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こんにちは。
私は仏教徒なのですが,キリスト教について素朴な疑問がいくつかあります。

1.キリスト教徒は我々異教徒をどう思っているのか?(信じるものは救われると言いますが,信じないものは救われず地獄に落ちると考えているのか?)
2.キリスト教徒と異教徒は死後同じ天国で再会できないのか?
3.ペットとは同じ天国にいけるのか?

よろしくお願いします。

A 回答 (7件)

他の方も指摘されていますが、キリスト教の「天国・煉獄・地獄」というのはイメージでしかなく、実際に「あの世」という明確な世界があるわけではありません。


まぁ、言ってしまえば「最後の審判の時まで、魂をストックしておくところ」が「あの世」と言うことでしょうか。

で、その「最後の審判」の時に「天国」と呼ばれるところに「ストック」された「魂」は「肉体を持って復活」した後に「神の国に招き入れられる」事が約束されている人々です。
「煉獄」は「生きていたときの罪を清める所」で、この「清めの度合い」によって「最後の審判」の時に「判決」が下り、「復活出来るモノ・復活できないモノ」とに分けられます。
「地獄」にストックされた「魂」は、永遠に復活出来ないことが確定した人たちです。
もちろん、その「罪科」によって相応の「呵責」を永遠に受け続けます。

もちろん、こうした「振り分け」されるのは「洗礼」を受けたキリスト者だけであり、異教徒は含まれません。
そして、異教徒は地獄の周りにある「辺獄」という所にストックされます。
ただ、他の地獄に堕ちた魂と違い、「呵責」はありません。
永遠に「希望も無く」存在し続けます。


・・・と、ココまではダンテの『神曲』のイメージでの説明です。
もちろん、宗派によって解釈は変りますが、「カトリック・キリスト教」でのイメージは、ダンテの『神曲』で決定づけられたと言われていますので、カトリックでは基礎となるイメージでしょうね。


>2.キリスト教徒と異教徒は死後同じ天国で再会できないのか?

ダンテの『神曲』を読むと、基本的には無理ですね。
ただ、ベアトリーチェの名を受け神の許しを得た異教徒である(当然地獄の辺獄におかれている)ウェギリウスがダンテの道案内に立ち地獄~天国までいきますので、「神の許し」があれば可能かもしれません。

>3.ペットとは同じ天国にいけるのか?

これは、ダンテの『神曲』にも出てきませんので分かりませんね。
まぁ、日本の法律でもペットは「モノ」扱いですし、無理かも??

汎神論者の私は、「全ての魂は自然に帰る」と思ってますけどね。
なんで、ダンテの『神曲』もキリスト教の天国・地獄も、仏教の極楽浄土も、学術的・文学的興味しかありませんね。
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この回答へのお礼

みなさまご回答ありがとうございました。
本日教会を訪れ,牧師さんに直接いろいろお話を伺ってきました。
納得した点もあれば新たに疑問が生まれてきた点もあります。
また続けて勉強してみたいと思います。

お礼日時:2008/02/27 16:56

1.キリスト教では、最後の審判というものを信じています。



死んだイエスがまた蘇ったというのが、信仰の本髄で、イエスは神だったから死んでも蘇ったとし、再度降臨すると信じられており、今度降臨するときは、審判のためにやってくる と信じられているんです。

ハルマゲドンとも言われ、2000年ほど前に、ユダヤ教の一派に神同士が最終戦争をし、良い方の神軍団が、悪い方の神軍団と戦い最終的に勝利し、悪い方の神々を全滅させることで、この世は良い神が統治する世界となる と信じている派閥がいました。
それが後にキリスト教になったんだと思います。

この話になった理由は彼らがバビロニアに捕囚されていた時代があったから。

バビロニアの神話では、アプスーとティアマトという神々が最初にいて、ティアマトは沢山の神々を生み出した。
沢山の神々を生み出したため、うるさくなったんです。
それでアプスーはこれじゃあ 安息できないと苦しみ、アプスとティアマト以外に原始の神がいて、、、、名前忘れました。笑 誰かが安息日が欲しければ、神々を殺してしまえばいいと教えたんですね。

それでアプスーはティアマトにその話をすると、ティアマトは自分が生み出した神々を殺すなんて、できない として反対した。
そして息子のエアーにそのことを話したため、殺されてなるものかとエアーが父アプスーを殺したんだったと思います。

