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 聖書には、旧約聖書と新約聖書の二つがありますが、
旧約と新約は、どう違うのでしょうか。
よろしくお願い致します。

A 回答 (9件)

はじめまして


旧約聖書はユダヤ教において、重んじられる教典です。また、ユダヤ教の
信者はイエス・キリストの出現を救い主として認めていません。ですから、
旧約聖書はイエス・キリストが出現するまでの、神との古い契約であると
キリスト教では教えられます。ということで、新約聖書はイエス・キリストが
出現し、十字架に架けられ、その後弟子たちによって広められた「神との
新しい契約です」
また、プロテスタントとカソリックでは多少、旧約聖書の取扱について
誤差がありますが、今日ではその溝はほとんどありません。
因に、キリスト教では旧約聖書と新約聖書の二つセットで聖書であると
しています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:24

アダムが罪を犯してからモーセが律法を貰う出エジプト記19章までは、神様を信じるだけで、それが義として認められ、救われました「創世記15:6」。

これは、今の私達が神様を信じるだけで救われるのと似ていますが、十字架の血が無いのが異なります。                                                                出19から浸礼者ヨハネ「マタイ3:1、11:13」までは、神様を信じながら律法を守れば救われました。                                                                 浸礼者ヨハネから十字架までは、イエスキリストがイスラエルの王としてお越しになっていらっしゃる王国福音です。ですから、マタイ書ではイエスをイスラエルの王として信じると救われました。天国はマタイ福音だけにある言葉で、王国の意味です。この天国が、イスラエルの宗教指導者達によって奪わられ「11:12」、イエスキリストは十字架で処刑されます「マタイ27」。今の私達は、イエスキリストが私達の罪の故に十字架に掛けられ、血を流して死なれ、三日後に蘇られたことを信じると救われます。これを恩恵福音と言います。これが新しい約束です。ですから、旧約はマタイ27章までです。ヘブライ9:17は、遺言者であるイエスキリストが死なれた始点から新約が始まると言われています。                                                                                                恩恵福音は十字架事件から啓示録3章までです。                                                                          今の恩恵福音時代が終わると、救われた人々は楽園に引き上げられ「啓示録4:1、コリント前15:51~55」、この世の中は、7年の大艱難に陥ります「啓示録4章~19章」。大艱難の時は、十字架の血が自分の罪を贖ってくれたと信じるだけでは救われません。大艱難のイスラエル人は十字架の血を信じながら、律法を守りながら、666のしるしを貰ってはいけません。大艱難の異邦人は、十字架の血を信じながら、‘神様を恐れ、その方に栄光を捧げ’「啓示録14:6~7」という永遠の福音を信じながら、666のしるしを貰ってはいけません。                                                                                            大艱難が終わると、1000年王国が始まります。マタイ福音で、イスラエルの宗教指導者達によって奪われ延期された王国なのです「啓示録20章」。1000年王国では、福音を伝えると呪われます。全ての人々が、その方をよく知ってるからです「ゼカリヤ書13:2~3」。ですから、1000年王国では信心は関係なく、行為だけが求められ、行為だけによって救われます。                                                                          1000年王国が終わると、白玉座の審判が行われ、救われた人々は永遠の世界へ「21章~22:5」、救われて無い人は火の池に永遠に投げ込まれます「啓示録20:11~15」。                                                                        新しい約束である新約は、マタイ27:50から始まっています。そして、私達が居る場所は啓示録3:14~22です。                                                                     何故、このような質問をなさったか知りませんけれども、十字架を基点に新しい約束が始まっていることを知らないことから見ると、未だに救われていないと思われます。何よりも先ず、イエスキリストが十字架で流された血が貴方の罪を完璧に無くして下さったことを「心から信じて」救われるように願います。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
世界史の勉強をしていて、気になったので、質問させていただきました。

お礼日時:2008/01/13 00:11

No.5でだいたい良い。


No.6はひどい。。掲示板なら叩かれる内容。

旧約-神がキリスト(救い主)を送るという預言。
新約-神がキリストを送ったという記録。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:15

旧約はBC


キリストが生まれるまでの事を書き
新約はキリストが生まれてからの後になります。
捕らえ方は様々あるんですが
旧約は神様と信じる者との関係、キリストが生まれる事を預言し聖書が正しいものだと証明するもの、
新約はイエスキリストとはどのような方かを説明した書物で
後は各教会に宛てられた書簡、黙示録

メインはキリストと言う方を信じる事によって救われるという事
愛とは何か?ということを説明した書物

人生訓もあり考えさせるところもあり、外国では信じていなくても
読む人もいます。人生に影響を与える本ですね

種を蒔く人が種蒔きに出かけた。 [4]蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。 [5]また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。 [6]しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。 [7]また、別の種がいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。 [8]別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。

