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日本が第二次に参戦した初めに真珠湾攻撃でアメリカを敵にしてしまいましたが、真珠湾攻撃をしないてマレー、インドネシアへの侵攻だけにした場合、アメリカの参戦はありましたか? 聞くところによれば、当時アメリカの議会や国民は戦争に反対で、真珠湾攻撃はルーズベルトを喜ばせることになってしまったとか。もし、アメリカの参戦がなければ日本は第二次世界大戦で勝てたと思うのですが、いかがでしょうか。

A 回答 (15件中1~10件)

当時の常識で考えても、他国の油田に攻撃を仕掛けることは他国の植民地を攻めるも同義、いくら孤立主義のはびこるアメリカでも、開戦してくることは必定だと思います。


 せめてマレー産油田だけで戦争できないか考えるほうがましかもしれませんが、マレー産油田の当時の産出量を知りません。多分足りないから、インドネシア攻略を選んだんでしょう。あとサハリン油田の発見はいつでしたっけ?夏だけでも採掘できればだいぶ違ってくるでしょう。
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この回答へのお礼

皆様、ありがとうございました。日本がアメリカとの戦争を避けてイギリス、オランダ、中国とだけを相手にすれば日本が勝てるシナリオができないかと思ったのですが、考えが甘かったようです。
皆様からありがたいご回答をいただいたのですが、皆様にポイントをお出しできればいいのですが、それはできず、また2人だけを選ぶのが大変難しいので、今回はポイント無しでお許しください。

お礼日時:2008/02/20 01:56

>#6さんのご回答にもあるように、ルーズベルトは国民に支持されるために戦争回避の姿勢を取らざるを得なかったと聞いておりますが。



いや、だから、さもルーズベルトが戦争を望んでいた(したがっていた)という根拠は何かあるのですか?

確かに、ルーズベルトは対日姿勢は、「戦争も辞さず」という強い強硬姿勢でした。
しかし、それと「戦争をしたがる」とは全く違うものです。

ドイツ、イタリアの対米宣戦も向こうからですし、ルーズベルトが戦争をしたがっていたと思われる資料は存在しません。

この回答への補足

ちょっと言葉足らずでした。喜ばせたという表現はぼくの想像にすぎません。ここらへんの表現はとくに気にしないでください。

補足日時:2008/02/14 23:33
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この回答へのお礼

ぼくもしりません。しりたいくらいです。

お礼日時:2008/02/14 23:29

アメリカの参戦がなければ有利な条件で停戦にもちこめたかもしれませんが、参戦を防ぐことは難しかったと思います。



アメリカと戦いたくないのは日本だけで、ABCD包囲網のうちBCDはアメリカの参戦を強く願っていました。

アメリカも、国民としては他地域の戦争へ干渉したくない気分が優勢だったようですが、アメリカ政府は必ずしもそんなことはなかったでしょう。

ヨーロッパはドイツよりも友邦国であるイギリスに支配させた方が国益に繫がるし、海外植民地の少ないアメリカにとっては、中国は最後に残された目標だったにも関わらず日本が切り取ろうとしていました。

アメリカ政府も、他の連合国政府も、なんとかアメリカを戦争に加担させたかった状況です。

日本とドイツは基本的に連合国とは敵対関係にありましたから、外交力で連合国とアメリカの中を裂ける立場になかったでしょうし、結局はアメリカ国民が納得する口実を探し続けていた結果、真珠湾奇襲という願ってもない事件が発生したので、真珠湾がなくても無理難題を日本にふっかけて参戦する口実を見つけていたと思います。
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 アメリカの参戦がなければ、アメリカの一人勝ちです。



 第一次世界大戦以後、戦争と言うのは総力戦・経済戦となり、単に「戦闘で勝つ」ことが国家としての勝利を意味しなくなりました。

 日本がアメリカと妥協しながら、中国での戦闘を続けた場合、アメリカは中国に対して軍需品を供給しながら、日本とも貿易を続けることとなり、日本・中国がアメリカから物資をどんどん輸入しながら、お互いにそれを使って戦闘し破壊しあうことになります。

