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(あ) ナザレのひと・イエスは ヨセフという父親とマリアという母親とから――むろんその交渉をつうじて――生まれたふつうの一人の人間であったわけですが 自身はそうであると同時に(つまり 人間であると同時に) 神の子でありみづからも神であると言ったのです。――これが ひとつのウソです。

 (い) もっともこのウソのからくりについて 人びとが納得の行くように説明することも出来ます。
 つまりは 何のことはない 例のブッダター(仏性)というあれです。アートマン(霊我)でもよいわけです。この神の霊が 人間にはやどっているといった・人びとの常識にまで成った想定の話を少し拡大して イエスは 《わたしが その神の霊である。つまり ブッダターである。つまり アートマンである》と言ったわけです。

 (う) すなわち ふつうは人は 神の霊であるアートマンやブッダターなる霊を わが身と心とにやどす・つまりそれは 分有するということなのですが イエスの場合は 分有ではなく 自分がその神の霊そのものであると言ったのです。

 (え) すなわち イエスはふつうの人間であると同時に その身と心〔と非思考の庭〕とで百パーセントが神の霊であると言いました。――これが 第一のウソです。




 (お)第二のウソは 神は どんな名であろうと みなまとめて ただひとつであると言いました。それには ひとつの手法として 十字架にハリツケになって そのまま去って行くというかたちを採った。これによって 神という神は すべてひとつであることが 確認された。

 (か) なぜなら 神である(=キリストである)イエスが その十字架上から もしおまえが神の子なら降りて来いとなじられても 降りて行かなかった。降りて行ったなら それは おまえが神であるから出来たことだ 神の奇蹟などは おれたちにはお呼びではないと人びとは思い言い合って おしまいになる。ゆえに 奇蹟を起こさなかった。

 (き) またもしただ人間としてハリツケに遭って死んだというだけなら それは せいぜいよくやったな がんばったぢゃないか おまえのことは覚えておいてやるから 往生しーやと言われておしまいである。そうではなく 神がハリツケにされたのである。と語ったわけである。これが 第二のウソだ。



 (く) このウソによれば 人びとは 笑おうが泣こうが とにもかくにも 元気が出る。ハリツケのイエス・キリストを見れば――《特異点》を見た思いである―― ひとは元気を取り戻す。ということになっちゃった。――これがウソの効用。

 (け) しかも やがては 名の違う神どうしの――または同じ名の神どうしでもの――ケンカは もう用無しとなるはずである。みな われがわれに還る。そのために 大嘘をついた。イエスという男。
  宗教のオシヘは――《無い神》という名の神を奉じる無神論なるオシへについても―― どうでもよい。のです。普遍神をさししめした。

質問者からの補足コメント

  • ご回答をありがとうございました。

     お礼欄をおぎないます。
     ☆☆(№12お礼欄 末尾から三つ目の段落) ~~~~~~~~~~
     賛同者がいくら出ても その非知なるナゾは じつはその多数の主観どうしにおいて互いに同じ神であるかどうかは ついぞ分かりません。検証のしようがないのです。つねに ナゾにとどまります。
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
     ☆ もしここで《ナゾとしては 共通であるではないか?》と問い返されたら こう答えます。
     《その共通なるナゾこそが 非知なる普遍神なのです》と。

     つまり 普遍神のもとでは 少数派工作は効かないですし オシへではないので分派することはあり得ません。
     
     これをイエスがつたえようとしました。

    No.12の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/03 10:25
  • プンプン

    (№23お礼欄よりつづく)

     ★ パウロの言葉を信じてキリスト教徒になるか、それとも、
     ☆ つまり《わが心に〈非思考において〉受け容れる――信じる――》のは 普遍神のみ。

     パウロは 《宣教という愚かな手段》を用いただけです。

     ★ そんな「新しい契約=新約」
     ☆ エレミヤ書の聖句を無視している。これが ネツゾウとしての出べそ。

     あんた クリスチャンでもなければ 聖書を信頼してもいない。な。

     引用箇所にしても こちらの説明にしても 省エネ投法です。あしからず。

    No.23の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/07 08:53
  • №26のお礼欄への書き込みが 消えています。

     ふたたび書き込もうとすると エラーが発生したと出ます。

     戸惑い中。

    No.26の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/11/08 06:41
  • 回答№26へのお応えです。

         *

     すべて 出べそ発言です。


     ☆☆(№25お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~
      №24で問うた(あ)と(う)の問いが まだ答えられていません。
      ★ わたしの解釈や翻訳がねつ造だというんでしょう?
      ☆ そのとおりです。
      ♪負けてくやしい はないちもんめ♪ の歌をうたっているようですから もうそうっとしておいて欲しいということですか?
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