良い地にまかれ良い実を結ぶように人生を作って行きましょうね

それぞれの力に応じて、一人には五タラントン、一人には二タラントン、もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速、五タラントンを預った者は出て行き、それで商売をして、他に五タラントン
もうけた。同じように、二タラントン預ったものも、他に二タラントンもうけた。しかし、一タラントン預った者は、出て行って穴を堀り、主人の金を隠しておいた。さて、かなり日がたってから、僕たちの主人が帰ってきて、彼らと清算を始めた。まず、五タラントン預った者が進み出て、他の五タラントンを差し出して言った。『ご主人様、五タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に二タラントン預った者も進み出て言った。『御主人さま、二タラントンお預けになりましたが、御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで、一タラントン預った者も進み出て言った。『御主人さま、あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、 
恐ろしくなり、出かけて行って、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠けものの悪い僕だ。私が蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら、わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば、帰って来た時、利息付で返してもらえたのに。さあ、そのタラントンをこの男から取り上げて、十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまで取り上げられる。
benkyouchu様が様が持っているタラントン(能力)は使ってますか
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:17

旧約聖書というのはユダヤ教の聖書のことで、ユダヤ教にとって聖書は一つしかありません。



キリスト教はユダヤ教から分離したので、新約聖書というものも保有しており、新約聖書の方を重要視しています。

旧約聖書は天地創造から民族のなりたち、王国の成り立ち、法律のなりたち、祭司たちのなりたち、などが網羅されており、ユダヤ人の歴史の資料ともなっています。

日本は日本書記、古事記が日本の歴史の資料としていますが、我々が日本書紀を捕らえているより、ユダヤ人は聖書を重要視しています。

新約聖書の方は、ヘロデ大王のころから1世紀までが書かれており、4つ福音書が入っているのですが、そのうち3つまでが内容がほぼ同じ。
イエスという人物を主人公にして書かれています。
そのほかに、パウロ神学が書かれており、パウロの考え方がキリスト教徒のお手本とされています。


3つの福音書の内容の中でイエスの行動やイエスの言ったことは、既に旧約やラビ文学の中で書かれたものばかりで、何一つ新しいものはない。

旧約聖書は主に専門職の人たちが世襲制で口伝で継承していったわけで、大祭司や祭司などは神が決めた人のみ専門でやっていってたのですが、神が決めた民族以外が政権を取ったり、ヘロデ王の方になびいたりして、ちゃんと継承されず、庶民にちゃんと伝えないようになった。
だから、神が専門職の種族以外タッチするなと言ったにもかかわらず、他の民族が宗教職をやるようになり、律法は重要視されなくなった。

それでイエスという人物が、(ラビと言われていたので、恐らく専門職の種族の血を引いているので、祭司の権限があったと思います。) 専門職以外の人たちによってメチャクチャにされてしまった状態を元通りにしようとして、12支族に散らばっていた宗教的リーダーである同族を呼び集め、律法にたちかえれという運動をやった。

つまり イエスの弟子たちは庶民じゃなく神が選んだ宗教専門職の種族だったのではないかと。
イエスもそうだったのではないかと思います。

しかし、預言者は不遇な運命を辿っており、イエスもやはりその通りになった。

ところがトーラに戻る運動は種が消えておらず、エルサレム教会などで、イエスの律法の解釈 つまり 聖書に立ち返る人々がいたわけですが、それを妨害していたのがパウロ。

しかしディアスポラしたユダヤ人であるパウロが改心したので、ローマはびっくり。
しかし、パウロはディアスポラしたユダヤ人で、律法を否定するなど、全然イエスのことを理解しておらず、律法を否定することは、神を否定することで、破門されたわけです。

パウロにしてみたら自分の神学のどこが間違えているのかわからず、エルサレム教会のリーダーで、イエスの弟とされたヤコブを殺害しようとして、神殿から突き落とした。
ヤコブは死ななかったので、今度は自分の息のかかった大祭司を動かし、イエスの弟ヤコブを殺害した。

市民たちにとってみれば、自分達の希望であるヤコブがパウロに殺されたわけで、市民たちはパウロを憎悪し、殺さんばかりの勢いだった。

それで、ローマは親戚であるパウロの身を守るために、ものすごい護衛をつけてパウロをエルサレムから脱出させた。

それでパウロはエルサレムに近づけず、イエスの思想を継承していたエルサレム教会から破門されるほどズレた自分の思想を、エルサレム以外の、ローマが支配している地域に「これがイエスの思想」だと自分の思想を布教してまわった。

何より自分が殺害に関与した大悪人であるという罪悪感はあったのですが、全てイエスが肩代わりしてくれ、懺悔することで全てはチャラになるという神学をぶちたてることで、罪悪感を消せるという神学を作ったわけです。