 つまり、アメリカが作ったものを日本と中国はどんどん消費するだけ、アメリカが大儲け、一人勝ちとなります。

<参考>
 日本の開戦の事情については、真珠湾攻撃前の日本の総合的状況を良知る必要があります。

 昭和にはいって、政治と軍事を統合する視野を欠いたまま、日本は中国を経済圏とするために軍事行動を取ったわけですが、満州事変と支那事変(日華事変・日中戦争)とではかなり性格を異にしています。

・満州事変
 「石原莞爾」という特異な才能の元で、演出されました。

 当時の政府・参謀本部ともに「満州では、張学良と極力事を構えない。」方針でした。(満州の軍閥、張学良の兵力は、満州に駐留している日本軍の10倍あるといわれていたからです。)
 ところが、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめ、満州を占領してしまったのです。
 この大戦果に、参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。(ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となりました。)

 その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。

 石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。

・支那事変(日華事変・日中戦争)
 石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう現地にまで出かけていって戦闘中止の説得に勤めたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される結果となりました。
 その後も、戦線が泥沼化することを予見して、石原は不拡大方針を唱え戦線の拡大を抑えようとしましたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷され、支那事変は継続していきます。

 日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしいのですが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。

・満州事変の性格と支那事変の性格
 高校の日本史の資料・年表程度のものに目を通せば、その実態が分かります。

 満州事変(1931年)当時の日本陸軍の総兵力は45万程度で、「電撃戦での勝利」であったため、兵力・日本経済には大きな影響を与えていません。

 支那事変が、1937年7月に起こり、在留邦人保護と言う名目で継続され、1941年12月には、真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦いに入っていくのですが、それらの時点での主な統計数字を見れば実態が見えてきます。

 真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字なのです。
 子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が平時の状態を維持できるはずもありません。

 これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。
 さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。

 つまり、アメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。

 政治が「軍」をコントロールしていれば、工業生産力を低下させてまで長期に戦いを続けることは考えられません。国益に明らかに反していて、無意味な消耗ですから。

 この状況で、アメリカが日本に対する石油禁輸(当時、日本の工業エネルギーは石炭で支えられており、石油は高性能機械の燃料として主に使われていました。つまり、高性能機械=軍艦・飛行機で石油消費の半分は日本軍の動力源として使われていました。)を行なったので、中国との戦いを継続するためには、インドネシアの石油が必要と考え、東南アジアに侵攻するために、事前にアメリカの戦力をたたいておく事となったのです。
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ANo.7です。

議論をふっかけにきたのかえ?

>アメリカはヨーロッパでフランスやイギリスが負けているのを傍観していたのに、アジアに介入するものでしょうか?

傍観していたらアカンということになって、何とか介入の糸口を見つけたかったわけ。
アメリカの求める新天地は黒船以降アジアだったんです。ハワイ、フィリピン、中国・・・。持てる国のくせにアメリカは貪欲だったですよ。今でもそうだけれども。
そこへチョンマゲの取れた生意気な日本がのし上がってきたので、こりゃいかんとなったわけ。
ここのところがわかっていない人にはちと難しいかな。

>日本だけでは不可能と思いますが、・・・・。
あったり前でしょう。以下の御礼?質問?意味不明、本質問との論理不整合につき無視させてもらいます。
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この回答へのお礼

どうやら、まともに回答する意志も能力もお持ちではないようで、、、

お礼日時:2008/02/14 14:33

 真珠湾を攻撃し邸なくてもアメリカとの戦争は避けれなかったでしょう。

但し、攻撃をマレーー半島、インド根氏や、フイリッピンあたりで留めておけばその地域だけでの「限定戦争」で講和に持ち込めた可能性はあったと思います。 それでも中国大陸を巡る権益の問題では、日本が相当の譲歩をしなければならなかったでしょう。
 日本が、満州での権益保証に留め、中国大陸からの撤退をすれば、敗戦の憂き目を見ることなく解決がつけられたかもしれません。
 もう一面、緒戦の真珠湾攻撃を中途半端な空機での爆撃に留めず、艦隊が長期間その場にとどまり、アメリカの航空母艦群まで壊滅させておけば、ミッドウエー、ガタルカナルでの敗戦はなかっただろうし、優位のままで講和に持ち込めた可能性もあります。惜しむらくは戦力的には圧倒的に優位であったにも拘らず、それを活かせず、中途半端な戦術を取った山本五十六以下の海軍指導部の「へっぴり腰」にあったと思われます。 
 アメリカという国柄、その後の朝鮮戦争・ベトナム戦争、諸々の中東戦争で、日本を無条件降伏させたほどの完勝は一度もありません。一に戦略・戦術の誤りにあったと思われます。一に日本の戦略・戦術の誤りにあったと私は考えています。工業生産力・物量の差は、始めからわかっていたことです。
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英・・蘭が宣戦布告したでしょうね。


