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 内向的な人は、心の中に激しい情熱を持っていても、それをうまく外に表現できないので、「こいつは何もやる気がないな」と誤解をされやすいと思うのです。
 内向的な人は、他人に積極的に表現することがにがてです。
 したがって、「つまらないやつだ」「何も考えてないやつだ」と思われがちです。

 そういう内向的な人間の生き方について、いいアドバイスがあれば教えてください。
 よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

こんにちは。


内向性よりも外向性の方が優秀であるというのはかつて成功を美徳とする社会(因みにアメリカ人)が勝手に決めた解釈です。まず明らかな誤解といいますのはここから始まったものですが、当然どちらにも一長一短があり、何が優秀かはそのひとの中身で決まるものです。ならば、それ以外の誤解に就きましては質問者さんご自身の行動にも少なからず責任があります。

内向性には内向性の「利点」と「欠点」があります。「利点」は活かし、「欠点」は自分の努力でもって補わなければなりません。これは外向的なひとにとっても全く同じことです。
内向的なひとというのは自分の欠点ばかりに目がいってしまい利点を活かすことが余り上手ではありません。これに対しまして、外向的なひとは決断が早くどんどん結果を出しますが、自分の欠点を理解するのが苦手です。ですから、自分の欠点を見付け出して努力をするというのは内向的なひとの方がよっぽど得意です。
利点を活かし、欠点をカバーするためには、このためにはまず自分がいったいどういう人間であるかをきちんと知る必要があります。但し、最初に申し上げておきますが、質問者さんが「本当の自分」というものに巡り会うのはまだ十年も二十年も先のことになります。ですが、自分の欠点ばかりを見ているのでは何時まで経っても自分を見付け出すことはできません。そこで、質問者さんが自分を知り、正しい選択を行なうためにはまず欠点ばかりではなく、利点にもちゃんと目を向けなければならないということになると思います。

では、まずアメリカ人の根拠のない誤解を解きます。
長所・短所というのは人それぞれですが、概ね内向的なひとには、
「理屈っぽい」
「神経質」
「執念深い」
といった傾向があります。
どうしてかといいますと、つまり逆に外向的なひとといいますのは細かいことはあれこれ考えませんので決断力に長けているだけではなく、過去のことで執念深く根に持つということはしません。では、果たして決断力のある外向的なひとにとってはそのときの全てが結果オーライなのですから別にくよくよするわけでもなく、後でしのごのと言い訳をする必要もないわけです。
では、内向的なひとといいますのはこのような外向的な気質と全く正反対です。従いまして、上記のようなものが内向性の傾向ということになります。そして、これを活かすも殺すも全て自分しだいです。
例えば、「理屈っぽい」「神経質」といいますのは思慮深く結果選択に慎重であるということです。決断は遅いですが結果を十分に予測したり後できちんと反省をすることもできます。そして、何かとくよくよするのは過去の失敗を何時までも忘れないからなのですが、果たしてその後の自助努力にはこの「執念深さ」が俄然ものを言います。
このように、自分の欠点や失敗を受け入れてこつこつと努力を積み重ねるという能力は内向的なひとの方が遥かに優れています。このため、どうしても外向的なひとよりは時間が掛かってしまうわけですが、その代わり、最終的には確実に結果に辿り着くことができます。これが内向性ならではの問題解決能力であり、即ち質問者さんの「底力パワー」というわけです。

ですが、こつこつと努力をするといいましても、やはり人間ですから誰でもついつい逃げや言い訳を考えてしまいます。そして、内向的なひとといいますのは思慮深い分この「言い訳」がたいへん得意です。ではここで、アメリカ製の誤解ではなく、質問者ご自身が招いた誤解を整理しなければなりません。
内向的なひとには外向性には適わない欠点があります。ですから、これは気質なのですから、それはどうしても自分の努力によって補わなければなりません。
質問者さんは相手に認めてもらえないのは内向的な性格だからと仰いますが、他人に受け入れてもらいたいならばそのための努力はしなければなりません。何もしないのにおいそれと認めてもらえるはずがありませんよね。ならば、ひとには負けない情熱的や信念があるにも拘らずそれが認めてもらえないのは自分が内向的だからだ、質問者さんひとりならばともかく、曲がりなりにも他人というものを相手にする以上、世間ではこのような言い逃れは一切通用しないです。
自分の欠点を補うというのはこういうことです。外向的なひとは元々このようなことが得意なのですから、こちらは余分に努力をしなければ勝つことは絶対にできません。ですから、世の中というのはそういうものなのですから、内向的だからそれができないというのは間違いなく質問者さんの「甘え」ということになります。
実は私もそうなんですが、言い訳の得意なひとはこの点に目一杯気を付けなければいけません。さもなくば、せっかくの「執念深さ」が何の役にも立たなくなってしまいます。
このように、内向性の「利点」といいますのは「思慮深さ」と「執念深さ」です。ですから、自分の欠点はこの二つのアイテムを使って何とか克服してゆかなければなりません。そして、内向的なひとが気を付けなければいけないのは「言い訳をしてはいけない」ということと、もうひとつは「決して焦らない」ということです。

