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近年は女性に女性らしさを強制することは行けないとされているのに、
なぜ男性は今だに男らしさを強制されるのですか?
とても不愉快です。
なぜ男性はそれに対して怒らないのですか?

よく女が何々をするべきではないとかいう人がいますが、
そういう人に言いたいです。
女がしてはいけないと言うことは全て男に押し付けられているということです。それをわかっているのでしょうか。
なぜそれを男性は怒らないのでしょうか(女性だったら押し付けないでと怒るのに)?
しんどいことばかり押し付けるなと。

確かに腕力とかは男女差はありますが、勇気とか勇敢さとかは
個人差であって男女差ではないはずです。

A 回答 (10件)

 女が女らしくても、男みたいでもどっちでもいい。

きちんと常識を弁えてのその人であるならば。
 男もそうなのだが、男らしいという言い方には、いろんな位相の意味がありましょう。
 あんまり生活的であったり、こまごましたことに拘りすぎる。
 その的とか拘りのしかたが問題ですよね。
 不羈独立、進取、ぶつかっていく。
 大樹や塀にからまり、張っていくような、そういう気風をもっている男は相手にならない。もちろん男であって、そういう風であることは難しい。できませんが。
 なぜ求められるか。相手にしたくないからです。
 話にならない。気持ちが悪い。それだけですが。
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#8です。


ごめんなさい、訂正。
オノ・ヨーコ『無限の大宇宙』 発表は1960年代でなくて70年代でした。

http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E9%99%90%E3%81 …
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多くの人が鈍感だから。


あるいは、女性の抑圧のほうが歴史的に強く、長かった(ように見える)ため、まずはそちらに注意が行きやすいからかもしれません。

でも1960年代に、既にオノ・ヨーコさんはそれを指摘していたのです。
慧眼だと思いました。
『無限の大宇宙』のヨーコによる解説と、「今宵、彼に安らぎを」の曲を聴けば分かります。
※でも「世界は何てひどい野郎なんだろう」も聴いてください。
http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E9%99%90%E3%81 …
http://www.amazon.co.jp/%E7%84%A1%E9%99%90%E3%81 …

河合隼雄先生も性別の枠組みについて指摘しています。
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%81 …
http://www.amazon.co.jp/%E3%81%93%E3%81%93%E3%82 …

誰も気づいていないわけではないんですよ。
指摘している人は指摘しています。
「女性らしさ」の対には「男性らしさ」があるのですから。

しかし自由になったように見える女性にも、まだ男性を思いやるほどの余裕がないのではないでしょうか。
自分の境遇を自嘲しつつも本気で嘆いているとは思えない酒井順子さんの「負け犬の遠吠え」が曲解されてしまうように、まだ「ねばならない」をやってる人も多いし、「べきだ」と見られることもあるでしょう。
今のフェミニズムは女対男みたいなことは、もう流行らないんじゃないかと思いますが・・・・。

『ビョークがいく』を思い出しました。
http://www.amazon.co.jp/%E3%83%93%E3%83%A7%E3%83 …


異論としては養老孟司センセイの「自然に放っておくと「男は大人しくていい子、女はやんちゃ」になってしまうので、「男は雄雄しく、女はしとやかに」と教育するとバランスが取れるのだ、というのもあります。
これはこれで感心しました(笑)
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はっきりいって質問者さんの言うとおりです。

おちょくっているわけではなくて本当に。
つまり、なぜ、というよりも、結局「社会が間違っている」で片付いてしまいます。まあ、いろいろ突き詰めれば、やはり「有権者」として長かったことがあるのでしょうねえ。
また、権利を持っている以上、手放す要因を作りたくないという心理があるのかもしれません。つまり、知らず知らずのうちに権利を生み出す源であった「男性が男性たる要素」を認めてしまっているのでしょうね。
ただ、私や質問者さんみたいな人はそんなものは基本いらないと思っているわけで、ほしくもない権利は邪魔なだけ(そしてらしさの押し付けは犯罪)というのが分からない遺物がいまだにいると考えたほうがよいのでしょう。
ついでに言うと、テレビに出没している似非オカマ(彼らは、いわゆるトランスジェンダー・・・つまり性同一性障害ではなく、女装をしている同性愛者です。)は、マイノリティーの中でも、「周知が進んでよい」という考えがある反面、「間違った認識をされている」「テレビだけの世界に思われる」といった問題点もよく言われます。
特に間違った認識というのは深刻で、同性愛者というのは、なんだかみんな女っぽくて女装している、ように受け止められてしまうのは非常に困った話です。あんな具合に、ドラッグクィーンの集り以外で日常的に女装をしている同性愛者は、私の知る限りテレビの中でしか存在しません。
まあ、話はずれましたが・・質問者さんの疑問は非常によいところをついていると思います。
ですので、「押し付けるのは間違っている」と相手にいうのは、間違いなく問題ない行為です。
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一番の理由は、「男らしくない男」を支持する人が自分たち以外にほとんどいないから、社会に味方がいないからではないでしょうか?



