの由緒あるしきたりに従っていますよと 笑顔で答えるのです。

しかも 人びとは このわたしのように臍が曲がっているのではありません。それはそれは 純真です。だれが かれらの純朴を疑えましょう。だれが かれらの忠誠心を批判しえましょう。

和を以て貴しと為すです。しかも 無意識の内にも 振りをしているだけであれば 人びとは 和して同ぜずです。わたしたちは みづからを誇るべきです。

そうして そこから踏み出す一歩がなければ たしかに 画一的な社会生活を送るはめにならないとも限らない。・・・
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この回答へのお礼

実に、滋養分が多く巧妙でバランスの取れたご回答です。文句ない20ポイントです。共通の土台に立つという振りをするというスタンスがある。それはあたかも慣わしのように形骸化していても、どうしてもそこから脱する事には抵抗が多い。それが真実ではないでしょうか。

お礼日時:2007/10/24 13:54

> ○よく、多産家族はマスコミの話題になりますが、子なし家族はまったく注目されない。

倫理的人類学的には、地球環境の改善に取り組んでいるといえるのに。

 それは、多産家族の方が視聴率が取れるからでしょう。様々な感動エピソードが有りそうですよね。企画会議で「今回は、子なし家族で行きます」と言ってもドキュメンタリーには、なるかもしれませんがシリーズ化されるとは思えないですよね。多分打算でしょう。

> ○少年非行などで、「あんないい子が」「まったく意外だ」などという、信じられないということばかりを取り上げる。「ああ、もっともだな」というような例を挙げない。あるいは、死者を貶めるわけにいかないからか、理不尽に殺された人をいたずらに美化する。
 
 これは、そうは思わないですね。最近までメディアはゲーム脳の若者がとか、映画の影響があったとか犯罪が起きる理由を恣意的に報道していましたよね。

> 考えてみろと、マスコミのすり込みばかりなのかもしれません。しかし、それにしても、なぜ一方の価値観だけがはびこるのでしょうか。

 それは、多様な意見が出ないからでしょう。少数派の意見を取り上げたりする様にして、なるべく色々な側面からマスメディアは報道する事が必要でしょう。

 哲学カテゴリなので、以下はスタイルを変えます。

 その様な人間の傾向は古くから指摘されており、J.Sミルの「自由論」でも真理に辿り着くためには、多数派の意見、少数派の意見が自由に発言できる事が必要だと言っています。

 それ故に言論の自由と言うものが重要視されるように民主主義国家ではなっていきます。他にもオルデガが「大衆の反逆」の中で「大衆」の弊害を指摘しています。彼は「真の貴族」という対立する存在を導くのですが、それは少数のローカル性を指摘している事でしかないですし、結局は、人の均質化する傾向に対しての批判として捉える事が出来ると思います。
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この回答へのお礼

「多様な意見が出てこない」
という事が鍵だと思いますね。
本質的に「多様な意見」はあるはずなんです。しかし、でない。それは結局出しても打たれるという経験則によっているのではないか。ええい、ここは思い切っていけばという意図がやはり報われない。社会は怠惰に輝きを失って回り続けている。そんな風に思えます。それは、個々人の意図が抹殺されるからです。そして、おそらく「輝き」を失う事によって、安定的な動きと最大多数の最大(物的)幸福が保証されるのでしょう(補償というにひゃおこがましいですが)
真の貴族、それが役割を担うべきなのかもしれないですね。

お礼日時:2007/10/24 14:15

どうも。

書き忘れたことがあったので書き足します。

>子なし家族はまったく注目されない。

僕はメディア、ジャーナリズムを専攻していたので、この質問には答えられます。基本的にジャーナリストは”子なしの家族”について絶対に触れることはありません。もし若い夫婦が何年も子供を持つことができなかったら、周囲の人間はどう思うでしょう。おそらくこの夫婦には何か問題があって子供を持つことができなと、思い始めるのではないのでしょうか。この手の記事はよく女性誌で見かけます。※この女性誌がよく取り上げるというのにも問題があると思いますが。なので、マスコミ(新聞/テレビ)がこういった家族を取り上げることはありません。

それと、マスコミは生前どんなに悪いことをした人間でも、死んでしまえば彼らを叩くことはしません。それは、彼らの肉親に訴えられる可能性があるからです。

>理不尽に殺された人をいたずらに美化する。

これは、新聞などではあまりあり得ないのではないでしょうか。※新聞記事は必ず客観的に記事を書かなければなりませんし、中立の立場を示さなければなりません。テレビニューズ、3時のワイドショーなどではしばしあるかもしれませんが、これは事件にドラマ性を持たせるために行っているのだと思います。例えば、有名な9/11。このテロが起こった時、僕はまだ日本に住んでいたのですが、このニュースが最初に報じられた時、ツウィンタワーから煙が上がっている、とてもシンプルな映像だったと記憶しています。それから2、3日後には映像は編集され、映画のようなイメージに変わっていました。マスコミがしていることは、どれだけ視聴者をこのイメージに参加、同調させるか、ということだと思います。僕ら視聴者もよりリアルな映像が好きですよね。

