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戦死報告は戦時中に届いたものなのでしょうか?
それとも戦後に届けられたものでしょうか?
また、その文章の具体例などをお教え願えれば幸いです。
(書式・戦地名などを含む)

A 回答 (2件)

戦死の報告は正式には死亡告知書という名の公報でしたが、一般的には戦死公報と呼んでいたと思います。

また、英霊に就いてのお知らせみたいな書類も公報に添えられていたと記憶しています。

戦死公報は薄い雁皮紙のような半紙の和紙一枚に、都知事名、あるいは府県知事名で、戦死者の本籍、所属、階級、戦死地、日時などがタイプされたもので、開戦当時から半ば頃までは比較的早くまた正確に遺族の元に届けられていたようですが、戦況が悪くなり、展開し過ぎた最前線との連絡もとかく途絶えがちになり、また戦死者の数が急激に増えたこと、さらには戦災によって戸籍簿などが焼失したこと、事務処理や配信処理などの手も不足しがちであったことなどが重なって、次第に遺族に知らされるのが遅くなり、終戦当時では、終戦後ニ、三年も経てから届いたといったケースも少なくありませんでした。このため、銃後の家族たちは少しでも縁者の消息を確かめようと足しげく都庁や府県庁などに出かけて行ったものでした。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。無知とは恥ずかしいもので、《戦死公報》と言う名を知らないばかりに、すごく遠回りをしていたことに気付かされました。本当に勉強になりました。

お礼日時:2010/03/24 05:42

http://www.gem.hi-ho.ne.jp/sogenji/hitokuchihouw …
ほい。

戦死公報と言います。ググると一杯出てきますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。早速、《戦死公報》でググってみます。

お礼日時:2010/03/24 05:44

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