息子による父親殺しの物語の原型がここにあるんですね。

で、父親殺しに成功して傲慢になったエアは、自分達を殺さないようにとエアに言ったティアマトに最高地位を下りて自分にくれ って言ったんです。
ティアマトは夫であり彼らの父であるアプスーを殺したあげくに、最高地位を欲しがったエアに怒りを感じて、そのことをつげにきた使いのものをつるし上げ、辱めた後、殺して返却したんです。
(これがイエスの磔刑の原型)

で、神々は創造主 全ての神々を生み出したティアマトの力の恐れをなしたのですが、マルヅゥックだけは違った。
創造主に反逆したんです。

天の国は、ティアマト派とマルドゥック派の真っ二つに分かれ、大戦争したんです。
その時、あらゆるものを創造できる力を持つティアマトは神獣を生み出して、マルドゥック派を蹴散らした。
この神獣がリバイアサン(レビアタン)として、聖書に載っていると思います。
(後に聖書ではティアマトはつぎつぎ悪い獣を生み出す悪魔とされてしまったようですが)

で、神獣により蹴散らされたマルドゥク派でしたが、一騎打ちすることにして、ティアマトが口を明けたときに、暴風を起こして、ティアマトが口を閉じれないようにし、その口に矢を射て、ティアマトを殺してしまったんです。

全てのものを創造した母殺しがの物語がこの原型。

で、マルドゥックは、ティアマトの肉体を八つ裂きにして、大地を作った。
始源二人を倒した大戦争で勝利した、善(悪じゃないの?)の神の軍団は、自分達は神々を統治するに忙しいから、生活の世話をする召使が筆ようだと、マルドルックに言い、マルドルックは他の神々の要望を聞き入れ、ティアマト側にいたキングーを殺してその血で人間を作った。

人間は神々の僕であるという法律を作り、人間がそれを忘れないように、虹を作った。
人間は虹を見るたびに、自分達の主人は神々だということをしっかりと思い出し、決して神々に逆らわないようにした。

つまりマルドックたちの時代には、上のものに逆らわないという法律がなかったため、上のものを倒したわけですが、人間に自分達がやったことと同じことをさせないように、法律を作って安泰になった ってわけですね。

これらストーリーが原型ですので、、、、
地獄とはこの地球の大地のことという捉え方もできますし、神々そのものが、邪悪な神々で、そうとは知らず、キリスト教徒は邪悪な神々に契約により忠誠を誓ったとも言えるわけです。

で、グノーシス派では、神は低い神で、本当の神は別にいる 自分達はこの低俗な神によって閉じ込められている と考え、正統派を自称するキリスト教側に異端とされ迫害されたんです。

何を一体信じるんでしょうね?
真理を知ることができない人間が、何かを真理の神としたところで、所詮 大いなる間違いってこともありえるわけです。
神々を倒した自分達は正しい。 
それは勝った側が言う正義にしかすぎないわけです。
神殺し 父親殺しは正しいことだった という勝った側でのみ通じる正義。 
真理じゃあない。


2.そもそもイエスは「天の国は来た」と言っている。
キリスト教側は将来来ると言っている。
そこでイエスとキリスト教側で見解がまっぷたつに分かれているわけです。
キリスト側は自分達が正しいとして、イエスの言うことを信じないわけです。
彼らはは沢山の神々で構成されている天の国の召使で、彼らの最高神の名前はマルドウゥック。
そして神と人間は違うと虹の契約があるので、彼らが神の国に入ることは絶対に 無 い 。
契約により不可能なんですね。

異教徒はそういう信仰はしていませんので、そういう世界も存在せず、死後マルドックの住む世界に住みたいなんて思わないんです。


3.聖書では「死んで人間が天に登り、動物が地に下るなんて、どうして言えよう。人間も動物も変わりは無い」と述べております。


結構 面白いでしょ?
また古いものを取り出して、それによって新しいものを解剖しちゃった。

人の思想は古いものをベースに変化させて、新しいものを作っているんですね。
哲学ってやつでしょうか。
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天国や地獄に関して、仏教は、キリスト教異常に混乱しています。


死後どうなるのかは、キリスト教が一定の考え方でまとまっているのにたいし、仏教では、「阿弥陀系のように天国に行く」とする考え方もありますし、「上座仏教のように、輪廻転生をする」と考える考え方もあります。
さらに密教系、禅宗系でも考え方が異なります。