>なぜ一方の価値観だけがはびこるのでしょうか

これはなにも今に始まったことではないと思います。一方的な価値観、イデオロギーと呼べないこともないですが、これは前回も書きましたが、メディア(全てのメディアです)はイデオロギーの中で情報をコントロールしています。もう一つ面白い例を乗せておきます。メディアが提供するもの、例えば映画やドラマ。この中での変質者の扱いが面白いんですよ。例外ももちろんありますが、ドラマ、映画などで描かれる変質者、猟奇的な殺人者達は、かならず幼少の頃、家庭環境に問題を抱えています。とくに母親に問題があるように描かれます。最近、知り合った日本人の友達が日本で放送されてドラマ(LIFE)を教えてくれて、ネットで見てみました。この中で、一人、父親から虐待をうけている青年が登場するんですけど、彼は性的変質者です。彼の家庭環境の描かれ方で面白いのは彼の母親がこのドラマの中では不在だということです。これらのことから分るのは、母親と子供の関係、因習的に女性は家庭で子供を面倒見なければならない責任があると、気がつかないうちにメディアを通して僕たちはこのことを吸収してしてしまっていることだと思います。普段、僕らは一方的な価値観(イデオロギー?)に気がつくことはなかなかありません。それはそれが自然に見えるからです。

もちろんイデオロギーは広告業界/マーケティングなどなどで、上手く利用されています。いかに消費者を消費者にするか、それが彼らのしていることです。この質問の回答の中でも消費者に物が売れないとありましたが、人によっては情報化社会など言われていますが、これだけ情報がオーバーフローしていれば、消費者も賢くなるのは当然かもしれません。つまり、これは大学で必ず先生から言われることなのですが、look at the world outside of the box or square ようするに、世の中を少し斜めに見ることが(知識をつける)ことが一方の価値観に対して気がつくことができる。しかしこれを変えることはことは難しいと思います。

参考まででした
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この回答へのお礼

見事なご回答です。
底流にはイデオロギーが流れている。その地下水脈のようなものが、地上の可視物を規定している。それはありえます。ご指摘になった例も適切で説得力があります。その、イデオロギーのようなものにのって消費経済というものが回っているのかもしれない。それは意図せずとも、人々の動きを規定しているのでしょうね。

お礼日時:2007/10/24 14:11

義務教育を受けるからです


画一的に同じ内容を教育されるからです
だから金太郎アメのようにどこを切っても
同じなのです
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この回答へのお礼

そうですね。教育もいろいろな価値観があっていいのに。あっちの学校では儒教でこっちではイスラムでこっちではマネーゲーム専攻とか。価値観を収束させようとする黒幕(実態があるかは知らない)は何を意図しているのでしょうね。

お礼日時:2007/10/24 14:08

私はマーケティングという仕事に携わっています。


マーケティングの世界では「消費者の価値観は多様化が進んでいる」とか
「消費者が蛸壺化している」といった指摘がよく言われていて
その結果「大きなトレンドが見えにくくなってきた」とか
「ヒット商品が小粒化してきた」と結論づけられることが多いと感じています。
実際、自分が関わっている業務の中でも
性や年齢、居住地、、職業、家族構成、ライフステージ、学歴といった
属性分類による共通価値を明快に抽出することが出来ずに、いつも悩んでいます。

また、マスコミ操作というご指摘についても
私はどちらかというとマスコミをつかって情報を流す側に近いのですが
最近はマスコミから流す情報をなかなか信じてもらえず困っています。

> なぜ一方の価値観だけがはびこるのでしょうか。
多分、それは生活者一人一人からの反応がないからじゃないでしょうか。
選挙で言えば「浮動票」が増えている状態に近いと感じます。

私も一人の生活者としては、マスコミが多産家族を話題にしようが
死者を理不尽に美化しようが、「どうでもいい」というのが
正直な気持ちだったりします。
マイノリティーな意見や価値観を求める人は
恐らくマスコミなど軽視しているのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

なるほどです。
浮動票の様相なんですね。ですからメディアとしては、反応が約束されているようなものしか取り上げられないと。しかし、現場おられて、それではだんだんと行き詰る事を実感されていると。