女性は、「しおらしい女性」も「男勝りのキャリアウーマン」でも、異性やそれにあこがれる同性から一定の支持があります。

男性の場合、男であることを捨てて潔く「オカマ」として生きる人には一定の支持があるでしょうが、「外見も気持ちも生き方も男、ただしイワユル男らしさは拒否する」男性を支持する人が居るとは思えません。

その理由ですが、つきつめれば「オスは子供を産めないし、メスと違って集団で1人(?)いればその群れの子孫は残せる」つまり、生物としてはメスよりはオスのが単体としての存在価値が一般的に低いため、メスをかばう、もしくはメスのために一定の犠牲は払うという最低限の役割は果たせよ、ということなのではないかと思います。

確かに、子育てを間近で見ると、母親の忍耐強さは真似できないし、あんな役回りをするなら気楽な男に生まれてでよかった、と思ってしまいます。
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そもそも「男らしさ・女らしさ」という、所謂「ジェンダー」を言うようになったのは、18世紀頃のフランス辺りで始まり、20世紀を中心に欧米で盛り上がった「フェニミズム運動」の影響です。



この「フェニミズム運動」というのは、「女性が政治的権利を求める」運動でした。
19世紀頃までは、女性は政治の舞台からはじかれていました。
米国を例にとると、リンカーンの有名な「人民の・人民による・人民のための政治」という演説が指す「人民」とは「米国の白人男性(成人)のみ」でした。
それに対して、女性達が「自分たちにも参政権を」と求めるのが「フェニミズム運動」の始まりです。
そして、「参政権を獲得するための正統性」を訴えるために「ジェンダー」という論理を持ち出してきます。

このジェンダーを簡単に言うと、「社会が作り出した、幻想としての男らしさ・女らしさ」という事らしいです。。。
で、こうした「幻想」が「女性の参政権」や「女性の社会進出」を阻んでいると主張しました。

一方、男性側はすでに社会の担い手であり、参政権も付与された「既得権者」でした。
こうした「既得権者」というのは、しばしば「自分の権利が重要なモノ」だということに疎くなります。

例えば、「選挙権」が勝手に付与されている「有権者」の中には「政治のことなんてわかんないし~」と言って選挙に行かない一方で、日本に永住権を持つ外国人は「我々にも選挙権を」と主張します。
この意識の差は、「すでに持つ者」と「持たざる者」の差であるといえます。

同じようなことが、「社会進出」の面での「男女差」であるために、「女性に女性らしさを強要するな」と叫ばれる一方で、「男性に男性らしさを求めることに、反論がなされない」という現象が起こります。

また、資本主義下でなされた「正論(に思えるモノ)」は商売の道具にされます。
そして、「働く女性の為の○○」や「男の子育て・家事~」みたいな類が売られる一方で、旧来の「美しくなりたい女性のための~」や「男らしさをアピール」なんてのも売られます。
その結果、「間違ったジェンダーフリー」が蔓延することになります。

http://www.medical-tribune.co.jp/ss/2003-7/ss030 …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%82%A7% …
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この世は共存社会です。



男社会の良い見本として、軍隊があります。

拳で教育を受けて泣いた。
男のくせに泣くなとか

行けと命令されても、1人だけ行けなかった。
男のくせに臆病だとか

30キロの背嚢を背負い、炎天下で1人だけ落伍した。
男だから弱音を吐くなとか

訓練に付いて行けない。
男なら勇気を出せとか

一部の典型的な落伍者です。

何故言われるのか?
使い物にならないからです。

こう言う人間は採用されませんし、合格もしません。

周囲は、
これで同じ給料だと思うと腹立たしいです。
嘘をついて楽をしていると思う人もいます。

一人だけ、楽をしようとしているのを見て、周囲は不愉快です。

男としての努力をしたくない。
その気持ちは良くわかります。

但し、努力の放棄(敵前逃亡)は、同性からは違うカラーの人種と見られても仕方ありません。

愉快に過ごすには、落伍しないで「叱る」立場に回るか、
男性でありながら女性のような、違うカラーの集団に混じるかです。
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極論、騙された人間は他人を騙そうとする。


詐欺師が詐欺師以外で生きられないように。

男らしさで商売している人間がいるので無くならないでしょう。
商売とは汚いものですから。
こうでもしないと商品が売れないし、働いてもくれないでしょうからね。

そうですね。とスルーで十分です。
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仕事や何か、をやらそうとしているのでしょう。


男、と言って責任を押し付けようとしているのです。
仕事の代名詞となっているのです。

それを刷り込んでいるのです。
派遣バイトで安い時給で働かそうとより顕著になったような気がします。
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 「おねぇマン」なんていうのが、大きな顔してテレビに出まくっている昨今です。

 今は、決して男性が男らしさを強制されているとは思いません。 質問者さんは、何を根拠にそう思われるのでしょうか?
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この回答へのお礼

>何を根拠にそう思われるのでしょうか?
男のくせに泣くなとか
男のくせに臆病だとか
男だから弱音を吐くなとか
男なら勇気を出せとか
言われる点です。

勇気とかたくましさとかは
個人差であって男女差では無いと思いますが。

お礼日時:2008/02/25 19:12

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