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私は無宗教に近い、葬式仏教の日本人としてイスラム教とかキリスト教とかの宗教にも関心がないのですが、キリスト教が分かりません。
特別な神の子であるイエスが磔で死ぬのはおかしいし、処女懐妊もおかしい。 天地創造の神ヤーウェの力があれは 一瞬にキリストを創造し、無敵の生命力も持たすことができるだろうに、矛盾しています。精霊と神とキリストは一体だと三位一体説もあります。
普通に考えれば、ユダに裏切られたのも、他の弟子に3度知らないと言われたのも、信頼できない指導者であったとするのが自然です。 地域住民がローマ総督に訴えたのもアサハラのような人間であったと考えられます。 奇跡を行ったというのも、詐欺臭い。 復活したというのも騒乱罪で磔になったイエスが失神していて、4日後に意識が戻ったとするのが自然です。
なぜ大宗教になっているのでしょうか。

A 回答 (7件)

大宗教になった理由は要するに、「ローマ帝国が国教にしたから」です。

ヨーロッパ全土を支配する世界帝国が、キリスト教以外を禁じたのですから、信者が増えるのは当然です。

ではなぜローマ帝国がキリスト教を選んだかと言えば、「一神教だから」です。ローマ帝国は広大な領土をもっており、文化や宗教も多様です。これを1つの国としてまとめるには、土着の宗教を根こそぎ否定して、唯一神への信仰を押しつけるのが手っとり早いです。

一神教でありさえすれば、別にキリスト教でなくてもよかったのだろうと思います。
キリスト教が国教になる前、ローマ帝国は「ソル・インウィクトゥス」(不滅の太陽)という太陽神への信仰を広めようとしたことがあるそうです。太陽は1つしかありませんし、どこでも拝むことができますから、国をまとめる宗教として適当だと思われたのでしょう。ローマ帝国にとって重要なのは、政治に役立つかどうかであって、教義などの中身は二の次です。

ともあれ、それなりに信者が多くないと、ローマ帝国もキリスト教を選ばないでしょう。1~4世紀のローマ帝国で、キリスト教が普及したことには、いくつかの理由があるようです。

1.キリスト教は本来、いわゆる社会的弱者に対して共感的でした。これはどうやら、イエス本人の生前の教えによるものです。「貧しい人こそが救われる」など、社会の底辺で苦しい生活をしている人々に、受け入れられやすい教義をもっていました。そういう人ほど、一度信者になれば熱心に信仰しますから、布教には有利な特徴です。

2.キリスト教には、ややこしい戒律などはなく、簡単に信者になれました。大雑把に言えば、「あなたはイエスがいったん死ぬことで、人類の罪をあがなったことを信じますか?」「はい、信じます」だけでOKです(イエスの死後、パウロという人がつくった教義です)。日本でも鎌倉時代に、「南無阿弥陀仏と唱えさえすれば救われる」といった宗教が流行したことがありますが、あれと似たような感じですね。この手軽さも、広く受け入れられた理由でしょう。

3.これはやや否定的な側面ですが、キリスト教の教義では、「イエスの死と復活を信じない者は救われず、永遠に地獄で苦しむ」とされています。救われる(天国に行ける)方法を1つに限定することで、信者を脅している面があるわけです。いまでもカルト宗教などが同じ手を使うことからわかるように、藁にもすがるような心境の人を入信させるには、非常に有効な方法です。

4.ローマ帝国は特に2世紀から、キリスト教を弾圧していました。が、当時のキリスト教徒の多くは、もともと苦しい生活を強いられていたので、この世にあまり未練がありません。「殉教すれば天国に行ける」と信じていますから、なおさらです。苛酷な弾圧にも耐える人々の姿は感動的なので、「これは何か、すごい教えなのかもしれない」と思う人も出てきます。つまり皮肉なことに、弾圧がかえって信者を増やすというケースもありました。
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この回答へのお礼