     ご回答をありがとうございます。

      補足日時:2015/11/08 06:46

A 回答 (29件中1~10件)

(ん) 信じるモノは、救われる。

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この回答へのお礼

《ウソ》を信じるのではなく 《普遍神》をなのでしょうが 
 
 ただし 普遍神を信じるというときには 注意することがあると思います。

 じつは その《無条件に心に受け容れる》という意志行為――これが 信じる――をおこなうことはそれを

 そのナゾの普遍神のほうから与えられる という仕組みになっている。霊の問題なのですから。
 
 そうでなければ 普遍神の霊ではなく ただ神という名をつけたものとして人間の思考や想像の産物であるとなります。

 人間が勝手に神をこしらえ これを《信じる つまりこの場合には 思考やその思念において堅く思い込む》といったお遊びにしかなりません。

 と見られます。

 ですから
 ★ (ん) 信じるモノは、救われる。
 ☆ という命題に どこまでそのまま行き着いていてよいか。なお 少しのうたがいが残るのではないでしょうか。

 どうでしょうか。

 ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2015/11/02 05:33

>あ) 次の翻訳が 互いに異なります。



わたしの翻訳があなたの聖書の句のコピペと違うから
>イエスが 自分は神の子でありみづからも神であると言った》
の根拠になるとは思えませんが?

で、あなたとしてはイエスは自分は神の子であり、神であると言ったと思ってるの?思ってないの?
どっちなの?
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この回答へのお礼

むろん №9のお礼欄ですよ。



 ☆☆(№24お礼欄) ~~~~~~
 (あ) 次の翻訳が 互いに異なります。

 ★ (ヨハネ福音 14:25-26) ~~~~
 わたしが今、話してきたことはすべてずっとあなた方とともに残る。
 だが、カウンセラー、聖なる精神が神によりわたしの名前が広がる時代において
 この地上に生まれてくる。
 その人が私の話したすべての意味をあなた方に教えさとしてくれるだろう。

 ▲ (同上) ~~~~~
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c

 25 Ταῦτα  λελάληκα  ὑμῖν  παρ᾽  ὑμῖν  μένων  わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
 26 ὁ  δὲ  παράκλητος                しかし、弁護者  
  τὸ  πνεῦμα τὸ  ἅγιον               すなわち
  ὃ  πέμψει  ὁ  πατὴρ  ἐν  τῷ  ὀνόματί  μου  父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が
   ἐκεῖνος  ὑμᾶς διδάξει  πάντα           あなたがたにすべてのことを教え
  καὶ  ὑπομνήσει  ὑμᾶς  πάντα  ἃ  εἶπον  ὑμῖν  わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
 
 ~~~~~~

 (い) イエスが 隅の親石であることについては:
 ▲ (ペテロの手紙一 2-4) 主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

 (う) 次の《イエス》は ネツゾウです。
 ★ (イザヤ書 28:15) 俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2015/11/08 21:57

> 最初の《イエスが 自分は神の子でありみづからも神であると言った》の疑問からしてきちんとこちらは聖句を示して反駁しています。



どこに?

どう示しているの?

あなたの言ってることは、最初から最後まであなたの「主観」とキリスト教本からのコピペでしょ?
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この回答へのお礼

むろん №9のお礼欄ですよ。

 ☆☆(№24お礼欄) ~~~~~~
 (あ) 次の翻訳が 互いに異なります。

 ★ (ヨハネ福音 14:25-26) ~~~~
 わたしが今、話してきたことはすべてずっとあなた方とともに残る。
 だが、カウンセラー、聖なる精神が神によりわたしの名前が広がる時代において
 この地上に生まれてくる。
 その人が私の話したすべての意味をあなた方に教えさとしてくれるだろう。

 ▲ (同上) ~~~~~
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c

 25 Ταῦτα  λελάληκα  ὑμῖν  παρ᾽  ὑμῖν  μένων  わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
 26 ὁ  δὲ  παράκλητος                しかし、弁護者  
  τὸ  πνεῦμα τὸ  ἅγιον               すなわち
  ὃ  πέμψει  ὁ  πατὴρ  ἐν  τῷ  ὀνόματί  μου  父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が
   ἐκεῖνος  ὑμᾶς διδάξει  πάντα           あなたがたにすべてのことを教え
  καὶ  ὑπομνήσει  ὑμᾶς  πάντα  ἃ  εἶπον  ὑμῖν  わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
 
 ~~~~~~

 (い) イエスが 隅の親石であることについては:
 ▲ (ペテロの手紙一 2-4) 主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

