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東京裁判は、戦勝国である連合軍によって裁判という形式で日本が裁かれたと聞いています。 平和に対する罪というものでしょうか。

この裁判の是非を巡って今でも賛否両論分かれているかと思うのですが、太平洋戦争以降も世界の多くの地域で戦争がありましたよね?

朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド戦争、湾岸戦争 ・・・ 他にも戦争と認められる軍事衝突も多いと思います。

いずれの戦争も最終的に戦勝国と敗戦国に分かれると思うのですが、日本のように裁判という形式で敗戦国が裁かれた例ってあるのでしょうか?

平和に対する罪という名目で日本が裁かれたわけですから、その後の戦争でも同じ罪を問われ、首謀者たちは各種戦犯とみなされ、絞首刑になっていたとしても不思議ではないように思うのですが ・・・

専門家ではないので、分かりやすく教えて頂けると助かります。

A 回答 (10件)

イラク戦争後、フセインをはじめとしたアメリカを中心とした連合国(?)の裁判もそれに当たるのではないでしょうか?

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この回答へのお礼

あ、そうでしたね。
フセイン元大統領は死刑判決だったですね。
有難うございました。

お礼日時:2007/10/31 13:02

イラク戦争での、フセイン大統領の裁判程度でしょうか。


ホスニア戦争で、セルビアのミロシェビッチ大統領も裁判にかけられていますが、引渡しでかなりモメて、どうなったのかの記憶がありません。

朝鮮戦争は、停戦しただけで、戦争が終結したわけではありませんし、ベトナム戦争では、攻め込んだアメリカの撤退だけで、ベトナムがアメリカに全面的に勝利したわけではありません。
フォークランド戦争も、フォークランド島(マルビナス島)をめぐる限定的な戦争ですから、完全に相手国を破るような戦争ではありませんでした。
湾岸戦争においても、基本は、イラク軍をクエートから追い出すための戦争でした。
中東戦争にしても、イスラエルの防衛が主目的ですから、相手を徹底的に追い詰める事はしていません。

戦勝国の一方的判断による相手国の戦争裁判が必要なほどの戦争、国家崩壊をもたらすような戦争は、旧ユーゴとイラクくらいでしか第二次大戦後は起きていないと思います。
相手国をそこまで追い込むという事は、戦勝国にその国の面倒を見る責任が生じてしまいます。
現在のイラクのように。
現在では、戦勝国といえども、そこまで面倒をみる力はないでしょう。
(アフガニスタン、イラクでのアメリカの苦悩は、相手国家を完全に崩壊させてしまったためにおきている悲劇です)
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、いわゆる戦争や紛争はあるものの、太平洋戦争のような国家の存亡をかけた大きな戦争がその後に無かったのが理由ですね。
でもイラクやアフガンでのアメリカの苦悩を見ると、仮に勝ったとしても戦争をするのはいかに愚かであるかという事が理解できるように感じました。

お礼日時:2007/10/31 13:07

 日本が裁かれたのではありません。

『A級戦犯』の人たちが、個人として裁かれたのです。

 第一次世界大戦まで、戦勝国とは敗戦国は条約を結び、「賠償金」を取ることが行われていました。

 ところが、第二次世界大戦のイタリア・ドイツでは、ムッソリーニ・ヒトラーと言う独裁者が(今の北朝鮮の金正日のように)個人のレベルで国家の方向を決めていました。

 そのため、クーデターでムッソリーニを政権から引き摺り下ろしたイタリアも、徹底的に負けたドイツも、『個人が戦争を引き起こした』のであるから、国民全体に開戦の責任はないという理屈で、国としては「賠償金は払わなくて良い」ということになったのです。

 日本の場合も、国民が戦争を望んだと言うことならば、国民全体の責任ということで、賠償金を請求されるところでした。
 しかし、国家の主導的な人物の個人的責任と言う、いわば作られたストーリーに従って、『A級戦犯』個人に「「戦争責任」を押し付ける形で裁判が行われ、彼らに責任があり有罪だから、国民には責任がなく賠償金を払わなくて良いということになったのです。