ていねいな説明をありがとうございます。 よく分かります。

お礼日時:2016/04/17 22:39

おかしな考えですが、親の子はまた、親になる。

またその子はまた親になる。
進化論はダーウインの論ですが、突然変異もおかしな理論です。
どうせこの世は自分と配偶者のものだ。
矛盾といはず、すきなようにいきる。
苦労して社長になっても、法人所得税を支払っても社長の子は社長だ。
社長はゲームに失敗して財産を失っても、個人の所有財産は高々会計上の
財産なので自分の責任を果たす意味は宗教上の責任を果たすこととおなじだ。
矛盾は、どこかで水平思考などと、思考や共に暮らす育みあうなどでどこまでも
矛盾を貫きと臼と、相手の方も疲れて、単なる圧力団体になるのではないか。
むかしからの例えですが。
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この回答へのお礼

日本人的な回答ありがとうございます。 私もそんなに宗教には関心がないのですが、韓国ではカトリックが急増したと聞き、一般常識の者がそんなに簡単に特異な宗教に意識を変えられるものか不思議でした。宗教に矛盾があってもいいのですが、旧約聖書も新約聖書もあまりにもちぐはぐな話なので質問しました。

お礼日時:2016/04/17 22:34

どもども。

キリスト教異端に生まれプロテスタント育ちのカトリック信者です。
信者は実は、三位一体を信じなくてもいいんです。処女懐胎も信じなくてもいいんです。
ついでにいいますと、ユダやぺテロに関しましては、イエスが指導者として出来てなかったというより、弟子がクズだったと考えるべきでしょうね。といいますのは、十二弟子以外はきちんとしてるんですよね。この辺は長くなるので割愛で。
ちなみにイエスは国家転覆罪、つまりテロリストとして処刑されてます。暴動とかそんな生易しいものではありません。
大宗教になったのは、やはり大帝国ローマの国教になったからでしょうね。それから従軍司祭と言って、軍人の為にミサをあげる人がくっついてったのもあるでしょう。あと、キリスト教は少しオタクというか、アメーバみたいなところがありまして、

ゲルマン人→何作ってんの? 像? すっげー! じゃあマリアとかも作って作って!
フィリピン→何この黒人女性? え? 聖女なの? すっげー! じゃあマリアry

と、こんな感じで、芸術から風俗までパクパク食ってってしまったので、浸透しやすかったのではないでしょうか。

ちなみに皆大好きクリスマスですが、

「なんかイースターも決めちゃったしご公現も決めちゃったし……あ、そういえば、イエスの誕生日いつだっけ?」
「知らね」
「ミトラ教流行ってるから貰ってこよ」

というわけで、クリスマスは冬至を過ぎたことを祝う日がモデルになり、3世紀頃に成立しました。あまり興味なかったんですね。
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この回答へのお礼

信者の方に嫌われるかと思いましたがやさしい回答で安心しました。親族にはバプテスト教会の信者がいます。面と向かって疑問をなげかけることができないので、顔の見えないところで質問しました。
本当は宗教に関心がないのですが、過去にキリスト教徒が大虐殺を喜々として繰り返してきたことと(十字軍、中世での大虐殺、ナチスのユダヤ人殺害、広島長崎、東京大空襲など)。他方、マザーテレサ、リンカーン、トルストイなどなど人格的に素晴らしいキリスト教徒も多いことから、キリスト教とは何だろうと考え始めました。
信仰のある方は余裕がありますね。私の親族もです。

お礼日時:2016/04/17 22:38

なぜ大宗教になっているのでしょうか。


    ↑
信者の中心が欧米で、その欧米が世界を
席巻しているからです。

宗教的なことをいえば、一神教だからだ
ということが出来ます。

一神教は布教がやりやすいのです。
一人の神様がいるのですから、神様の発言や
行動間に矛盾があってはまずいことになります。

だから、教義や経典を作って体系化することが
必要になり、又一神教だとそれがやりやすい
のです。

これは多神教と比較すればよく理解できると
思います。
万物に霊魂がある、なんて神道のような多神教は
外国人などに布教するのは困難だということが
判るでしょう。

しかし、教義や経典をつくって体系化すると
質問者さんのような疑問が出てくるわけです。
その疑問に答えるため、専門家が養成されました。
これが宗教学者であり、神父であり牧師で
彼らが勉強するのがキリスト教神学、ということです。