 (う) 次の《イエス》は ネツゾウです。
 ★ (イザヤ書 28:15) 俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2015/11/08 20:49

何度も言いますが、わたしの翻訳や解釈が間違っていたら、


聖書の論拠は示せないんです。

筋が通ってる、意味内容が合致する、聖書の主旨内容に沿っているからこそ、
わたしはいくらでも聖書の文章を引用できます。

ここにも書いてあるし、あそこにも書いてあるってね。
あなたやキリスト教徒達のように、ほんの一部だけを取り出して、
『こんな意味なんですよ、この句の部分は』などと出まかせは書きません。

終始一貫して、本全体の「主旨=テーマ」を理解しているので
どこに何が書いてあって、どういう内容なのか知っているので、
章全体でもつじつまが合うんですよ。

あなたの目隠し発言もさることながら、キリスト教の聖書解釈本は
どれも「つじつま」は合いません。

むろん、キリスト教以外の聖書解釈本とて似たようなものですが、
それでもなぜ、キリスト教徒が旧約と新約聖書を分け、自分達の経典を新約聖書に絞ったのか、
というと、
何もイエスが登場する、しない部分だからというだけでなく、
自分達の解釈が旧約聖書では「つじつま」が合わなくなるからです。

むろん、キリスト教以外のユダヤ教や、エホバのようなカルト宗教などは逆に新約聖書では
自分達の解釈とのつじつまが合わなくなる。

まったくつじつまが合わなくなるからと、
逆に聖書とはかけ離れ、都合のいいところだけまねっこして勝手に自分達の解釈満載の聖書をこさえてしまったイスラム教などもそうです。

意味を理解していない人がいくら聖書をこねくりまわしたところで、
嘘や出まかせの解釈しかできないようになってるんです、その本は。

だから、いくらあなたが頑張って読んでも無駄だと思いますよ。
知識で読むものじゃないから、その本は。
それも何度も言いました。
いくらキリスト教の本を読みあさっても、いくらヘブライ語やギリシャ語を駆使しようとも、
意味=心がわかんなかったら、本などただの紙の束です。

作者の意図、心、何が言いたいのかを知らなければ
意味はない。

それだけのことです。

だから、あなたの解釈は出まかせだと、聖書が証明してくれるんです。
なので、わたしはあなたの解釈の嘘の部分を聖書で反証しました。
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この回答へのお礼

★ なので、わたしはあなたの解釈の嘘の部分を聖書で反証しました。
 ☆ 《それは 出べそだから マチガイである》という方式で《反証》し続けています。

 最初の《イエスが 自分は神の子でありみづからも神であると言った》の疑問からして
 きちんとこちらは聖句を示して反駁しています。

 ☆☆(№24お礼欄) ~~~~~~
 (あ) 次の翻訳が 互いに異なります。

 ★ (ヨハネ福音 14:25-26) ~~~~
 わたしが今、話してきたことはすべてずっとあなた方とともに残る。
 だが、カウンセラー、聖なる精神が神によりわたしの名前が広がる時代において
 この地上に生まれてくる。
 その人が私の話したすべての意味をあなた方に教えさとしてくれるだろう。