 日本の場合、ドイツやイタリアと違って、A級戦犯の人たちが独断で戦争に向かって国を動かしたのでないのは多くの国民が分かっており、後になってA級戦犯の人たちの免責嘆願書に、日本国民数千万の署名がなされるということとなりました。

 現在の靖国神社問題でも、A級戦犯の『実態』と『作られたストーリー』のギャップが影響しています。

 A級戦犯に戦争責任がないとするなら、当時「賠償金を払わなくて良い」と決めた理由が消えてしまうのです。
 
 第二次世界大戦後は、輸送手段の大型化などで世界経済が一体化したため、大国同士の全面戦争というものはなくなり、戦勝国・敗戦国という色分けはあまり意味がないものとなりました。

 第二次世界大戦後では、自分から他国を攻めて、その結果完全に敗北し他国に占領されるに至った例は、イラクのフセイン大統領くらいしかありません。
 フセイン大統領は、裁判にかけられましたが、アメリカはイラクの治安維持に今だに苦労し、戦争に勝っても賠償金を取るどころか、戦後処理にお金の持ち出しになっています。
 現代は、『戦争すると損になる。』そのような時代になったのです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
東京裁判については矛盾が本当に多いですね。 この矛盾が今でも日本の戦争観や天皇制が歪んだ形になっていると思います。 アジア諸国に対して行なわれた今までの謝罪も何の意味をなさないようですし。

イラク戦争におけるフセイン元大統領なんですが、たしか裁いたのは戦勝国であるアメリカではなく、新イラク政府だったように記憶しているのですが、この辺は連合軍によって行なわれた東京裁判とは少し性格が違うかも知れません。

いずれにしても、過去あったような大規模戦争なんて、仮に勝ったとしても大きな負担が待っているようですね。 アメリカを始めとする世界の大国も、これに懲りて二度とチョッカイを出さなくなればいいですね。

お礼日時:2007/10/31 15:36

イラクのフセイン元大統領は、イラクの法廷で裁かれています。



罪状も、執政中に自国民を殺害したことであり、戦争に関わったという内容ではありません。

参考:ウィキペディア『サッダーム・フセイン』より引用
>2006年11月、サッダームはイラク中部ドゥジャイルのイスラム教シーア派
>住民148人を殺害した「人道に対する罪」により死刑判決を言い渡された。

まあ、戦争に負けなければ彼の死刑がありえなかったのも事実ですが、戦勝国が敗戦国を裁いた東京裁判やニュルンベルク裁判とは異なることを指摘しておきます。

フセイン元大統領の死刑の後に、実質は勝者(イラクのシーア派)による復讐だという識者の指摘がニュースで流れましたが、まあ実際はそうだとしても、イラク国内の問題であることには変わりないと思います。
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この回答へのお礼

有難うございました。
> 戦勝国が敗戦国を裁いた東京裁判やニュルンベルク裁判とは異なる ・・
私も一瞬、フセイン元大統領がいたかと感じたのですが、彼に死刑判決を出したのは戦勝国のアメリカではなく、新イラク政府の裁判所だったと思います。 
それも罪名は 「平和に対する罪」 ではなく、自国民に対する殺人罪のようですね。
という事は、やはり戦勝国自ら裁いたのは、東京裁判以降は存在しないようですね。
一体 「平和に対する罪」 って、よく分かりませんね。
歴史上行なわれた全ての戦争は、所詮は利権の奪い合いが原因でしょうから、どっちが正義でどっちが悪なんて考え方は 「?」 と感じています。
「平和に対する罪」 を主張するなら、無抵抗な一般市民を無差別大量虐殺した原爆投下に対しては、あれも平和につながる作戦だったのかと言いたくなりますね。

お礼日時:2007/10/31 15:47

参考にもならないウソをついている人もいるようなので。



日本は国として賠償金を払っています。
なんで払っていないなどとウソをつくのでしょうか。
日本人は真面目ですよ。

Wikipediaから、以下引用しますね。
http://wpedia.search.goo.ne.jp/search/%C6%FC%CB% …
-----ここから引用開始-----
ヴェルサイユ条約でドイツに課せられた膨大な賠償金がドイツを再び戦争へと向かわせたことへの反省から、できる限り在外資産を没収する形での賠償させようという方針がとられた(第二次世界大戦後のドイツにも同様の措置がとられている)。例えば中国(中華民国)は賠償金請求権を放棄しているが、在外資産による賠償は受けている:

日本国代表:私は、中華民国は本条約の議定書第一項(b)において述べられているように、役務賠償を自発的に放棄したので、サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は、同条約第十四条(a)2に規定された日本国の在外資産であると了解する。その通りであるか。

中華民国代表:然り、その通りである。(日華平和条約に関する合意された議事録)。
----------ここまで----------------

払っていないというソースを要求された方がよろしいのではないでしょうか。
確かにもしかしたらどこかの左巻きな人たちが珍説を掲げているかもしれませんが、捏造と電波でまともな人とは思えませんね。
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この回答へのお礼

有難うございました。
日中国交回復に伴い、中国は日本に対して戦争の賠償を放棄したと教えられてきました。 また、それが中国に頭が上がらない今の関係の基になっているとも ・・
ご紹介のサイトを見ると、中国国内にあった日本在外資産、約2400億円が中国に対する賠償として差し押さえられていたんですね。 何でこの事実が一般に知られていないんでしょうね。
中国との関係は極めて大事ですが、歴史的事実で嘘を教えてはいけないと思いました。 どうしてこんなに歪んでいるのでしょうね。
とても勉強になりました。

お礼日時:2007/11/02 10:07

>朝鮮戦争、ベトナム戦争、フォークランド戦争、湾岸戦争 ・・・ 他にも戦争と認められる軍事衝突も多いと思います。


・・・第二次大戦以降の戦争は、本当の戦争じゃないという感じがしています。
 本当の戦争とは宣戦布告(URL参照)のあるものだと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%88%A6% …
 「さあ、やるぞ」というわけです。ボクシングの試合と同じです。ですから、のるかそるかの戦いになります。負けたほうは「参りました、降参します」ということになって、勝った方は負かした相手を裁いたり、賠償金を取ったりします。
 最近の戦争は本当の戦争じゃないですね。朝鮮戦争も昔は「朝鮮動乱」といっていました。
 いつの間にか、しょうもない紛争程度のものにも「戦争」という名前がつくようになりました。
 チョコチョコッとやりあうだけで、ノックアウトするまでトコトンやっていないわけです。ですから戦争裁判や賠償金というところまではいきませんね。
 なんだか、好戦的で冗談っぽい回答文になってしまいましたが、私は戦争の恐ろしさを知っている人間だと自負しています。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、宣戦布告がキーポイントのようですね。
たしかに宣戦布告して始まった戦争というものは、先の大戦が最後になるんでしょうね。
今の戦争と呼ばれるものは、何となく始まって、いつの間にかドロドロの状況になる ・・ そんな印象があります。

お礼日時:2007/11/02 10:14

既に指摘がある様に、第二次大戦以降に同レベルの戦争がない事、相手国の完全占領という例が無い事がありますね。


フセインについて、クエート侵攻後の連合軍が、そのままイラクに攻め入って占領したら可能性はありましたが、ご存知の様にその後米大統領の世代交代まで時間がたった後、別の理由で攻め込んだので・・・。
過去の例を見ても、国と国の間の賠償はあっても、戦勝国が相手国の指導者を裁いて殺した例はあまりないですね。ナポレオンは暗殺、ジャンヌダルクは宗教裁判、その他多くは自国での処刑で、ロシアの様に戦勝国でも政変で処刑された例もあります。更に過去に戻ると、ローマ帝国はハンニバルを追い詰めて殺しましたが、その場合は国民自体を殲滅させています。
東京裁判に対しては、その形式の特異さを指摘される場合が多いですが、既存のルールに則って行われた第一次大戦の戦後処理の反省に立ったものであり、日本にとっては良い面があった事は確かです。
少なくとも、直接の交戦国であった米国は、賠償金どころか援助を行ってくれましたが、その処置に米国世論を納得させるには、罪は戦犯にありその他の責は問わないと言う決着は効果がありました。
中国・ソ連といった戦勝国を、第一次大戦の轍を踏まないという米英の主張に納得させる為にも、ああいった形式は「大人の解決」であると思います。
戦後処理で様々な援助を受ける替わりに、賠償として稼動する機械類を中国・ソ連に持っていかれたり、戦後早々に先方の都合で第一次大戦並みの賠償金を払っていたら、その後の経済復興は無かったでしょう。
そういった意味で、米国は当時の戦後処理は成功事例と考えています。
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この回答へのお礼