このキリスト教神学から、法学が産まれました。

しかし、神学の専門家でも答えられない疑問は沢山
あります。
そのため、切り札が用意されています。

偉大なる神の御心など、人間風情が理解できる
はずがない。
人間は、ただひたすら信仰していれば良いのである。
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この回答へのお礼

簡潔でしかも、非常によく分かります。

お礼日時:2016/04/17 22:37

★(№2お礼欄) トルストイは・・・学校を建てたりして苦しんでいる点に宗教的


な働きを感じるのですが、イエスは何をしたのか、全く理解できません
☆ 一般に 人間は人間としてのチカラと努力とで 互いに助け合って 闇に光をあ
てることが出来ます。

思いやりであるとか 芸術のかがやき あるいは 医学の光。
ただし イエスの場合は そのような明るさや暖かさをあたえるというよりは 心の
灯心をともすことに力点をおいた。のではないでしょうか。

自分自身がすでにそれとしての光となるということ。光をあてたり当てられたりする
以上に 自分の身と心とが火のともった灯心となるということです。どうでしょう。
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この回答へのお礼

2000年も前のことですから、イエスの大きさとか真の人間性が私たちに伝わらないのでしょうか。
マホメットくらいの情報があれば、見方が変わるかとも思います。少ない情報でイエスを否定するのは私のような無宗教の理屈をこね回す人間だけかもしれません。

お礼日時:2016/04/17 22:37

1. 集団としての宗教と個人にとっての信仰とを まづ分けてください。

水と油です。

2. 信仰とは 普遍神とわれとの関係であり それのみのことです。

3. 宗教は 信仰者が観想をとおしてヒラメキを得てそれを一般に人間の言葉で――
神秘思想を除けば――ふつうの(経験合理的な)思想として表現したオシへを言い し
かも一般にこのオシへを――神に代えて――信じなさい(心に受け容れなさい)と説く
集団としての運動です。

4. 信仰にあっては わが心の奥底で われは みづからを・そしてほかの人をもな
いがしろにすることはない ましてその存在を無き者にすることはないという思いが現
われて来るものと思います。

5. 宗教は 早い話が この思いをたとえば《なんぢ むさぼるなかれ ぬすむなか
れ ころすなかれ》というふうにオシへとして説くかたちです。早く言えば 信仰とい
う蝉の抜け殻になります。

6. したがって 信仰は 神が人間にとって必ずしも分かる(知り得る)ものではな
いと知っている。

7. だからこそその神は 普遍神であって 人によっては 《有る神》としていだき
またほかの人には《無い神》として受け留められることになります。

8. つまり 《無宗教》という場合には 《無い神》派の信仰を目には見えないかた
ちでいだいているものと考えられます。

9. 神と言えば あの神とその神とで違うというようなことがあるはずないからです。
断言してもよいのではないでしょうか?

10. 言いかえると 宗教それぞれの説く神が おかしい。のではないでしょうか?

11. ナザレのいう土地で ヨセフを父としマリアを母としてふつうに人間として生
まれたイエスは その後十字架じょうのはりつけの死のあと いくらかの人びとから昔
からのキリストという呼び名で呼ばれました。

12. それについて神学としては キリストを神の子であり神でもあるという想定が
なされました。

13. ヨセフとマリアとの性交によって生まれたイエスという男であると同時に マ
リアが聖霊なる神によってそのとき同時に身ごもったという話です。

14. この想定は なぜなら 次のような事情から形成されました。磔にかけられた
とき 一方で イエスよ おまえが神であったなら そこから降りて来てみろとなじら
れて そうはしなかった。つまり もし神として奇蹟を起こしたなら 人びとは あぁ
それは 神だから出来るのだ おれたち人間にはお呼びでない どうでもいいやと受け
取って おしまいとなる。