外向的な人は細かいことをあれこれと気にしませんので素早い決断力があります。若いひとは経験能力がみなほとんど同じなのですから、これがしばしば結果を大きく左右することになります。ですから、外向的なひとはだいたいみな早いうちに実績を上げてリードを取ります。
では、先にリードするのは良いのですが、元々経験不足でありながら結果オーライでろくな反省もせず、失敗してもすぐに忘れてしまいます。これでは「成長」というものがまるでありませんので、実績や信頼は何とか手に入りますがその中身は空っぽということになります。全く成長しないというのも極端な話ではありますが、外向的なひとには少なからずこのような傾向があります。
では、この「信頼」や「実績」といいますのは、残念ながらそれは「世間の目」です。ですから、質問者さんにはそれに負けないくらいの情熱があるというのは紛れもない事実であり、認められないのが不本意であるというお気持ちは十分に良く分かりますが、中身がどうあれ何らかの結果を出さなければそれを世間の目に触れさせることはできません。
ですが、ここで焦ってはいけません。内向的なひとの武器というのは何といいましても「執念深さ」であり、結果は後から必ず着いて来ます。ですから、認められなかったならばそれを肥やしにしてまた努力を続ければ良いのです。ここで決して焦る必要はありません。仮にそのときは先を越されたとしましても相手の中身は何時まで経っても空っぽなのですから、やがて五年、十年の先には放っておいても簡単に追い越してしまうことになります。
では、外向的なひとは五年、十年前と同じやり方がだんだん通用しなくなりますので、遅かれ早かれ何れこれに気付きます。ならば、その先は嫌でも自分の欠点を知り、それを克服する努力を強いられることになります。外向的なひとは切り替えが早いですから負けじとすぐに立ち直ります。
ですから、外向的であれ内向的であれ、順序が逆さまなだけで結果的には大差はなくどちらでも同じということになるわけです。

このように、我々は誰しも自分の欠点に悩み、世間には目一杯振り回されます。では、これに惑わされることなく正しい判断を下すためにはどうしても自分というものをしっかりと見詰めて踏ん張らなければなりません。ですが、最初に申し上げました通り、質問者さんが「本当の自分」というものに巡り会うのはまだ十年も二十年も先のことになります。これは外向的なひとにとっても全く同じことでして、先に実績を付けたからといって近道ができるというものでもありません。
では、本当の自分に巡り会うというのはいったいどういうことかと申しますと、それは自分がどういう人間であるかを知り、それを受け入れるということです。そして、自分を受け入れるということは自分の人生を受け入れるということです。ならば、我々はそこで自分の人生を受け入れるわけですから、果たしてそれまで自分が内向的であったか外向的であったかは最終的にどちらでも良いということになるわけです。
本当の自分を見付けるというのはこういうことです。ですから、内向的なひとは過去に拘っている限り自分の人生を受け入れることはできませんし、外向的なひとは過去を省みない限り自分を見付け出すことができないわけです。このため、それは誰にとってもたいへんに時間の掛かることですし、近道というものは一切ありません。
では、辛抱強く思慮深い内向的なひとがその利点を活かして判断を下すということは、それは長い目でものを見るということではないでしょうか。内向性の底力パワーといいますのは黙っていても必ず結果に辿り着きます。肝心なのは、欠点を見付けて言い訳をしないということです。そして、本当の自分を見付けるのはまだずっと先のことなのですから、外向的なひとにちょっと先を越されたからといって、質問者さんは決して焦る必要はないです。

この回答への補足

 もう一度読みました。
 (お礼の言葉ですが、都合で、補足の方で書かせていただきます。)
 
 勉強になりました。
 
 原因は、私自身の内向的な人への嫌悪感があると思います。
 内向的な人を見ていて、そのウジウジしている姿にや嫌悪感を感じていたのが原因だと思います。
 
 それをさらに考えれば、他人のいやな所は、実は自分の「隠したい欠点」であるのですよね。

 とにかく、ご回答者様の長文の回答・アドバイスは勉強になりました。
 ありがとうございました。

補足日時:2008/02/04 12:22
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この回答へのお礼

 くわしくありがとうございます。

 もう一度詳しく読んでから、また、ご返事するかも知れませんが、
取りあえず、今思ったのは、
「私が、何かの過去の体験で、内向的なタイプを嫌っているのではないか、」ということです。

 私自身の好き嫌いがあるのではないか、ということを思いました。

お礼日時:2008/02/02 21:32

でもないんですよ。

人間というのはおもしろいもので、
全米でトップのセールスを達成した人はとても内気で
ちょっと知恵遅れのように見える人でした。
人はペラペラ調子のいい人間をきちんと見分けます。
ただ、黙っていてなぜ分かってくれないんだというのは
間違っています。
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ご質問文では、


人間が生きる上で、他人に理解して貰うことが重要なのだから、
内向的人間が情熱があるにも関わらず表現が苦手だということで
それが無いように誤解されることは問題である。
というように読めます。
答えは、その情熱に基づいて様々な手段で自己表現しましょう。
になるのですが、その人がどこにポイントを置くかだと思うんですね。

情熱ややる気を持っていること。
誤解を受けやすいこと。
内向的か外向的かということ。
表現が苦手ということ。
人間の生き方とは何か。

内向的であることは、それ自身が悪いことでは無いでしょう。
誤解を受けやすいことと情熱とやる気は直接関係がないですよね。
外向的でも表現が苦手で何を言っているのか解らない人は沢山います。

このあたりのことを整理することと、
相手に「言わなくても解るでしょ」という期待をせずに
より具体的に表現することのように思います。
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この回答へのお礼

 整理整頓する必要がありますね。
 ありがとうございました。
 
 もう一度考えてから、また、書いてみるつもりです。

 ごていねいね、ご指摘ありがとうございました。

 心より感謝申し上げます。

お礼日時:2008/02/02 13:27

別に外交的な人だからといって誤解を受けない訳では無いですし、言葉が多かろうが少なかろうが真っ正直だろうが、適度に隠そうが、全部嘘だろうが、受ける時は受けるものです。



人は皆そうやって適度に摩擦を受けながら人生をすごしていっています。ということでアドバイスとしては○○だからというようなことを言い訳にしないことです。
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