有難うございました。
なるほど、東京裁判の正当性が今でも論議されていますが、結果としては日本の復興に非常に良い効果をもたらしたと考えられるのですね。
もしかすると戦後のドサクサで、日本は北海道から九州・沖縄まで、各国入り乱れてバラバラになっていたかも知れませんね。
たしかソビエトや北海道を寄越せとかアメリカに対して主張していたとか聞いた覚えがあります。
大変、勉強になりました。

お礼日時:2007/11/02 10:20

確かに、既に指摘があるように第二次世界大戦移行、それに匹敵する規模の戦争が行われていないというのもあります。


しかし、それ以前に「戦争犯罪」というものが明確に定義されだしたのも、二つの世界大戦を経るに従って現在の形となりました。
そして、この「戦争犯罪」という概念で言えば、
「旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E3%83%A6% …

「ルワンダ国際戦犯法廷」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%AF% …

という例があります。

朝鮮戦争は未だ継続中(休戦しているだけ)であり、最近、戦争終結に向けての教義が米朝間で話し合われるというニュースが流れていましたね。

ベトナム戦争は、ベトナムの内戦に米ソに代表される東西陣営が介入、泥沼化した戦争ですね。
米ソ間の事実上の戦争といっても良いのでしょうが、建前はあくまでもベトナムの内戦だと思います。

湾岸戦争は、フセインは敗戦を認めましたが結局、各国の思惑からフセインが温存された感がありますね。あまり詳しくは分かりませんが。

フォークランド戦争は無知なので分かりませんが。

いずれにせよ、「平和に対する罪」というのが生まれたのは、第二次世界大戦以後の東京裁判とニュルンベルグ裁判ですので、それ以前はそういった罪で裁かれた例はありませんね。
その下地となる概念(国際法)というのは、17世紀にオランダのフーゴー・グローティウスなる法学者が創始したとされています。
また、初めての国際法による秩序が計られたのがヴェストファーレン条約以後であるとされています。
その時の概念というか思想が、現在の国連による国際秩序の維持に繋がっているという説ですね。

少し、話がそれましたが、「戦争犯罪」は国家を裁くのではなくて、あくまでも個人を裁きます。まぁ、その国の指導者を裁くのだから国家を裁くと言えなくもありませんが。いずれにせよ、建前はあくまでも「個人」を裁きます。

ただ、その性格上、国際法は法律たり得るかたいう批判がされた時期もあります。現在はほぼ全ての国が国際法の概念を受け入れてますので(個々の「法」を受け入れるかは別問題)、一応、法律として認められているようです。

因みに、「人道に対する罪・平和に対する罪」は第二次世界大戦終結後の東京裁判・ニュルンベルグ裁判中に創設された罪です。
故に、「法とは、その犯罪が行われた時点のモノが適用される(開戦した時点?)」という論理から、この結果が認められないという指摘もされています。
まぁ、国家主義・民族主義者のイチャモンな感はありますが。(歴史は結果であるという立場で見れば)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89% …
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この回答へのお礼

有難うございました。
ご紹介のサイトで戦争犯罪について勉強させられました。
戦争にも長い歴史があり、敗戦国の責任の取らせ方にも試行錯誤があるようです。
ただ、開戦に至る経緯で言い分はあるとしても、日本は戦争を仕掛けた方であり、何を言われても仕方ない面はあるかと思うのですが、やはりあの原爆投下についてはアメリカの戦争犯罪を追及すべきではないかなと感じてしまいました。
最近のNHKの番組の中で、あの原爆投下は日本ではなく、ソビエトに対するアピールであったとする見方が優勢なようです。 被害者にとっては、たまったものではないですよね。