15. 他方で もし神ではなくただ人間としてのみ そのような試練に耐え 自分の
考えをつらぬいたと見られるだけなら あぁ それは よくやった ほめてやるから
あとはやすらかに成仏しなさいと言われて やはりおしまいとなる。

16. という抜き差しならぬ事情から この存在は 《イエスという人間であると
同時に キリストとして神の子でありみづからも神である》というふうに神学が――
けっきょく勝手に――つくられました。

17. というより このイエス・キリストは けっきょく神は ユダヤだけのヤハヱ
―神であるのではなく それを外に開いて つまりは普遍神であらざるを得ないという
ことを指し示したと考えられます。

18. みづからが神であるという大嘘をついて この普遍神を指し示したことになり
ます。
 
19. そのつてでは:
★ 無敵の生命力
☆ は 指し示したかも知れないけれど 人間は人間としてその弱さも強さをも持つふ
つうの存在であるとして 生きたし死んだのでしょう。

20. 三位一体なる神は 《光》のタトヘでは次のように――想定としてですが――
説明されます。: 

 神(三位一体):父なる神=====子なる神=====聖霊なる神
 光のタトヘ  :光源・・・・・・ 発耀・・・・・・・明るさ・暖かさ
 _________________________________
 人間・その精神:記憶・・・・・・知解・・・・・・・・意志
 ---------------------------------
 国家・三権  :司法・・・・・・立法・・・・・・・・行政

21. イエスはなぜ裏切られたか?
次のように旧約聖書の一節を引いて説明されています。:

▼ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~~~
 21: 更に、主は言われた。

   「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
   あなたはその岩のそばに立ちなさい。
 22: わが栄光が通り過ぎるとき、
   わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
   わたしが通り過ぎるまで、
   わたしの手であなたを覆う。
 23: わたしが手を離すとき、
   あなたはわたしの後ろを見るが、
   わたしの顔は見えない。」
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ というふうに 生前のイエスについては 弟子たちの目は覆われており イエス
の正体が分からなかった。死後やっと キリストの背面を見ることが出来た。《顔――
真理そのもの――》は 見えない。というふうにです。

22. ★ 奇跡を行ったというのも、詐欺臭い。
☆ これは そう思われます。つまり 人びとが望む好きな話を差し挟んだのでしょう
ね。

23. 《復活した》というのは さらに神学のナゾです。分かる人がいましょうか。

24. ★ なぜ大宗教になっているのでしょうか。
☆ 取り扱うにも 手に負えないからでしょう。《復活した》とでも言って 受け留め
方を工夫しないことには 衝撃いまだなお冷めやらぬといった状態にあるのでしょう。

25. でもさすがに 神にとっては二日――つまり二千年――が経ちましたから そ
ろそろウソやペテンは明るみに出され イエスの心の心も明らかになって来るでしょう。

25. ですから 宗教としてのキリスト教は わたしにも分かりません。支配欲を満
たすために 組織をつくっているのでしょう。
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この回答へのお礼

詳細な解説ありがとうございます。宗教は難解です。
 以前、トルストイの解説を読んでいると「イエスは死の直前に少し苦しんだだけだが、トルストイは80年苦しんだ」とありました。欲にまみれた地主階級に属するトルストイは数百人抱えている農奴が極貧の中で純真に生きている姿に、より神に近い存在だと感じて、学校を建てたりして苦しんでいる点に宗教的な働きを感じるのですが、イエスは何をしたのか、全く理解できませんのでこのような質問になりました。

お礼日時:2016/04/14 17:44

宗教や神は人智の及ばぬ存在です。


理屈や科学を超えています

矛盾を飛び越えて信じましょう
エゴを捨てて大いなる存在に
ひれ伏す者は救われるでしょう
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