マスコミが、マイノリティを取り上げないから、ますますマイノリティ(これが成長しないとも限らないのに)はマスコミ離れを起こすという、そんな状況でしょうかね。

しかし、なぜ、こうもマイノリティを押し上げる事を拒絶するのでしょうかね。開発という精神が死滅している。

お礼日時:2007/10/24 14:06

誰でも勝ち馬に乗りたいと思うからです。



自分だけが間違っているなどと思いたくはないものです。
だから世の中に流れている主流と思われているもにすがろうと
するのかもしれません。

でも自分で試行錯誤をしながら自分の考えをつかんでいかないと
自信を持つことができなくなると思います。

自信がなければ主流と思われるものを頼りに自信を得ようとするでしょう。
でもそうすることで自信を育てる機会を失っていくのだと思います。

マスコミが操作しているだけでなく操作されたがっている人がいなければ
それは起こらないのです。
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この回答へのお礼

世の中の流れがなぜ画一的になるのか、何本もあってもいいのではないか。Aの価値パタンBのそれCの・・という。なぜこうも画一的で疑問をはさまないのかですね。主流というものが何筋もあれば、問題ないのにと思う。

お礼日時:2007/10/24 14:02

>マスコミが加速をつけいている



その通りだと思います。
マスコミは大衆に受け入れられることを取り上げて視聴率を上げることを第1に考えています。
ほとんどの番組で人気のある有名人、アイドル、俳優を集めて「すごーい」等と言わせて大衆が同意しないといけないように思わせています。
この状態はまさにマスコミにすべての人の心が操られているかのようです。
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この回答へのお礼

そうですね。一方でそのやり方に反発してマスコミ離れも起こしてしまう。なぜNHKの公共性が失われたかですね。

お礼日時:2007/10/24 14:00

確かに民放はCMで生計をたてていますから、大衆受けするために、大衆が気持ち良いと思うこと、たとえば、理不尽に殺された人をいたずらに美化したり、犯罪者は厳重に処罰すべきとか放送するので、その気持ちよさに大衆は乗っかって画一的になりやすいのかもしれません。


 なので、あまり、そうならないようにCMで生計をたてていないNHKが事実を淡々と放送しているんじゃないんですかね。
 私の記憶では、NHKのニュースで理不尽に殺された人をいたずらに美化したり、犯罪者は厳重に処罰すべきだとか死刑にするべきだとか放送しているのをあまり見たことがありません。
  
 また、絶対に自己主張をしてはならないっていうのあまり好きではないですが、ある程度画一的になってもいいんじゃないんでしょうか。どうせ、みんなバラバラな考えを持っていても失敗するときもあるだろうし、画一的にならざるをえず、みんな一緒に失敗して、みんな一緒に成功せざるをえないのかもしませんからね。
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この回答へのお礼

私がこの質問を立てたのは、ほかならぬNHKにもその大衆化画一傾向が及んできたからです。もし、公正で厳格な放送を守る牙城があれば、なにも疑問を持ったりはしません。非営利企業がなぜ、世の拝金主義やイメージ戦略にに迎合することがあろうかということです。
どうして、感じないでしょう?NHKはそういうものだという認識をこしらえて気付かないのではないですか?私はどうも画一化路線というのはつまらないと感じてしまうんです。もちろん個々人は実質ばらばらですけども、メディアがなぜ収斂するのか。

お礼日時:2007/10/24 13:59

金がすべてを支配しているからではないでしょうか。

大衆とは金を共通の価値としている人たちです。誰でも大衆の一人です。環境保護も金にならなければ誰も参加しません。子供の数も金の問題です。少年非行も金が関係している場合も多いです。自殺も金が関係している場合が多いと思います。まして保険金目当ての殺人となると金そのものです。唯金主義の時代なのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

確かにそうだと思います。金なんて幻想に過ぎないのに。オークションとかやるとわかります。価格って言うものは別に価値ではないと。

お礼日時:2007/10/24 13:52

TVは長年どのようにしたら人は視てくれるのかを経験と感で培ってきた業界ですなので人を動かすことはお茶の子さいさいです。


例えば「~~は~~か!」や「(人名)、(出来事)!」などから始まりその後評論家の「けしからん」というような内容の討論が専門家の間で交わされあたかも良くないことかのような演出をしている。またギャップ(質問者さんが仰る○の二つ目)を作ることによって視聴者にインパクトを与えるという手法をとっているようにも思えます。
またバラエティー番組などで言えば芸能人の戯れを映すことによって芸能人に憧れを抱かせあたかも”イケてる”かのような感覚を浴びせさせるような製作技法をとっている、若者はイケてる力に吸い寄せられ番組の視聴率に貢献している。また脳、心理ブームの時には精神科に通う人が増えたそうだ。宮崎県のアピールの時でもTVが使われておりこれにより売り上げが倍増したそうだ、このことを考えるとTVというのはある種の精神材料であるのかもしれません。
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この回答へのお礼

マスコミの取る演出方法というのが、その思惑通り気付かれずに浸透するものならまだしも、あまりに露骨であからさまなのにはどうも納得いきかねるところです。

お礼日時:2007/10/24 13:50

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