牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

第二次世界大戦時、日本は始め参戦には消極的(?)だったようですが、参戦したのはなぜですか?
第一次大戦のときは日英同盟により連合国側にいたのに、第二次の方では逆の側にいた理由がいまいちわかりません。。

A 回答 (5件)

#3さんがおっしゃる日英同盟放棄というか更新しなかったんでしょうか、


これにはワシントン軍縮会議、ロンドン軍縮会議などがありました。
主要国で軍縮しましょうということで、各国に制限を設ける会議ですが、この比率が日本政府としては不満で、日英同盟を継続しなかったり、軍縮条約を脱退したり。
というのがウィキペディアに書いてあります(^^;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% …

※ロンドンの会議には海軍から山本五十六も派遣されていた。
阿川弘之『山本五十六』に出てきます。

日本全体が消極的だったわけではありませんで、
戦争を避けたい派の人は、身辺に気をつけろと言われたり暗殺に備えて遺書を用意したりしたぐらい、推進派からは憎まれていたとのこと。
それに屈したわけではないのでしょうが、結局、開戦派の意見のほうが主流になって、通ったということなのでしょう。
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第一次世界大戦後、日本と連合国側と利害関係が崩れ対立したために今まで米英から入手していた技術が手に入りづらくなったことと、中国との対立でその時点では最大勢力であった国民党に兵器輸出や軍事顧問団などの支援していた独逸の存在、またその独逸がソ連と対峙する上で色々と都合がよかったことがあります。


当時の政府がなぜ独逸と手を切らずに、国力差が大きく、しかも資源の輸入先である連合国側に戦争を仕掛けようと思ったのかはわかりませんが、少なくとも基礎技術やソ連との関係という点では独逸と組んだ理由はあります。
・・・架空戦記でよくある話ですが、アメリカが参戦する前にドイツに海軍戦力を送ってイギリスを倒すことができれば、ソ連をも打倒し、アメリカをモンロー主義による孤立状態に追い込めたのかもしれませんが・・・。
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日英同盟は日本が放棄した。


(イギリス一国でなく、世界中の国と友好関係を築きたいという理由だったが、結果論としては失敗だったかも)
日本とドイツは日独防共協定を結んだ同盟国だった。
日本は第二次世界大戦前1933年から満州事変によって国際社会から総スカンをくらい、
国連を脱退していた。
1937年には日中戦争が始まり、中国の門戸開放を主張するアメリカとの対立は決定的になる。
ドイツも同じく、協定をいきなり破棄したり侵略を繰り返したり、世界中を敵に回していた。
味方がいないこの二国が手を結ぶのは必然のなりゆきかと。
ちなみに、第二次世界大戦で枢軸国は二回ともドイツに味方しといて二回とも裏切るイタリアを除けば日本なりドイツなりに武力で脅されて強制的に参加させられた国だけで、日本とドイツは世界中を相手に戦争していた。
そんな状態で6年も戦争したのはすごいとしか言いようが無い。
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C% …
上記サイトでは、
・満洲および蒙古支配権を巡り次第に対立
・国内の日本資産の凍結と輸出禁止
・東南アジア等の仏蘭英の植民地への不当な資源要求の拒否
・中国蒋介石への2500万ドルの貸与
とあります。
世界的な不況の中、中国に活路を求める日本と英仏米との対立は鮮明になってきたためです。
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日本は中国大陸に進出してアメリカとぶつかり、その上、ドイツと手を組んだからねえ。

おまけに石油を止められて日本は戦争するより他に打つ手がなくなった。ボルネオの石油を取ればなんとか石油の問題は解決できるかもというやけくそで滅茶苦茶な作戦だったと思う。ハルノートという最後通牒はもう日本に最初に拳銃を抜かせるための西部劇の作戦だった。
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