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日本は明治維新前は、封建社会で、農民の移住・職業選択の自由がありませんでした。
明治維新後、資本主義社会になり、市民的な自由の実現が前提条件となりました。
以上のことを踏まえて、日本は明治維新の際、なぜ外国からの借款を必要としなかったのですか?
曖昧な質問かもしれませんが、答えてくださったら嬉しいです。

A 回答 (3件)

金や銀がたくさん取れたから。

。。
日本は江戸時代の初期には金は世界有数の産出量
銀は(たぶん)世界一位の産出量だったと思われます
幕末のころには金脈や銀脈がやせ細ってきていましたが
それでも それまでの蓄積がありますから金銀は日本国内に
豊富でした
二つ目の理由は
薩摩は琉球、中国などとの貿易で
長州は朝鮮などとの貿易で お金をもうけため込んでいました
この2藩は地場産業も盛んでした
その軍資金でもって明治維新が実現したわけです
外国から軍艦や小銃・大砲を現金(金・銀)で支払いしています
借款するまでもない金持ちの藩だったのです
幕府は家康以来ため込んでいた金貨がだんだんと減ってきたため
フランスから借款することも検討しましたが徳川慶喜が官軍との
戦争をやめたため、借款する必要がなくなりました
三つ目の理由は
反官軍の諸藩が借款してまで徹底抗戦しようとしなかったことです
そのためあまり長期にわたっての戊辰戦争はありませんでした
最後まで抵抗したのは榎本武揚の函館・五稜郭軍ですが
外国もこの軍が勝てるとは思えないということで借款を
提供しなかったのでしょう
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この回答へのお礼

返事、遅れてごめんなさい。

分かりやすく説明して下さってありがとうございます。
とても参考になりました。

お礼日時:2007/12/12 18:33

 明治初期は、外国から借款する前に国内から金を集めていました。


特に有名なのが、富豪に銀行を作らせ、兌換紙幣を発行させる。発行した紙幣の半分を政府に納めさせるというものです。
 まだ外国から借款というのは現実的でなく、国内の金持ちから金を集めることに奔走していました。もう一つは明治維新期はまだ、列強にとって日本など植民地にすべき後進国でしかありません。借金の担保として要求されるのが、領土であったり、なんらかの商品の独占商業権であったり要求するものが、植民地への足がかりといったものだったでしょう。(小栗が金を借りた担保は蝦夷地だったという説もあります。)

 
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幕臣の小栗は造船所の建造費用をフランスより借款します。


600万両は、生糸の独占販売の権利を売った物です。

あるはずが無い所から金を作る。
現勘定奉行を飛び越え、罷免された元勘定奉行に金の所在を聞きに行った。ここから埋蔵金の噂が出たとも言われます。

フランスは幕府を味方し、軍事顧問などを送り込み、軍隊の近代化を促進させます。足がかりを作る為です。

フランスが味方をすれば、イギリスが新政府に味方するはずですが、
生麦事件や下関砲撃など、薩長の狼藉には目に余る物があります。

海援隊は、グラバー商会(イギリス人)を仲介して武器を輸入しますが、個人対個人でしかありません。

明治2年には鉄道建設などでイギリスなどに借款に奔走します。
見習うのもイギリスと決めたようです。

王政復古の大号令の翌年には鳥羽伏見の戦いに入り、あっと言う間に過ぎ去ってしまいます。
この短期間に新政府が借款出来る信用は得られませんし、期間が短いので契約を結んでも来年になってしまいます。

明治初期の軍事力は、歩兵2千名程度。これの給与の捻出にも苦悩していたようです。

郵便制度も無理があり、郵便局は、各地の勇士を募って自費で開設をお願いしています。
鉄道施設にも予算が尽き、やむを得ずコンクリートでなく枕木を敷いてごまかします。

新撰組の活躍も、数年の話です。
あまりに風雲急を告げる(急雲風を告げるのだそうです。^^;)
状態であったのではないでしょうか?
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この回答へのお礼

返事遅れてしまってごめんなさい。

とても詳しく教えて下さって、ありがとうございます。
調べてみたら奥が深そうですね!!

参考にさせていただきます。

お礼日時:2007/12/12 18:35

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