そういう思想は悪人たちにとって大歓迎。
悪人でなくても、ちょっとしたことで罪を感じている人も、律法を守らなくていい、イエスが罪を肩代わりしてくれたから、もう心配ない というパウロの話を聞き、増えていった。

そういう一連のエピソードが福音書以外の聖書に入っている。

どんな大悪人だろうと、懺悔しさえすれば復活できて大手を振って世の中を歩いていける という話は、世の中の人の慰みとなり、それでそういう人たちに歓迎され、選ばれた人々 はキリスト教徒になっていった というわけです。


簡単な話だと、神の愛律法は旧約聖書にあり、新約聖書は神の愛を否定しているってこと。
イエスは律法を否定せよなど言っていない。
イエスはこの世の終わりまで律法の一字一句消えることなどないという思想だった。

つまりキリスト教の教えはイエスではなく、パウロらの思想の集大成。
どんな悪をやっても救われるから安心しなさいという思想は、征服をしていたローマに受け入れられ、国教となり、この思想が世界征服・略奪に使われ、人類史上かつてないほどの殺人が引き起こるようになったわけです。


というのが、私の大まかな理解です。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:18

以下は、以前私も回答に参加したQ6Aです。


http://okwave.jp/qa2901748.html


以下は、私の回答の再掲。

旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、共通の経典です。
ただし、「旧約聖書」という名称はキリスト教のみの名称で、ユダヤ教は律法書と呼んだり預言書とよんだり、それぞれの頭文字をとった『Tanakh(タナク、タナーク、タナハ、タナッハ)』と呼ばれるようです。
イスラム教では、一部が経典としてつかわれています。
旧約聖書は複数の書物や書簡、詩などで構成されており、どの書物・書簡・詩を正典とするかはそれぞれの宗教・宗派によって違います。

内容は、天地創造からはじまって、イスラエルの民の歴史、預言(予言ではない)、律法、などが記述されています。
キリスト教では、イエス・キリストが十字架上で死んだことで、旧約聖書の預言は完成されたと考えられています。
そして、新約聖書へと繋がります。
※預言とは、神から預かった言葉という意味です。所謂未来を予想する予言とは違います。

新約聖書は、キリスト教の教典です。
また、イスラム教も一部の書を経典として扱います。
内容は、イエスの生涯と言葉・弟子であるパウロやヨハネなどの書簡・イエス死後の弟子の行動などの記録etc、、、です。
こちらも、複数の書物からなりどれを聖典とするかは宗派によって異なります。
キリスト教では、イエス・キリストによって旧約(古い約束)から新約(新しい約束)に更新されたと考えるため、「旧約聖書・新約聖書」という呼称がつきました。
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この回答へのお礼

そういうことだったんですね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:14

元々、旧約聖書はユダヤ教の経典でした。

そのユダヤ教のラビ(教師)のひとりがイエスです。イエスはユダヤ教徒として活動しそして処刑されたのですが、イエスの弟子たちは「イエスこそキリストである」といい始めました。
キリストとは救世主(メシア)のことです。イエス派の人たちは「イエスこそキリスト」と主張しましたが、保守的なユダヤ教徒たちは「あれは『自称』救世主だ」と認めず、結局イエス派は新しい宗教を立ち上げました。「キリスト教」の誕生です。キリスト教が広まるにつれてバラバラだった経典をまとめる必要がでてきて100年くらい議論してようやくできたのが新約聖書です。

ですからキリスト教徒は旧約聖書を根本として、最も重要な経典は新約聖書としています。ユダヤ教は、そもそもイエスを救世主と認めていないので新約聖書は認めていません。

やがて、中東にイスラム教が生まれます。イスラム教では、イエスも預言者のひとりであると認めていますが、「一番偉いのはムハンマド(マホメット)」としていますので、そのムハンマドの言葉を集めたコーランを最も重要な経典にしています。しかしその基本となる世界観は旧約聖書に基づいています。

つまり、ここまで見て分かるように、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の指す「神様」はみな同じ人(?)ということになります。まあそもそも彼らは一神教ですから、唯一絶対神は同じ存在であるはずですけどね。
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この回答へのお礼

なるほど、どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:20

おまけ情報:


聖書の影響はイスラム教にもあります。
イエスは、イスラム教では神の子でなく、預言者の1人なのだそうです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%90%E8%A8%80% …
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この回答へのお礼

なななんと・・・
そうだったのですか。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:25

旧約聖書:イエスキリスト以前に 神から呈示された契約 ユダヤ教



新約聖書:イエスキリスト以降に 神から呈示された契約 キリスト教

契約とは 信者が遵守すべきことを網羅したもの
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この回答へのお礼

簡潔で分かりやすいです。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/01/13 00:23

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