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江戸時代は中央集権と言えるのでしょうか?

幕藩体制は中央集権の一部と捉えられるのでしょうか。

よろしくお願いします。

A 回答 (6件)

中央集権であるか、ないか、で言えば中央集権ではありません。

確かに、各大名は将軍に忠誠を誓う立場ではありましたが、各藩の行政については、幕府からの干渉はほとんどありません。中にはお家騒動が大きくなって幕府をも巻き込む事態になるケースもありましたが、それはその藩内で収拾できなくなっかたらで、江戸幕府260年、日本全国という視野で見れば、レアケースと言えます。地方分権と考えたほうが近いでしょう。ただ、歴史は、「中央集権」や「地方分権」など、現代人の用語を安易に当てはめると、かえって実像から乖離してしまうことがあります。
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みなさんの補足だけさせて頂きます。



そもそも、江戸時代末期まで、民衆の間に「日本」という概念はありません。江戸時代の「国」とは、藩のことです。現在の都道府県と、江戸時代の藩とを混同してしまいがちですが別のものです。江戸時代を強いて現代の制度の近いもので言うと、「連邦制」かもしれません。
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中央集権になるためには、絶対的優位な権力が必要です。

もし、そのような権力を徳川家がもっていたのなら、天皇家を潰して自分が天皇になれば良かったわけです。そのことから、徳川家の力は単なる相対的な優位性を持っていたに過ぎないことが分ります。必然的に封建制度にならざるを得なかったのです。

日本史の中で、この絶対的な権力を持つことができたのは、かつての天皇家と信長だけでしょう。信長は中央集権制完成間近かで暗殺されてしまいました。この暗殺のおかげで、日本は西欧と同じように封建制度をその骨子とし、残りの世界でのその他大勢の常識的な中央集権にならなずに済んだのです。その結果、西欧と同じようにその後の資本主義の大飛躍が出来たのですから、多分日本にとって幸運だったと思います。
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江戸時代では、初期においては、幕府が各地の大名に対して強力な影響力をもっていましたが、末期になると、参勤交代制度をゆるめたり、一部の尊皇攘夷派による英国船攻撃事件に対して、「幕府は何も知らん。

勝手に薩摩と話をしてくれ」と英国に返答していたりしますから、厳密な意味での中央集権とは言いがたいと思います。
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幕藩体制は、中央集権とはいえません。

どちらかと言うと封建制度ですね。
中央集権と言えば、中国の歴代王朝(全部とはいえませんが)や帝政ロシア等のように、
非常に強い権威と権限を集約的一元的に握ってる皇帝(最高権力者)がいて、
巨大な官僚組織を駆使し、全国から一極的に収税し、
地方行政官も世襲ではなく、その都度任命されるのが通例です。
(ただし、貴族制が並存される場合もあるし、皇帝の信任を受けると実質世襲化される場合あり)
江戸時代の幕藩体制は、一見、将軍の地位が突出して高いように見えますが、
大名の中の旗頭的存在(武家の棟梁、源氏の長者)で、天領以外の実質的行政権はなかったです。
権威においては、形骸化してたとは言え天皇家もありましたしね。
ただ、厳密に言うと、
「幕藩体制は封建制とも言いかねる」という説もあります。
(なぜなら、統治している武士は、徴税するだけで地主ではないから)
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中央集権とは、地方に独自の統治権を認めない制度であり、地方の富が全て中央政府に集約されるシステムです。

江戸幕府は各地の大名の領内統治に直接介入できませんので、中央集権とは呼べません。封建制です。
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