質問者が、仏教徒でありながら、これらの矛盾を全く感じないように、一般のキリスト教徒もそのような事は、通常考えません。
そのため、明確な教義はありませんから、完全な答えなどあるはずがありません。
同じ質問を、お寺のお坊さんにしてみてください。
創価学会の人、曹洞宗の人、密教系の人、タイのお坊さん、それぞれが別々の答えを出すでしょう。
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この質問って実は仏教にも当てはまります。


仏教的に解脱しないとずーと生まれ変わりつづけて苦しむそうです。
時には地獄に行ったりするそうです
すると仏教徒、それも解脱した人以外は、駄目なわけです。
質問者様は仏教徒だそうですが、

今の時代、本気でそう思っていますか?
それが考えるきっかけになりませんでしょうか。
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1)異教徒は神の恩寵を受けません。

もちろん地獄に行きますが、
キリスト教徒だから天国に行くわけではありません。このことは
イエス自身もパウロも繰り返し言っていることです。天の御国に
行ける人間は少ないのです。

2)1.のとおりです。そもそも仏教徒には天国などはありません。

3)1.のとおりです。ペットが悔い改めるとは思えません。
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>>1.キリスト教徒は我々異教徒をどう思っているのか?(信じるものは救われると言いますが,信じないものは救われず地獄に落ちると考えているのか?)



そうだと思います。異教徒は救われないという考え方だと思えます。

>>2.キリスト教徒と異教徒は死後同じ天国で再会できないのか?

そういう考え方でしょう。

>>3.ペットとは同じ天国にいけるのか?

ペットについては何も語られていないと思います。昔は(今でも?)人間の子供でも食事不十分な生活ですから、ペットについての教えが無いのも当然だと思います。


まあ、2000年以上も古い時代の教えです。時代を経ても変わらぬ愛の教えもありますが、質問者さんの抱くような疑問を生じさせる教義上の欠陥は沢山あります。でも、時代特有の問題への対応が無くても、これはどうしようもないことでしょう。キリスト教の欠陥とか落ち度と責めるのはかわいそうです。

世界の多くの宗教は根源の存在から派生しています。人間にわかりやすいように地域性や時代性に合わせて、一部の教えを強調したり、時代に合う部分を強めたり、経済力・知性レベルに合わせて、現実レベルでは、さまざまな教えを持つ宗教に分派しているそうですよ。


ちなみに、ペットになれる動物はかなり進化しているそうです。野良の犬や猫ちゃんは、集団としての猫霊団・犬霊団に戻るのですが、ペットの犬や猫ちゃんは、死後も個性を持って生きているそうです。当然、幸福に生きたペットはいいのですが、家庭の事情等で処分されたペットは、やはり人間嫌いの傾向が残るようですね。

それから、自分が地獄行きだとペットに会えませんが、天国にいけた場合、自分の飼っていたペットに再会は可能なようです。友人は、霊体質なので、あの世の話を聞きますが、「私の飼っていた猫の○○ちゃんと昨夜遊んだよ。そして、いろいろお話した。」って言っています。

私自身はペットを飼っていませんが、猫は好きなので、それに巻き込まれているらしく、あの世にて(就寝中は、生きている人間も霊界に戻るので)猫たちは「あいつの使っているPCの上にのっかると、困った顔をするけど、喜んでいるらしいぜ。人間が喜ぶと俺らも嬉しいから、時々じゃましてやろう。」なんて悪い?相談をしているようです。(どうも私は、霊界でもPCを使っているようだ・・・)
私たちは、「猫にえさやる」って感覚ですが、猫ちゃんたちは、「ここにいると、人間が食べ物をもってくるんだぜ。やっと人間を躾けることができたな」って発想みたいです。猫のほうが主人なんですねえ・・・。
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キリスト教には、天国も地獄もありません。



絵画や芸術作品にある天国は、あくまでもイメージです。
亡くなって、天使のように背中に羽をつけ、頭に輪っかがついているのも、単なるイメージです。
人が亡くなって、行くところはありません。
キリストが復活たその時に、この世が天国となるのです。

つまり、天国は死んでいくところではなく、この世なのです。

小室直樹著 日本人のための宗教原論の初めの部分を立ち読みでもしてみてください。
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