お礼日時:2007/11/02 10:32

例えばドイツは一貫してニュルンベルグ裁判を含めた連合国の戦犯裁判を「事後法による不当裁判」として非難し続けています。


「平和に対する罪」は第二次大戦後一部の国で「侵略戦争の禁止」という形で法制化されていますが、ほとんどの国ではそのような法律は無く(もちろん日本にもありません)必然的にそのような行為を罪に問うには事後法を使うこととなってしまいます。
このため事後法との批判を避けようとすると「平和に対する罪」は問えない為、他の方が例に挙げておられるように虐殺など、その時点での非合法行為を裁く事が基本となっているのです。
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この回答へのお礼

有難うございました。
平和に対する罪って具体的に何なの? と考えていましたが、やはり今ひとつハッキリしないようですね。
これを拡大解釈していくと、真の意味で自衛のための戦いも罪になるような感じがします。

お礼日時:2007/11/02 10:36

 『歴史評価』に対する誤解があるようなので解説します。

長くなりますが・・・(長くなるので、普通は説明しないでスルーしてしまい、結論だけが『歴史評価』となります。)

 一般に行われている『歴史評価』は、歴史全体の大きな流れを全体として把握することに主眼を置いており、枝葉の個々の事例については全体の流れとは逆の動きも見られます。また一見逆のように見えて、その実質はその流れに沿ったものと言うこともよくあります。

 ですから、社会的によく言われている『歴史評価』は、個々の例外的事例を知った上でなされていることが多く、『歴史評価』そのものを見直すには、相当多くの事例を細かく検討してからでないと下せません。

 日本の第2次世界大戦後におこなわれた、戦勝国の賠償金放棄については、第一次世界大戦のドイツの例を繰り返さないことを主眼に行われた画期的政治決断ですが、政治家が実質に即した決断をしたとしても、戦勝国の世論が受け入れるかどうかは別問題です。
 戦勝国の国民が受け入れやすい建前を付けることができれば、これに越したことはありません。

 戦勝国の主体は、日本に対してABCD包囲網を形成したアメリカ・イギリス(ブリテン)・中国(チャイナ)・オランダ(ダッチ)ですが、このうちアメリカ・イギリス・オランダの三カ国は賠償金請求権を行使せず、中国も1972年の日中共同声明で賠償金の請求放棄を行っています。ですから、『歴史評価』としての本筋は誤っていないと思われます。

 例外と見られる中華民国に対する賠償については、かなり微妙な当時の国際情勢が背景にあります。

・日華平和条約における中華民国の賠償放棄
 中国(中華民国)は賠償金請求権を放棄しているが、在外資産による賠償は受けている:

日本国代表:私は、中華民国は本条約の議定書第一項(b)において述べられているように、役務賠償を自発的に放棄したので、サン・フランシスコ条約第14条(a)に基き同国に及ぼされるべき唯一の残りの利益は、同条約第十四条(a)2に規定された日本国の在外資産であると了解する。その通りであるか。
中華民国代表:然り、その通りである。(日華平和条約に関する合意された議事録)。

 以下の参考にウィキの記載を列記しましたが、日華平和条約が締結された時点では、中華民国は台湾のみを実効支配している政権です。

 ですから、戦争の初めから終わりまで、戦場となっていない台湾は単に戦後になって政権が出来ただけで、戦争賠償請求権はないものとも考えられ、戦争賠償の対象となっていない韓国と基本的な扱いは同一でよいとも言えます。(実質論としてはです。その実質の反映として、サンフランシスコ講和会議には、中華民国政府は招請を受けませんでした。)
 日本がサンフランシスコ平和会議で台湾の権利を放棄すれば、その上にある財産は当然ながらその土地を領有する国のものとなるのは、ほぼ必然です。過去の独立でも、土地の上にある建物などが、依然として元の国のものであるなどと言うことがあったことはほとんどありません。

 では何故このようなやり取りが行われたかですが・・・

 1949年に中国本土が共産化し、1950年に朝鮮戦争が勃発、共産主義の進出を抑えなければならないという強い危機感がアメリカにありました。
 日本は朝鮮戦争の補給基地となり大量の特需を受けて復興が軌道に乗り、アメリカ側にいることの有利さを実感しました。
 中国共産党に台湾へと追いやられた中華民国は、反共産国としてアメリカや日本と共同歩調を取る西側の一員として、活路を求めました。