 ▲ (同上) ~~~~~
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c

 25 Ταῦτα  λελάληκα  ὑμῖν  παρ᾽  ὑμῖν  μένων  わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
 26 ὁ  δὲ  παράκλητος                しかし、弁護者  
  τὸ  πνεῦμα τὸ  ἅγιον               すなわち
  ὃ  πέμψει  ὁ  πατὴρ  ἐν  τῷ  ὀνόματί  μου  父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が
   ἐκεῖνος  ὑμᾶς διδάξει  πάντα           あなたがたにすべてのことを教え
  καὶ  ὑπομνήσει  ὑμᾶς  πάντα  ἃ  εἶπον  ὑμῖν  わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
 
 ~~~~~~

 (い) イエスが 隅の親石であることについては:
 ▲ (ペテロの手紙一 2-4) 主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

 (う) 次の《イエス》は ネツゾウです。
 ★ (イザヤ書 28:15) 俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

お礼日時:2015/11/08 09:55

>冗談でしょう。

イエスの大嘘だとか
>【Q:イエスが なぜキリストか。あわせて 宗教の解体について。】や
>【Q:ローマ教会の欺瞞は 信者の共犯。人類の連帯責任。】といったことを 
>《キリスト教徒》が言うワケないでしょう

でも、キリスト教が好きなんでしょう?
その話もよく読むのよね。ペテロの手紙とか、パウロの言葉とか。
好き好んでその言葉を選ぶのは、本音は信じているからでしょう。
でも、向こうはあなたを相手にしない。だから、嫉妬して反発してわざとま逆の誹謗中傷を繰り返す。
それだけのことでしょう。
でも、あなたの解釈はまさしくキリスト教徒だもの。

それが基礎になってるのは丸わかりだから、反証ができない。
あなたの質問のすべてはキリスト教の組織内の話でしかないから。
その宗教外部の人間にはまったく興味もわかなければ、意味もない話ばかりなんじゃないですか?

>★ ペテロがイエスにとって最も裏切り者です。そのペテロが真実を語れるわけがありません。
>☆ これは イエスが十字架上に去って行くまでのあいだ 弟子たちは 目隠しをされていたのです。

そんなことは一言もイエスは語ってませんが?
それに、彼が鶏が三度鳴く前に自分を裏切るだろうという話はとても有名です。
キリスト教徒でなくても一度は聞いたことのある話だし、
聖書にイエス自身が語ったと弟子のマタイの証言として載っていますが?
それも嘘だと?

あなたの言うような、目隠しの話なんて一つも書かれていませんが?
それもあなたの勝手な解釈ですよね?
キリスト教徒でもあなたの解釈は知らないと思いますよ。
根拠がなさすぎます。

つまり、あなた自身の心から出た「嘘」です。

ペテロと似たような嘘つきだから、嘘を愛する。
なぜ、神がイエスを信じる人と、信じない人を分けたのか?

つまり、地味で目立たず、時には世間から孤立しようとも真実を愛する人と、
嘘でも人受けしやすい言葉を選ぶのかの違いです。


ペテロは宗教を通して人受けし、お布施や寄付金が得られる信仰売買の道を選んだ。

イエスはただ、金や権力とは無縁の、人としての当たり前の生き方を説いただけ。

それだけのことです、違いは。

あなたの質問もそうですが、
世間で広く知られ、人気のある宗教や何らかの話題に反発して見せて
人々の感情を扇情しながら人の関心を自分に向けさせようと嘘をついたところで、
誰もあなたに関心など持ちゃしませんよ。

さみしいのに、さみしいと素直に言えない、
そのあなたの心ほどさみしいものはないとわたしは思いますが

ちなみに、あなたの質問には答えていますが、あなたにわたしの回答を読み取る力がないだけのことです。

すべては神によってちゃんと計画されている。
イエスまでがこの世を生きる世代ではなく、その後の世代をも神は計画している。

だから、イザヤの頃からちゃんとイエスの後の世代がどうなるかもちゃんと見通していた。
なので、キリスト教思想やそれに基づいた権力がはびこることも、神は知っている。
そういう世の中を人間に見せないと、何が正しいのか、間違っているのか
実体験で人間は学べないからです。

経験させて苦しみを味わわせ、教訓を得る。
それが人間の基本的な生き方です。
この回答への補足あり
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そもそも、キリスト教の解釈や翻訳が正しいとの前提があなたにあるから、


わたしの解釈や翻訳がねつ造だというんでしょう?

あなた自身では解釈はできない。
すべてはキリスト教に基づいている。
だから、何度も言いますが、キリスト教そのものが間違っているんですよ、最初から。
Spiritも霊でなく、精神です、心です。
勝手に幽霊をねつ造しているのは、あなた方、キリスト教とではありませんか。
まして、幽霊が存在することすら証明できない。
ただの妄想の産物だと古代から現代にいたるまで認識されていることです。

>(い) イエスが 隅の親石であることについては:
> ▲ (ペテロの手紙一 2-4) 主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

ペテロがイエスにとって最も裏切り者です。
そのペテロが真実を語れるわけがありません。

最初から、ペテロについては何度もイエスは裏切り者だし、悪意ある者だと聖書の中で証言しています。