しかし
ABCD包囲網・・Aも参戦してきたでしょうね。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
イギリス、オランダとの戦争は避けられないと思いますが、この質問の主題はアメリカに総力戦をさせなければ日本は勝てたのではないかということです。

お礼日時:2008/02/14 01:02

私のヨーロッパの尊敬する友人が、日本はあの時真珠湾など攻撃せずに、何故ソ連を攻撃しなかったのかと不思議がっていました。

あの時ソ連を攻撃していれば、ソ連はドイツと日本の挟み撃ちに会い、ドイツがソ連に勝っていただろう。そうなれば米国は参戦の機会を失い、そして英国はドイツの支配下に入いる。その結果、ドイツを頂点にするヨーロッパ、日本を頂点にする東および東南アジア・オセアニア、米国を頂点とする南北アメリカの三極安定覇権が確立し、米国もそれに満足したはずだ、と言う意見です。

私がソ連との不戦条約を理由にしたら、その友人に嘲笑されました。もう一つの理由は、その当時の日本の指導者層が飛ぶ鳥を落とすドイツの常勝に魅惑され、ヨーロッパをドイツに任せておけば良いと判断を誤ったのではないでしょうか。

因に、日本海軍にインド洋の制海権を握られて喉頸を握られた英国軍の将軍がその援助を本国に求めた時に、「先ずはドイツに勝つことだ。それに勝てたら、日本は自滅する。しかし、その反対はあり得ない。だから、そちらに援軍は送れない。諸君は英国を救うために日本軍に敗れても、それを我慢してくれ。」との趣旨をチャーチルはインド方面の英国軍に打電しています。

欧米の戦場では兵士の30%が死ぬと降伏をすることが統計的に出ておりますが、日本兵はその90%が死ぬまで降伏をしませんでした。別な言い方をすると、日本軍は兵士の数の3倍の兵力を持っていたことになります。それほど底力のある途轍もない日本兵を擁しても、英国の宰相の能力には敵わなかったようです。

今の世の中、小泉、安倍、福田と続いた親掛かり??代目の日本の指導者の能力は、国民を滅ぼすか、国民を安泰にするか、どちらなのでしょうか。
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(1)真珠湾攻撃をしなくても、アメリカは参戦したと思います。


第二次大戦に参加しないと枢軸国の天下になってしまって、アメリカは孤立してしまい、ジリ貧になる。
だから、ハルノートが最後通牒かどうかは知りませんが、参戦したでしょう。

(2)アメリカの参戦がなければ、日本は勝てました。
でも、勝ち方は相手を降伏させるノックアウト勝ちではなく、日清、日露と同じような、有利な条件で講和する判定勝ち。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

> (1)真珠湾攻撃をしなくても、アメリカは参戦したと思います。
> 第二次大戦に参加しないと枢軸国の天下になってしまって、アメリカは孤立してしまい、ジリ貧になる。
> だから、ハルノートが最後通牒かどうかは知りませんが、参戦したでしょう。

アメリカはヨーロッパでフランスやイギリスが負けているのを傍観していたのに、アジアに介入するものでしょうか?

> (2)アメリカの参戦がなければ、日本は勝てました。
> でも、勝ち方は相手を降伏させるノックアウト勝ちではなく、日清、日露と同じような、有利な条件で講和する判定勝ち。

日本だけでは不可能と思いますが、アメリカの介入がなければドイツが勝ってくれたのではありませんか? そうなれば日本は戦勝国の一員となれたのではありませんか?

お礼日時:2008/02/14 00:54

>聞くところによれば、当時アメリカの議会や国民は戦争に反対で


ルーズヴェルトは大統領選挙で、若者たちを戦地へ送らない、すなわちヨーロッパの戦争には介入しないことを公約して当選しています。
議会も戦争につながる法案には反対の声が強かったようです。志願兵役制から義務兵役制に切り替える法案など、たなざらしにされていました。
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