 台湾と同じ西側に属する日本は、建前としては中華民国を中国全土の政権とみなすポーズを取りますが、現実とのギャップが出来てきます。これが賠償問題の微妙なやり取りの背景です。

 日本と平和条約を結ぶ以上、中華民国側は「中華民国は台湾の政権ではなく、中国全土の正当な政権である」としたい。
 日本側としては、本土は中国共産党が支配しているから、将来どのように政治情勢が変わるかもしれないから、「中国全土の正当な政権である。」と、はっきりとは言いたくない。

 そこで、「戦場となった中国本土の戦争賠償金を××する。」という権利を行使した形で、間接的に中華民国が中国全土に対する権利を保持しているということを示すことにしたのです。(日本との戦争自体は、中華民国が主体でやっていましたし・・・)
 
 さて、××の部分ですが、『中華民国が受け取る』とすると、当然ながら中国本土の共産党政権が黙っていないでしょう。日本に対し両方から賠償請求されることは間違いありませんし(当時は中共と国交がなかったので、すぐにではないかもしれませんが、結果として二重払いになる可能盛性は大です。)本土を支配していない政権に対して、本土の戦争被害を賠償するのでは、日本国内でも問題となることは間違いありません。

 そこで、他の主要国の方針とも一致するので、実質に合わせて『請求しない』となったのです。

 ところが、蒋介石と共に台湾に逃げてきた元中国大陸の上流階級の人たちは、『何とか軍備を再編・拡張して』本土に侵攻したいのです。台湾の経済力では無理でも、日本から多額の賠償金を取れば、本土に侵攻するだけの軍備を整えられるかもしれないと言う『夢』がありますし、実際に日本とも戦ってきたのですから、『賠償金を請求しない』ということが、感情的に納得できないのです。そこで、『賠償は既に受け取っている』という半ばフィクション(台湾の政権なら、日本の権利放棄で賠償以前に自分たちのもの)半ば本当の話(中国本土の人間が、台湾の資産をもらったのですから。)を作り出したわけです。

参考:
・中華民国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF% …
1949年:ソビエト連邦からの全面的な支援を受けた共産党軍の攻撃を受け、中華民国軍が敗退。南京国民政府が崩壊状態に陥る。
1949年:蒋介石、崩壊状態にある南京国民政府を台湾へ移転し、実効統治区域内で戒厳令を実施。
1950年:蒋介石、総統職に就任。台湾国民政府の活動が本格化。
1952年:日本と日華平和条約締結。

・中華人民共和国
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E8%8F%AF% …
1949年に中国共産党によって建国された。

・朝鮮戦争
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE% …
1950年6月25日 - 1953年7月27日停戦、事実上終結)は、成立したばかりの大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の間で朝鮮半島の主権を巡って勃発した紛争から発展した国際戦争。

・サンフランシスコ講和条約(サンフランシスコ平和条約)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
1951年(昭和26年)9月8日に全権委員によって署名され、その後国会承認と内閣批准を経て、翌年の1952年(昭和27年)4月28日に発効した。日本国内では、昭和27年4月28日条約第5号として公布されている。台湾の権利放棄を規定。

・日華平和条約
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC% …
中華民国はサンフランシスコ講和会議に招請されなかったが、日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)を原則として締結された。
1952年4月28日に台北で調印され、国民政府の支配下にある台湾を適用範囲として結ばれた。サンフランシスコ平和条約発効の7時間30分前であった。

・日中共同声明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD% …
日本と中華人民共和国が国交を回復するために1972年9月29日、中華人民共和国の北京で調印された共同声明。
中華人民共和国は日中両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄する。
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この回答へのお礼

とても詳しい解説、有難うございました。
日本と中国や台湾との関係は、戦争直後の時代にまで遡り、また中国国内の政治状態も総合的に考えないと正しい理解は出来ないと思いました。
それぞれの政府の打算と目論見が複雑に絡み合い、今に至っているわけですね。
これを機に中国と台湾の関係をもう少し勉強する気になりました。
有難うございました。

お礼日時:2007/11/05 10:10

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