~Jesus turned and said to Peter, "Get behind me, Satan! You are a sumbling block to me;
you do not have in mind the things of God, but the things of men."(Matthew16:23)


イエスはペテロを振り返って彼にこう言い放った。
「さがれ、サタン(悪意ある者よ)!
お前はわたしにとっては妨げの石。
お前の心に神のことはない。あるのは人からの評価だけだ」(マタイ16:23)


~Many will say to me on that day, 'Lord, Lord, did we prophesy in your name,
and in your name drive out demons and perform many miracles? '
Then I will tell them plainly, 'I never knew you. Away from me, you evildoers!'(Matthew7:22)

多くの者がそのうち、わたしに向かってこう言うだろう。
『主よ、主よ、私達はイエス様というあなたの名前において預言を行ったり、異教徒のデーモン達やたくさんの奇跡的な出来事を行いましたよね?』と言ってくるだろう。
だが、わたしはその時になったらはっきり彼らに向かってこう言ってやる。
『お前達のことなど、まったく知らない。わたしから去れ、悪を行う者どもよ!』とね。(マタイ7:22)


バチカンの基礎を創ったというペテロも、
イエスの霊が自分の目の前に現れて荒くれ者だったという自分は改心したという話で持ってキリスト教を布教したパウロも、
どちらもイエスの弟子じゃない。

最初から、イエスははっきり警告していました。

ペテロのような裏切り者も、パウロのような嘘つき預言者も絶対に信じるな、ってね。
だから、ペテロやパウロが唱えるような「聖霊説」は最初から否定されていたんです。
キリスト教徒だけが知らないだけのこと。

だって、キリスト教とはイエスの言葉を信じて創られた宗教ではないから。
あくまでペテロとパウロの聖書解釈に基づいた言葉を信じることで成り立っている宗教だから。

それを否定されるということは、根本から自分達が間違っていた、誤解していたという「裁き」になるからです
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 ★ キリスト教の解釈や翻訳が正しいとの前提があなたにある
 ☆ 冗談でしょう。イエスの大嘘だとか
 【Q:イエスが なぜキリストか。あわせて 宗教の解体について。】や
 【Q:ローマ教会の欺瞞は 信者の共犯。人類の連帯責任。】といったことを 
 《キリスト教徒》が言うワケないでしょう。

 ★ ペテロがイエスにとって最も裏切り者です。そのペテロが真実を語れるわけがありません。
 ☆ これは イエスが十字架上に去って行くまでのあいだ 弟子たちは 目隠しをされていたのです。
 ▲ (出エジプト記33章) ~~~~~~~~
 21: 更に、主は言われた。

   「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
   あなたはその岩のそばに立ちなさい。
 22: わが栄光が通り過ぎるとき、
   わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
   わたしが通り過ぎるまで、
   わたしの手であなたを覆う。
 23: わたしが手を離すとき、
   あなたはわたしの後ろを見るが、
   わたしの顔は見えない。」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これを比喩として読みます。
 イエスが息を引き取って骸も消えたあと やっとペテロらは イエスの《背面》を見ることが出来たのです。
 それによって もともと召し出されていたように ふたたび立ち上がりました。
 ――という解釈になります。

 それに ペテロには 大きな風呂敷がいろんな動物を包む夢が現われ 
 異邦人もみな イエスの指し示した神をいだくことができると知らされました。


 №24で問うた(あ)と(う)の問いが まだ答えられていません。
 ★ わたしの解釈や翻訳がねつ造だというんでしょう?
 ☆ そのとおりです。
 ♪負けてくやしい はないちもんめ♪ の歌をうたっているようですから もうそうっとしておいて欲しいということですか?

お礼日時:2015/11/07 17:31

>★ わたしが出べそと叫んでるという論拠を、「聖書で持って」反論なさればいいのでは?


>☆ そうではなく 《出べそ》を叫ぶのは お子ちゃま

あなたが言いだしたんですよね、出べそって?
わたしは一言もそんな話はしていない。

でも、あなたはそう、自分の勝手な「主観」(というか、ただの誹謗中傷)を織り交ぜないと反論できない。
それこそ、あなたが私に向かって出べそって叫んでるだけのことです。

それに、なぜ、わたしの勝手な解釈だ、なんて「あなたに」判断できるんですか? 
それこそ、あなたの「主観」でしょ?
何の「反証」もできないんだから。

わたしはあなたの勝手な解釈に、聖書で持って「反証」したまでです。

>Behold, I lay in Zion for a foundation a stone
Zionの小石は、イエスじゃありませんよ。

イエス自身が否定しています。
~All this I have spoken while still with you.
But the Counseller, the Holy Spirit, whom the Father will send in my name,
will teach you all things and will remind you of everything I have said to you.
(John14:26)

わたしが今、話してきたことはすべてずっとあなた方とともに残る。
だが、カウンセラー、聖なる精神が神によりわたしの名前が広がる時代において
この地上に生まれてくる。
その人が私の話したすべての意味をあなた方に教えさとしてくれるだろう。(ヨハネ14:26)

When the Counseller comes, whom I will send to you from the Father, the Spirit of truth
who goes out from the Father, he will testify about me.
And you also must testify, for you have been with me from the beginning.
(John15:26)

カウンセラーが来る時、その人はわたしが神に頼んでこの地上に送る人だが、
その真実の精神が神の元から生まれ出でて、わたしについての証言をしてくれる。
もちろん、あなた方も証言しなければならない、だってずっとわたしと一緒にいた人たちなのだから。
(ヨハネ15:26)

Unless I go away, the Counseller will not come to you;but if I go, I will send him to you.
When he comes, he will convict the world of guilt in regard to sin and righteousness and judgement;
in regard to sin, because men do not believe in me: in regard to righteousness,
because I am going to the Father, where you can see me no longer; and in regard to judgemnet,
because the prince of this world now stands condemned.(John16:7)

わたしがこの世から去らない限り、カウンセラーがあなた方、人間の元へ来ることはない。
わたしがこの時代を去れば、その人をわたしはあなた方、人の元へ送る。
その人が来る時、その人は世間が犯してきた罪悪をはっきりと暴くだろう。
罪悪とは、神への罪とは何かということと、正しいこととは何かということと、そして裁きについてである。
神への罪とは、人間達がこのイエスという人間の言葉を信じないってことである。
そして、正しいこととは、わたしが人間として死んで神の元へ行き、もはや二度とこの世には戻ってこないということである。
そして、裁きについては、この世でこれまでもてはやされてきた人間達こそはっきりとその悪事を暴かれることとなる。
(ヨハネ16:7)

最初からイエスは自分を祭りあげて変なキリスト教の世界が出来上がることも知っていたし、
そうなるよう自分から仕掛けてきたけれど、それに属することは神への冒涜であり、罪であると
何度も弟子たちに教えてきたんです。
その中で、それを守らなかった者と、守った者に分かれた。

確かに世の中のほとんどはキリスト教の世界になったけれど、決してそれが正しい道ではないと延々と語っていたのが
イエスの言葉です。
それをキリスト教徒は信じない。
むろん、パウロは鼻からイエスの言葉など信じちゃいないし、理解もしていない。

結局、カウンセラーとは、イエス自身じゃなく、イエスの時代の後に生まれてくる人のことです。
それを神は最初から計画していたから、a foundation stone in Zionと言ってるのです。
イエスの時代を経て、次の世代をも見据えて計画していることです。

そういう段階を経ないと、徐々に教えていかないと理解できない愚鈍な創り物だから。
自分達が物であることの自覚がなく、神ぐらい完璧になれると勘違いしている馬鹿な生き物、
それが人間だから。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 なるほど。ところどころ 聖書の原文について 翻訳としての解釈が違っているわけだ。
 解釈をおこなっているということをも よく分かりました。

 (あ) 次の翻訳が 互いに異なります。

 ★ (ヨハネ福音 14:25-26) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 わたしが今、話してきたことはすべてずっとあなた方とともに残る。
 だが、カウンセラー、聖なる精神が神によりわたしの名前が広がる時代において
 この地上に生まれてくる。
 その人が私の話したすべての意味をあなた方に教えさとしてくれるだろう。

 ▲ (同上) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c …
 https://www.blueletterbible.org/kjv/jhn/14/1/t_c …

 25 Ταῦτα  λελάληκα  ὑμῖν  παρ᾽  ὑμῖν  μένων  わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。
 26 ὁ  δὲ  παράκλητος                しかし、弁護者  
  τὸ  πνεῦμα τὸ  ἅγιον               すなわち
  ὃ  πέμψει  ὁ  πατὴρ  ἐν  τῷ  ὀνόματί  μου  父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が
   ἐκεῖνος  ὑμᾶς διδάξει  πάντα           あなたがたにすべてのことを教え
  καὶ  ὑπομνήσει  ὑμᾶς  πάντα  ἃ  εἶπον  ὑμῖν  わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (い) イエスが 隅の親石であることについては:
 ▲ (ペテロの手紙一 2-4) 主は、人々からは見捨てられたのですが、神にとっては選ばれた、尊い、生きた石なのです。

 (う) 次の《イエス》は ネツゾウです。
 ★ (イザヤ書 28:15) 俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。

お礼日時:2015/11/07 15:34

>おまえの考えは《妄想》だと ただ決めつけて言うことは あたかも おまえのかあちゃん 出べそ! と叫んでいるのみ



それはあなたの「主観」でしょ?
だったら、わたしが出べそと叫んでるという論拠を、「聖書で持って」反論なさればいいのでは?
それが論拠ですよね?

でも、あなたの場合、感情で感じたことの感想でしかない。
わたしに言われたことに対してちゃんと聖書で反論できなくて、”腹が立つから”、
「あなたの感情で持って」おまえは出べそと叫んでるだけだ、とわたしに叫んでるだけなんじゃないですか?

>つまりむろん 《あたらしい契約》 そしてまたそれの成就――この成就については いくらか推測を交えていましょうが――のことです

だから、あなたの言う「新しい契約」なんてことも数千年も前に神が否定していますよ。
同じイザヤ記の中で。

You boast, "We have entered into a covenant with death",
with the grave we have made an agreement.
When an overwhelming scourge sweeps by,
it cannot touch us,
for we have made a lie our refuge
and falsefood our hinding-place."(Isaiah28:15)

「お前たちは自慢する。
『俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。
 どれほどの天罰すらもその新しい契約がある限り、俺たちは安泰だ。
 だって俺達が嘘を言えば言うほどいくらでも言い逃れが通用するし、
 偽りこそがいい隠れ蓑さ』(イザヤ28:15)

Your covenant with death will be annulled;
your agreement with the death will not stand(Isaiah28:18)

「お前達の新しい契約など無効だ。
イエスの死との新しい契約など何の意味もない(イザヤ28:18)

 
パウロの説く宗教こそ、キリスト教の根源でしょうが、
そのすべてを最初から神は否定しているのです。

なぜなら、それが神の人選基準になっているから。

パウロの言葉を信じてキリスト教徒になるか、
それとも、イエスの言葉を信じてキリスト教徒にならないのか。

パウロの言葉ほど嘘つきで、男尊女卑も激しく、都合のいい勝手な解釈に終始するものはない。
彼は単にイエスの生還劇の話題に便乗して新たな宗教を開き、
人々からお布施や施しをもらって商売ネタにしていただけです。
それがキリスト教の始まりです。

そんな輩が新約聖書以降、ものすごく増えた。
それもちゃんとイエスが予測して言ってるってことが聖書に記載されています。

自分は一度は死んだと思われて生きて戻ってきたらワイドショーものの大騒ぎだろう。
そうしたら、その奇跡に便乗してありとあらゆるところから預言者を名乗る人物達が出没するだろう。
そいつらと一緒になって活動する者はわたしの弟子でも友達でも何でもない。
ただの嘘つき、詐欺師だ。
お前たちはそれに便乗してはならない。(マタイ24章)

イエス自身の言葉を信じていないのに、イエスを好き勝手に祭りあげて、
自分達はイエスの使徒だと偽って名乗る、そんな「新しい契約=新約」など無意味です。

神は最初から約束しました。
それは永遠に変わらない。
旧約も、新約もくそ喰らえ。

約束は、約束です。
勝手に約束を破って、裏切り、好きなように契約を書き換えているのは
ほかならぬあなた達、人間でしょう?ってなことが最初から、数千年も前から書かれている、
それが聖書です。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。
 
 ★ わたしが出べそと叫んでるという論拠を、「聖書で持って」反論なさればいいのでは?
 ☆ そうではなく 《出べそ》を叫ぶのは お子ちゃま。
 対話は 出べそについて実証する あるいは論証することが 欠かせません。
 相手の言い分のどこがどうだというふうに具体的に述べなければなりません。

 たとえば エレミヤ書のあたらしい契約が イエスの登場で成就したというのには 勝手な推測が混じっています。
 いや まだまだ 歴史的にこれからだというような解釈もあり得ます。
 ただし それとても やはり人間の勝手な推測です。

 ですから どちらがより一層妥当であるか。これを話し合うのが 対話です。
 どこが 出べそであるかを示すことです。

 ★ 『俺達にはイエスが死んだと同時に神との新しい契約がある。
 ☆ イエスを勝手にしのばせている。これが 出べそです。

 ▲ (イザヤ書 28章) ~~~~~~~~~~~~~~
 https://www.blueletterbible.org/kjv/isa/28/1/t_c …

 28:16 לָכֵן כֹּה אָמַר אֲדֹנָי יְהוִה הִנְנִי יִסַּד בְּצִיֹּון אָבֶן אֶבֶן בֹּחַן פִּנַּת יִקְרַת מוּסָד מוּסָּד הַֽמַּאֲמִין לֹא יָחִֽישׁ׃

 KJV 28:16 Therefore thus saith the Lord GOD,
    Behold, I lay in Zion for a foundation a stone, a tried stone, a precious corner stone,
     a sure foundation: he that believeth shall not make haste.

  それゆえ、主なる神はこう言われる。
 「わたしは一つの石をシオンに据える。これは試みを経た石 堅く据えられた礎の、貴い隅の石だ。
 信ずる者は慌てることはない。

* この《隅の親石》が イエスのことであるのは 一般の了解事項です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 (補足へつづく)

お礼日時:2015/11/07 08:45

>虎の威を借りる狐ならぬ聖書の権威を笠に着て


>人間である自分が人間であるほかの人の思惟や行動について 裁いている。に過ぎない。

あなたの質問そのものが最初からそれだったんでしょ?

で、わたしが聖書を引用して、論拠を示し、あなたの解釈の間違いを正したら
とたんにわたしに裁くな、という。

じゃあ、あなたは何を論拠にイエスが大うそつきだ、聖書はこういう解釈だ、と言えるのか?
と言ったまでです。

何の根拠もないのに、好き勝手に論じる方が「大嘘つき」って言わないんですか?
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 《論拠》ではなく 自分の言いたいことが当てはまる文章を引き出して来ているのみ。

 《間違いをただす》とは 相手の考えのどこが どういうふうに考えの筋道を間違えているのかを示すこと。

 おまえの考えは《妄想》だと ただ決めつけて言うことは あたかも おまえのかあちゃん 出べそ! と叫んでいるのみ。


 ★ あなたは何を論拠にイエスが大うそつきだ、聖書はこういう解釈だ、と言えるのか?
 ☆ エレミヤ書31:31以降 すなわちそれを引用して確認しているへブル書8章 これがたとえば《論拠》です。

 つまりむろん 《あたらしい契約》 そしてまたそれの成就――この成就については いくらか推測を交えていましょうが――のことです。

 【Q:神がみづからを揚棄しちゃった:エレミヤ書31:31】
  https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8604161.html

 同じくむろんこれは 《勝手な》解釈です。したがって そのまま提示して 問い求めているということです。

 ★ 何の根拠もないのに
 ☆ という捉え方ではなく どこが推論としてマチガイであるかを示すのが 批判としての対話であり問い求めです。

 それとも前回のように 聖書はいっさい解釈をするなかれと言うお立ち場ですか?

お礼日時:2015/11/06 23:17

>だからこそ たましいを尽くして心を尽くして力を尽くして


>つねに神の心をどう自己表現すればよいかを――ヒラメキを得ることをつうじて――
>思い考え続けているのです。

だから、何度も言いますが、あなたの妄想です。

あなたにヒラメキは訪れませんし、神の心をあなたが自己表現しようとしたところで
出まかせか、あなたの自己満足に過ぎません。

聖書にもそう書いてあります。

~どうしてお前たちに「俺たちは賢い、だって俺達には神の律法書がある」などと言えるのか?
 ただの嘘偽りを勝手に自分たちで書き連ねただけなのに。
 そういう自称、賢者達は大恥をかくだろう。
 混乱し、当惑することだろう。
 真実の神の言葉を否定する彼らに一体、どんな智慧があるというのだ?(エレミア7:8)

~彼らは口が達者だから、その口でいいように神を称え、
 好きなことを論じる。
 だが、彼らの心は神の元から程遠い。
 彼らは神をたたえるだろう。
 だが、それは人がこさえた常識やルールの範囲でしかない。
 だから、神は彼らの考えをひっくり返してやろう
 理解不能な上にさらなる未知なる世界を覆いかぶせてやろう。
 そうしたら、賢者だと威張っていた奴らの知恵などあっという間に吹っ飛ぶ。
 知能ある者と自慢していた者達の知識や知能など跡形もなく消え去るだろう(イザヤ29:13)


これも何度も言いますが、神は人を選びます。
神に見えていないことは何もない。知らないことも何もない。

ゆえに、あなたがいつ、どこで生まれ、どう暮らし、どう死ぬかまですべて
知っている。
あなたの髪の毛の一本に至るまで親やあなた以上に知っている、それが神です。

なので、あなたがいくら口先だけわたしは心尽くして、魂尽くしていますと偽りを言っても、
~神はその心の隅々をすべて見通している
 その頭脳のすべてをすべて知っている。
 そして、その人間の一分一秒たりともたがわないそれまでの行いのすべてで持って
 その者にふさわしい報いを授ける(エレミア17:10)

だから、人間、皆、寿命が違うんです。
人生も違う。

この地球上、約70億人以上の一人一人のすべてを知っている、それが神です。

あなたの狭い了見で推し量れるほどくだらないことではない。
それこそ人間の想像など比べようもないぐらい、宇宙の塵にすぎない人間ごときに
理解しがたい宇宙のすべてを知っている、それが神です。

だから、私達、生物が存在している。
別にすべてを知らなくても、無事につつがなく暮らさせてもらえる。
それが神の力です。

自分の身の程を知るんですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

 二点ありましょう。

 聖書は解釈するなと言っている。
 そしてこれは 立ち場が違います。

 あなたは 異言まがいのコピペだけをして対話としている。
 わたしは 預言として解釈をし これをたたき台として問い求めの材料としている。


 もう一点は:
 虎の威を借りる狐ならぬ聖書の権威を笠に着て
 人間である自分が人間であるほかの人の思惟や行動について 裁いている。に過ぎない。

お礼日時:2015/11/05 22:34

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